「FRONT JAPAN 桜」、いかがでしたか。

浅野久美さんの巧みなサポートもあって

うまく話が盛り上がったと思っています。

 

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「自分にとって、保守といえばファッションの『コンサバ』だった」

との発言は傑作でしたが

ここには単なるユーモアを超えたものがあります。

 

ファッションというのは

どんなものであれ

ちゃんと着こなせていなければならない。

 

いくら流行の服や

高価な服を着込んでも

着こなせていなければ

ファッションセンスがあるとは言わないわけです。

 

同様、政治的理念としての保守(主義)にしても

ただ唱えるだけでは十分ではない。

ちゃんと自分のものにしていなければ

保守のセンスがあるとは言えません。

 

このセンスがないまま

保守的なスローガンを叫んでいるのは

流行の服を

ろくに着こなせないまま身につけて

バッチリ決めたつもりでいるのと同じです。

 

つまりはダサい。

下手をすれば、変に格好つけないほうがマシという話にもなりかねません。

 

政治理念としての保守と

ファッションコンセプトとしてのコンサバの距離は

通常、思われているより近いのであります。

なにせエドマンド・バークも、こう言っているのですぞ。

 

「イギリス人は、試着もせず流行のファッションに追随するようなことはしない」(53ページ)

フランス革命の省察

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それはともかく。

 

番組でも紹介したジョン・ダワー教授の大著

『EMBRACING DEFEAT』

タイトルが持つ意味合いについて

ちょっと補足しておきましょう。

 

このタイトル、日本語では

『敗北を抱きしめて』となっています。

 

EMBRACE には抱きしめるという意味があるので

べつに誤訳ではありません。

ただし、本当に適切な訳と言えるかどうかは別の話。

 

敗北を抱きしめる、というと

何やら敗戦(およびその後の占領政策)について

日本人がいとおしく思っているような感じになる。

 

敗戦はともかく、占領政策をめぐっては

たしかにそういう側面もあるのですが

ダワー教授の言わんとしているところはちょっと違う。

本の序章にはこう書いてあるのですよ。

 

占領期の日本を取材したジャーナリストはむろん、

その後、占領期を研究した(注:アメリカの)歴史家にとっても

最大の関心事は

勝者たるアメリカが、敗者たる日本にたいして何をしたのか?

という点だった。

 

ごく最近まで、われわれは占領を「(注:日米両国の)抱擁」として考える発想を持っていなかったのだ。

日本人の側が、勝者たる占領軍のあり方や

その方針に影響を与えた可能性とか、

占領改革が「従来の日本のあり方を変えた」というより

「すでに存在していた民主化の方向性を後押しした」可能性については、

関心が払われてこなかった。

(24ページ)

 

敗北を抱きしめるというフレーズも、

こうなると意味合いが変わってくる。

ダワーが暗示しているのは

占領に抱きついたのはいいとして、

それは必ずしも純情なものではなく

打算をめぐらせつつ抱きついた側面もあるはずだ、ということだからです。

 

つまり『EMBRACING DEFEAT』

敗北を抱きこんで

とか

占領にからみついて

に近いニュアンスも持っている。

 

なぜそんなことをしたのか?

 

敗戦・占領を「からめ手」から乗り越えるためです。

からめ手とは、「相手の攻めやすい側面、すなわち弱点や(、)注意の届かない部分」の意(広辞苑)。

正攻法での抵抗が難しい以上、

とりあえずはアメリカに抱かれつつ

そのことで相手に影響力を及ぼそうとした次第。

 

けれども遺憾ながら

戦後日本はアメリカにからみつきすぎたあげく

自分と相手との区別がつかなくなった気配が濃厚。

抱かれているのか抱いているのか、よく分からなくなったあげく、

「負けて勝つ」が「勝って負ける」へとひっくり返ったのではないか?

 

というわけで例のごとく、

ここらへんの本を読んで下さい。

 

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『対論 「炎上」日本のメカニズム』帯付き書影

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なお浅野さんとは

12月20日にも「FRONT JAPAN 桜」で共演します。

ではでは♬(^_^)♬

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