7月28日の記事

「女子は夏、どこに行くか part1」

について、

KAZUさんから面白いコメントをいただきました。

 

某政党(あえて名を秘す)のスローガン

「日本を、取り戻す。」

について、

なぜ句読点を打ってあるのだろう? とのこと。

 

あの句読点を見ていると、

どうにもバカにされている感じがする。

 

という趣旨のことまで書かれていました。

 

このスローガンを考案された方、

および、それにOKを出された方が、

何を考えて「句読点があったほうが良い」と判断したか、

それは分かりません。

 

けれども一般論として、

こういうことは指摘できます。

 

句読点とは、文章の視覚的な区切りであると同時に

音読する際の呼吸の区切りを指定するものである。

 

実際、古い「コーラン」の写本には

色の異なる二種類のインクで

異なる場所に句読点が打ってあるとか。

 

片方の句読点は、目で文章を追うとき、

読みやすくするための区切り。

文字が何の区切りもなく、えんえん続いていると大変ですから。

 

もう片方は、音読する際に息継ぎをするところの指定。

文章というものは、

正しい呼吸で読まないと、本来の意味が伝わらないか、

下手をすれば意味が変わってしまうことさえあるのです。

 

ナゾナゾでおなじみの

「ここからはきものをお脱ぎ下さい」

は、それを利用しているわけですね。

 

「ここから、はきもの(履き物)をお脱ぎ下さい」

とも読めるし、

「ここからは、きもの(着物)をお脱ぎ下さい」

とも読めるように出来ている。

 

句読点と呼吸の関連については、

これによってもお分かりいただけると思いますが、

ならばなぜ、

KAZU さんは「日本を、取り戻す。」の句読点に引っかかるのか?

 

続きは明日のブログをどうぞ。

ではでは♬(^_^)♬