9月13日の記事

「世間的価値観へのチープな反抗、またはうわべだけのツッパリ」

について、

ワカズミさんから、こんな質問がありました。

 

まず、井上氏(注:井上ひさしのこと)の言葉にあるように、

異なる価値同士はごちゃ混ぜになることなく、

相対するものであるという考え方を、

甘えであり子供のすることと捉えるならば、

その逆に、そうした矛盾を受け容れる度量のある、

つまりは緊張感を持ち大人の態度をとれる者、

その思考様式こそが佐藤先生の説く

保守という立場と相通ずるものだ、

と解釈したのですが、合っていますでしょうか?

 

また私自身、保守という立場を勉強し始めたばかりというのもあり、

そうした価値の対立にあたって、

価値相対主義に陥ることなく、

その対立を乗り越えて真理に辿り着かんとする姿勢が取れず、

安易に特定の立ち位置に流れてしまうのですが、

世の多くの政治家や所謂知識人を見る限りでは

人生経験の多寡が大人の思考を醸成するものとも思えず、

半ば絶望しているのですが、

何が要因となって大人になれるか否かが左右されるのでしょうか?

 

お答えする前に、

まず論点を整理しておきましょう。

 

記事で紹介した井上さんの言葉にうかがわれる考えは

異なる価値同士はごちゃ混ぜになることなく、

相対するものである

というものではありません。

 

世間の人々が「絶対的に違うもの」として扱っている(はずの)価値観を

このオレがゴチャマゼにしてやる!

世間の人々は、そんなことが可能だと思いつくはずはないから、

それができるのはオレだけだ!

・・・というものなのです。

 

このナイーブな思い上がり、

および相反する価値をゴチャマゼにしてしまったら最後、

「はじめて生きられる」どころか

生きてゆくうえでの大変なデメリットになるのではないかと

想像してみようともしない単純さを指して

子供だというのですよ。

 

ただし井上さんの言葉は

小説か芝居の台詞かも知れない

(字面を見るかぎりそんな感じ)なので

井上さん自身が

このような考えの持ち主だったと断定することはできません。

 

自分が小賢しいガキにすぎないことを自覚できず

アウトローを気取っているだけのおバカな人物

作品に登場させた可能性だってあるからです。

 

したがって、

甘えであり子供のすることの中身は、

この場合、以下のように規定されます。

1)相反すると通常見なされる価値が、つねに相反していると信じ込む

2)それをゴチャマゼにする特権が自分に(だけ)あると思い込む

3)ゴチャマゼにすることにメリットのみを見出し、デメリットの存在を想定しない

4)ゆえに価値をゴチャマゼにしない世間の人々は、自分よりバカなのだと決めつける

 

よって大人の態度も、

この場合、以下のように規定できます。

 

1)相反すると通常見なされる価値も、必ずしもそうとは限らないとわきまえる

2)したがって、ことさらゴチャマゼにするまでもなく、価値は最初から混乱しているとわきまえる

3)そんな価値をいっそうゴチャマゼにすることにともなうデメリットを想定しておく

4)ゆえに価値をゴチャマゼにしない世間の人々の態度には、

  よしんば無自覚であっても知恵深いものがあるのではないかと考えてみる

 

これはたしかに保守の立場に通じると言えるでしょう。

 

後半部分については、長くなったので次回やりますが

参考文献としてはこちらをどうぞ。

 

『【新訳】フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』

フランス革命の省察

電子版で読みたい場合はこちら。

 

ではでは♬(^_^)♬