人間に確固たる「自分」などというものはない。

われわれの中には

さまざまな「自分」の断片があるだけだ。

 

8月15日配信の記事

「人は複数の自分を生きる part1」で紹介した

ハムレットに関する

福田恆存さんのコメントを

私なりに要約すれば、こうなります。

 

ただしこれは、

人間はしょせん支離滅裂なものである

ということではありません。

 

福田さん自身、

続けて次のように書いています。

 

ハムレットの性格が

その言動だけから(では)判断できぬならば、

軽々にハムレットの性格などを規定せぬがいいのです。

が、それは

ハムレットに性格がないということではない。

むしろ、ハムレットが一つの性格として生きている

ということを意味します。

ハムレットはハムレット以外の何者でもありえぬように

立派に生きております。

(原文旧かな、表記を一部変更)

 

ハムレットの性格を言動から判断できないことが、

なぜ「ハムレットが一つの性格として生きている」ということになるのか。

 

福田さんの真意は、

おのれの中にあるさまざまな「自分」の断片の間で

どうバランスを取るかこそ、

本当の意味での「自分らしさ」である

ということなのです。

 

複数の『自分』を生きることができるなら、

自分探し、、なんてなくなるのでしょうね^ – ^

 

という Sayaさんの言葉の意味も、

こうなるとハッキリするのではないでしょうか。

 

ステージで Saya さんは

さまざまな歌を唄います。

 

歌というのは、ひとつひとつがドラマ。

一曲ごとに異なる人物が登場し、独自の人生を生きるのです。

 

それらの人物になりきることが

つまり「歌の世界を自分のものにする」こと。

 

ならば、一曲ごとにSayaさんは違う人間になるのか?

そうではありません。

 

さまざまな人物像の間で、どうバランスを取ってゆくか。

そこにこそ「Saya」という歌手の個性、

あるいは「Sayaらしさ」が出るのです。

 

Saya さんは Saya さん以外の何者でもありえぬように

立派にステージに立っています。

だから、芸術は人生を凝縮したものだと言うのですよ。

 

ではでは♬(^_^)♬