みなさん、ヴィリー・フーバー(Willi Huber)さんという方を

ご存知でしょうか?

 

ドイツはミュンヘン生まれの音楽家。

5歳でピアノを習いはじめますが、

13歳でチターという楽器のレッスンを受け始めます。

17歳でドイツの「青少年音楽コンクール」に優勝。

 

その後、ミュンヘン音楽大学に進み、ピアノを専攻しつつ

ジャズ・ハーモニーと編曲を学びました。

 

チター奏者として世界的な評価を得る一方、

ラジオやテレビのために多くの曲もつくっている。

CDも出しています。

 

ご本人のサイトはこちら。

 

英語・ドイツ語・日本語の三カ国語対応になっていますので

外国語が苦手な方でも大丈夫ですよ。

楽曲試聴ページもあります。

 

来日公演も何度か行っており、

2014年6月には

西宮と東京で開かれたヘルマンハープという楽器のコンサートに

スペシャルゲストとして登場しました。

 

しかるにこのコンサート、私も来賓として招かれていたのです。

ついでに Sayaさんも。

というわけで、二人でフーバーさんの演奏に聴き入ったのですが・・・

これが素晴らしかった。

 

わけても感心したのは、「さくら さくら」の演奏でした。

 

音楽は言葉に頼らないぶん、特定の文化を越えた普遍性を持ちやすい。

国境や国籍を最も越えやすい芸術は音楽である

そう、言い切ってもかまわないでしょう。

 

だとしても、異質な文化から生まれた楽曲を

自分のものとして演奏するのは容易なことではない。

 

「Sayaの宅急便」(「音楽・作詞」カテゴリー、9月7日)でも触れた

本能的な正しさの感覚を得ることが難しいからです。

 

本能的な正しさの感覚とは、

内側から得られるもの。

いや、内側からしか得られないものと言うべきでしょう。

 

しかるに異質な文化は、

本来、自分の外側にしか存在しません。

それをどうやって自分のものにするのか?

 

じつは日本のアーティストたちも、この問題に未だ悩んでいるのは

以前「さくらじ」に出演したとき、Sayaさんと話した通り。

 

たいていはこうなります。

1)表面的な形だけをなぞる。

2)自分の解釈を決めてしまい、それで押し通す。

 

1)はたんなるコピーです。

こういう演奏には生命が宿りません。

パロディとして使うのなら別ですがね。

(注:たとえばデイヴィッド・ボウイ版「チャイナ・ガール」のイントロ。

いかにも、という感じの中華風メロディが流れますが、あれは確信犯です。

ボウイは「東洋を本当には理解していない西洋人の視点」を暗示しているのですよ)

 

2)には生命が宿る場合もありますが

曲がもともと持っていたニュアンスや味わいを消してしまうことが多い。

 

これらはともに「エキゾチカ」(異国趣味)と呼ばれます。

 

エキゾチカの問題、というか限界は何か?

分かりますね。

あくまで「趣味」の段階にとどまること。

本物ではないわけです。

 

異文化を自分のものとするのは

音楽であっても、かくも難しい。

 

たとえばポール・サイモンは、名盤「グレイスランド」

アフリカ音楽の要素を巧みに盛り込みましたが

あれは基本的に、自分のオリジナル曲に彩りを与える手段として使ったのであって

アフリカ音楽に内側から入り込もうというものではなかった。

 

むろん、そこまで踏み込もうとしなかったのが

サイモンの賢いところなのですが。

 

とはいえフーバーさんが弾いたのはオリジナル曲ではありません。

「さくら さくら」です。

これはもう、逃げようがない。

 

どうにか曲の内側に入り込み、本能的な正しさの感覚をもって演奏するか、

エキゾチカに終わるかの二者択一です。

 

ところがフーバーさんの演奏、みごとに本物だったんですね。

「さくら さくら」という曲の本質をとらえつつ、

ドイツ人としての感性でまとめあげた、

そう書いたら分かっていただけるでしょうか。

 

いいかえれば、彼の「さくら さくら」は

日本人にはできない演奏だったと評しても過言ではありません。

ドイツ人ならではのもの。

にもかかわらず、「さくら さくら」として本物なのです!

 

まさに国境を越えた演奏。

私は非常に感心しました。

 

終演後、懇親会があったので、

この感想を伝えたところ、フーバーさんは「ほとんど褒めすぎだ!」と大喜び。

何でも、「さくら さくら」のアレンジは三ヶ月かけて考えたとのこと。

 

残念ながら Sayaさんは

予定があって帰ってしまったため、

このやりとりは聞けなかったのですが。

 

そんなこんなで、フーバーさんとメールのやりとりをするようになったのですが

評論家としてはどうしても、

国境を越えた演奏はどうやって可能になったのかを分析してみたくなる。

 

そしてフーバーさんとやりとりしたり、

彼のCDを聴き込んだりするうちに

なんとなく、答えが見えてきたように思います。

 

長くなったので、続きは明日にしますが、

とりあえず 「バリエーションズ」というフーバーさんのアルバムについて、

ジャケットをご紹介しましょう。

むろん、ご本人の承諾を得ています。

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ではでは♬(^_^)♬