チャンネル桜の番組
「世界の現在〜西部邁氏を囲んで」
でも話題になりましたが、
舛添要一・東京都知事は
「セコく凡庸な悪人」という役柄を
とことん演じ切ろうとしているようです。
そもそも、水島社長によれば
舛添知事が公私混同で利用したレストランは
やはり2014年の都知事選に出馬するも落選し、
その後やはり公私混同を問われた元航空幕僚長が訪れていたクラブなどと比べると
まったく安い店なのだとか。
ついでに疑惑が発覚してからの対応が
いかんせん、よろしくない。
1)最初は高飛車に出る。
2)批判が高まると、一転して腰を低くする。
3)ただし肝心なことは何も言わない。
4)そして辞める気も見せない。
5)弁明だけが、どんどん苦しくなってくる。
どうにもなりませんわな、これは。
都議会での質疑では、ついにこんな発言まで出ました。
何人かの委員の方が不信任案を提出したいとありました。
極めて重く受け止めております。
私は伏して皆様方、都民の皆さまにお願いしたいことがございます。
それはもし、私への不信任案が可決された場合に、
法律上は私が辞任するか、議会を解散するかという選択を迫られます。
そうしますと、いずれにしても選挙ということになり、
その時期がどうしてもリオの五輪・パラリンピックに重なります。
知事として断腸の思いでありますのは、
次期開催都市でこういう選挙というのは
国家的大事業である2020年大会にとって極めてマイナス。
もちろん、これは自分が発端であることは重々承知しております。
そういう思いで、どうか少しの猶予をいただきたい。
それは私が知事の座に連綿としてしがみつくということではなく、
私はすべての給料をご辞退申し上げて全身全霊、都民のため働きたいと思っております。
そして今、知事として選挙ということになると、
リオと重なりますのでそういうことは公益にそぐわないと。
そういう極めて厳しい判断をしているところでございます。
「知事の座に連綿としてしがみつくということではなく」
と、ついつい言ってしまうところに
ホンネが浮き彫りになっていたりするのも面白いのですが、
一番面白いのは、
リオ五輪が開催されるときに都知事選をやるのは
2020年東京五輪にきわめてマイナスなので公益に反する
というくだり。
リオ五輪の開催国であるブラジルでは
目下、ルセフ大統領が弾劾裁判を受けているのですぞ。
むろん、職務は停止中。
それどころか、裁判の結論は五輪開催中に出る予定です。
リオ五輪の途中で、
大統領が失職という事態もありうるのです!!
ついでにブラジルでは、ジカ熱まで流行中。
にもかかわらず、五輪はきっちり開催されるのですよ。
開催期間が都知事選と重なったら何だというんですかね?!
今や都議会では
知事の発言中、傍聴席から失笑がもれると伝えられますが
これでは致し方ないでしょうね。
とはいえ、同じくらい失笑ものなのが
この問題をめぐって
ある民進党幹部が発したとされるコメント。
いわく、
選挙演説で一番反応が良いのは舛添問題。
失礼ながら、それって
民進党の他の主張は有権者にアピールしていない
と認めたようなものじゃないですかね?
さすが、始まる前から終わりきった党(©平松禎史さん)!!
どうも7月の参院選は
かなりダレた選挙になるのではないかと予想されます。
ではでは♬(^_^)♬
5 comments
福岡ワマツ says:
6月 15, 2016
「総括」が足りないのでは。
東京都知事に関する報道に接するに度にそう思います。
どのような総括かというと、「なぜあんな人が都知事に就任したのか」という点です。。それは、選挙で選任されるように方向付けた者がいて、選挙で選任した者がいるからでしょう。
具体的には次のような方々。
①政党関係者。
(例えば、推薦した公明党都本部と自民党都連)
②マスメディア
(特に「社会の木鐸」を自認するご立派な方々)
③有権者
(ご立派な「民意」を示された崇高なる主権者様方)
それらの方々が自身らの態度のあり方を反省し、その誤りについて責任をもって筋を通すことなしには、再選挙になるといえども、同様のことが形を変えて繰り返されるだけではないかと思います。
喩えるなら、都政劇場のアンコールといったところでしょうか。もしくはロングランなのかもしれませんが。
そろそろ演目の変更を検討する頃合かもしれません。
SATOKENJI says:
6月 15, 2016
たしかにロングランは、キャストを定期的に入れ替えないと持たないんですよね。
Guy Fawkes says:
6月 16, 2016
今回の舛添都知事の一件は私にとって“またしても”「現実の否認」の既視感を思わせるものでした。
先にコメントされております福岡ワマツさんの仰る様に選挙からの都知事就任、そして今回の公費乱用の一件から辞任…
ここに感じるのはこの過程の一から十まで全ての当事者(政党関係者・マスメディア・有権者)に漂う、
いつか見た光景の「できればなかった事にしたい」という願望。
思えば「総括」という名を冠した行為を実行していたのは連合赤軍でしたか、自分達の主体性を担保し得ない理想の果てが
あの末路と思うと今回の騒動や今までの出来事に大袈裟でなく共通する様でなりません。
我々が戦後70年以上の時を懸けて経済的繁栄と引き換えに吐瀉してしまったのは誰にでも付き纏う虚構なのですね。
SATOKENJI says:
6月 16, 2016
主体性と総括については、「夢見られた近代」収録の評論
「イノセンスという呪縛」
「銀河鉄道の堂々めぐり」
で詳しく論じています。よろしければどうぞ。
http://amzn.to/1JPMLrY
玉田泰 says:
6月 16, 2016
何回か前に、変革期にあると思われる僕は、保守思想に拠って自己否定しなければならないか? と言う趣旨の質問の書き込みをしましたが、お答えはありませんでした。そこで自分なりに先生の著書に答えを探しました。
保守主義とは「長年にわたって続いてきた、維持すべき社会システム」存在を前提にしなければ成立しません。=愛国のパラドックス
成る程、変革と保守は両立し得ないのですね。
ですが、今の自分の変革期がただの思い付きの浮ついた進歩主義的な妄動だとは思えないのです。言わば数十年かかってようやく脱皮の準備が終わった感じです。現状の僕にとって、長年自らに刷り込んできた洗脳を解くために、抜本的変化は必要ではないか、と思います。この先を生きていく上での、反射神経に近いレベルでの自己の上書きの必要性を感じます。
ですから精神、肉体両面での変革を否定せずに行こうと、考えてみることにしました。
そこで、自己洗脳の象徴である喫煙を止めてみようと思います。まあ、ただの禁煙ですね(笑)
それだけのことですが、精神的、肉体的刷り込みをいかに克服出来るかは、僕にとって重要な自己観察であり人体実験です。そして自ら「保守を体現」することが可能かの重要な鍵です。
禁煙を楽しむことが出来るかが、重要な精神構造のリセットだと考えます。
ここまで書いてきて、先生が返事を下さらなかった理由がわかる気がします。一見、進歩主義的ですよね。