先日、ある映画の試写に行ってきました。
2016年のノルウェー映画で、
「ヒトラーに屈しなかった国王」。
(↓)プレスシートです。
エリック・ポッペという監督の作品で、
1940年4月9日、
ナチス・ドイツがノルウェーに侵攻した際の
国王ホーコン7世の行動を描いています。
ほぼ完全に史実通り、とのこと。
ドイツの圧倒的な軍事力の前に
ノルウェーはどんどん制圧されてゆく。
ホーコン7世は、政府閣僚とともに
首都オスロを脱出するものの、
ヴィドクン・クヴィスリングという政治家
(ファシズム政党「国民連合」党首)がクーデターを決行、
親独臨時政権の樹立を宣言する始末。
これによって「クヴィスリング」(英語読みならクウィズリング)は
売国奴の代名詞になると言うか、
クヴィスリングと言えば「売国奴」を意味するようになるのですが
それはともかく。
ノルウェー駐在のドイツ公使ブロイアーは
クヴィスリングを軽蔑していたものの、
本国からの命令で
ホーコン7世に降伏を求める。
ちなみにブロイアー公使、
ベルリンに内緒で降伏文書案を書き換え、
降伏を受け入れたとしても
ホーコン7世がクヴィスリング政権を承認せずにすむようにするなど、
なかなか面白い行動も見せます。
マジでクヴィスリングを嫌っていたんですね。
ホーコン7世と避難先で会見したときなど
「あれはくだらない男です。私も軽蔑しています」と
面と向かって言ったくらいですから。
他方、ホーコン7世は
ヒトラーには絶対に降伏したくない。
ところがノルウェーは立憲君主制の国。
国王は「君臨すれども統治せず」で
政治的実権を持っていないのです。
降伏を拒絶するのはいいとして、
その意志を政府に押しつけていいのか?
ついでにノルウェーが独立したのは1905年と、ごく最近。
ホーコン7世はその際に即位したのですが
じつはノルウェー人ではありません。
デンマーク人なのです。
国王とはいえ、
外国人がそこまで国の命運を左右する決断をしていいのか?
結局、ホーコン7世は
自身の退位どころか
ノルウェー王室の消滅を覚悟のうえで
ドイツへの抵抗を宣言します。
現在のノルウェーでは
この宣言こそ自国の民主主義の礎と見なされているのですが
ここにはきわめて興味深いパラドックスがあると言えるでしょう。
だからというわけではないものの、
映画の製作会社名も「パラドックス」(ホント)。
・・・上映後、
会場には来日していたポッペ監督が登場、
挨拶につづいて質疑応答となったので、
私は英語でこうたずねました。
製作会社の名前ではないが、
この作品のテーマは「望ましい政治をめぐるパラドックス」だと思う。
ホーコン7世の宣言が、
独立まもないノルウェーのナショナリズムを強めるうえで
大いに貢献したのは疑いえない。
だがホーコン7世は外国人ではないか。
ナショナリズムが外国人によって強められるとはどういうことなのか?
またホーコン7世の宣言が
ノルウェーの民主主義を守るうえで重要だったのも確かだろう。
だが当の宣言自体は
「君臨すれども統治せず」の原則を破り、自分の意志を政府に押しつけた点で
反民主的どころか、下手をすれば憲法違反の疑いがある。
民主主義が反民主的な方法で守られたことについて、
監督はどう考えるのか?
実際、自分の退位どころか
王室消滅を覚悟でヒトラーへの抵抗を説くという振る舞いは
エドマンド・バークなら卒倒すること請け合い。
『フランス革命の省察』には、しっかりこう書いてありますからね。
(どんな王であれ)自分ひとりが退位することはあっても
王政そのものを廃止する権限はない。
大丈夫か、ホーコン7世?!
(↓)本書48ページをどうぞ。
ポッペ監督がこれにどう答えたかは
いずれ詳しく書くつもりですが
「望ましい政治をめぐるパラドックス」に関する指摘には完全に賛同、
「非常に良い質問だ」と言ってくれました。
(↓)監督にもらったサインです。
もっとも製作会社の名については
映画の内容にちなんだわけではなく、
20年前から「パラドックス」なんだ、とのこと。
ポッペさん、若い頃はロイターなどの報道カメラマンをしていたそうですが
社会を見る目が鋭い人なのでしょう。
『ヒトラーに屈しなかった国王』は、
12月16日より
シネスイッチ銀座をはじめ、全国順次公開予定。
興味のわいた方は、ぜひどうぞ!
ノルウェーでは国民の7人に1人が見るという
大ヒット作になったとのことですが
今上陛下の譲位も正式に決まったおり、
わが国の今後のあり方を考えるうえでも
有意義な作品ですよ。
とはいえわが国の現状は
ご存じ、『右の売国、左の亡国』。
左右を問わずクヴィスリングだらけってか?
そりゃ、炎上もするわな。
ではでは♬(^_^)♬
11 comments
マゼラン星人二代目 says:
12月 10, 2017
>だがホーコン7世は外国人ではないか。
>ナショナリズムが外国人によって強められるとはどういうことなのか
国民統合の原理は当の国民自身の外に、何らかのかたちで「非国民」として存在するよりほかはない。
逆をいえば、
>とはいえわが国の現状は
>左右を問わずクヴィスリングだらけってか?
国民というのはどの部分をとっても必ずや他の誰かにとっては都合のわるい存在たらざるを得ず、誰ひとりとして「クヴィスリング」「足利尊氏」たるを免れる者はない、
的な理屈が一応つけられそう。
マゼラン星人二代目 says:
12月 11, 2017
>理屈が一応つけられそう。
だけど、実のところ、そういう理屈にあまり納得していない。
>ホーコン7世は外国人ではないか
それを言うならヒトラーだって、ノルウェーにとってはもちろん、当の(近代)ドイツにとって、(本人の自意識は別として)「外国人」なわけだが。
そういう国籍問題など本当のところどうでもよくて、「ファシズムと民主主義のたたかい」という(国際主義的な)連合国史観に素朴な信頼を寄せといていいんじゃないでしょうか。(自国民の政策であってもヤなものはヤだ、青い目の制定した憲法でも尊いものは尊いという、それこそ「敗北を抱きしめて」的な論理)
>民主主義が反民主的な方法で守られた
もちろん、ここでいう「民主主義」とはいわゆる「戦う民主主義」のことです。
>「戦う民主主義」
「我が闘争」ひとつ出版するにも難儀する、国によってはワーグナーを上演してはいかん、とかそういう窮屈な面もある民主主義。
GUY FAWKES says:
12月 10, 2017
>製作会社の名前ではないが、この作品のテーマは「望ましい政治をめぐるパラドックス」だと思う。
ホーコン7世の宣言が、独立まもないノルウェーのナショナリズムを強めるうえで大いに貢献したのは疑いえない。
だがホーコン7世は外国人ではないか。ナショナリズムが外国人によって強められるとはどういうことなのか?
>またホーコン7世の宣言がノルウェーの民主主義を守るうえで重要だったのも確かだろう。
だが当の宣言自体は「君臨すれども統治せず」の原則を破り、自分の意志を政府に押しつけた点で反民主的どころか、
下手をすれば憲法違反の疑いがある。民主主義が反民主的な方法で守られたことについて、監督はどう考えるのか?
なんだかホーコン7世の行動や信念にはホセ・マルティ、サイモン・ボリバールに並ぶラテンアメリカの英雄の
エルネスト・チェ・ゲバラのに似たものを感じますね(ゲバラはアルゼンチン人でキューバ人ではなかった)
ソダーバーグ監督作品のチェ二部作を思い出します、政治体制は立憲君主制と共産党独裁とまるで正反対ですが…
それにしても、ホーコン7世を演じる主演俳優さん…イェスパー・クリステンセンさんではないですか!!
(6代目ジェームズ・ボンドであるダニエル・クレイグの007作品にスペクター幹部であるMr.ホワイトとして出演)
ご存知かもしれませんが、ポッペ監督によればクリステンセン氏は一昨年の007映画『スペクター』の撮影のために
一度はオファーを断ったそうですが、どうしても出演してほしいポッペ監督は同作監督であるメンデス氏に
撮影時は白い髭を生やす様に頼み込んだそうですね。
https://natalie.mu/eiga/news/256600
主演俳優を幽霊と勘違い!?「ヒトラーに屈しなかった国王」監督が撮影秘話明かす
ホワホ says:
12月 14, 2017
古来からそんなものでしょう
古い時代のスティリコなんぞも
敵対してる相手にルーツを持っていたのにローマ側で居続けましたし
むしろ、何故、これに何故と思うのか?を考えた方が面白いかもしれません
メイ says:
12月 14, 2017
ヒトラーか・・。
子供の頃、NHKの人形劇「プリンプリン物語」というのがありました。最近、再放送をやっているので懐かしくてつい観てしまう。当時、凄く強烈で、気持ち悪かった登場人物「ルチ将軍」のモノマネが学校で流行っていたんです。ヒトラーというと「ルチ将軍」をちょっと思い出してしまう。ヒトラーだけではなく色んなイメージが混ざっていると思うのですが。
ルチ将軍は、軍事国家「アクタ共和国」という架空の国の独裁者です。アクタ共和国の国家が、すっごく可笑しかった!
「世界で一番優れた民族、アクタ、アクタ共和国。命令絶対、規則はいっぱい、アクタ、アクタ共和国ー!」という歌詞なのですが、歌と共に戦車に乗って現れ、「私の知能指数は1300!(だったかな)」と豪語するのです。
子供たちはそれを観て、皆ゲラゲラ笑って学校でモノマネをしていたんです。
これからも、そういう事にゲラゲラ笑える国でなくちゃいけないな・・と思っています。
メイ says:
12月 14, 2017
訂正:アクタ共和国の国家が、すっごく可笑しかった⇒アクタ共和国の「国歌」がすっごく可笑しかった。
すみません。
レギーム作 says:
12月 16, 2017
>ノルウェーでは国民の7人に1人が見るという
大ヒット作になったとのことですが
これは日本なら約1814万人が見たってことになるんだぜ!ってとるべきなのか、
170人くらいが見たんスよ、ってとるべきなのか、
という冗談はさておき(もちろん前者だろ)。
そういえば少し前、被爆者のお歴々がオスロに行ったそうですね。
これは自分が知らないだけなのかもしれませんが、
あの手の方々からほとんど核シェルターの話を聞いたことがありません。
オスロでの演説の中にも出てませんでした。
核兵器廃絶という理想があるゆえ、
核シェルター施設の配備なんぞはヒヨった考えだってなっちゃうのでしょうかね。
そうだとすると、核兵器廃絶という構えはパッと見平和そうで、逆に危険ですね
(映画と全く関係なくてスイマセン)。
レギーム作 says:
12月 16, 2017
×170人くらいが
〇170人に1人くらいが
×オスロでの演説の中にも出てませんでした。
〇出てきませんでした
訂正多くてスミマセン・・・。
SATOKENJI says:
12月 16, 2017
目下、政府が導入を検討している巡航ミサイルには、ノルウェー製の「JSM」もあります。
リベラル系のインテリの中には、「ヒトラーに屈しなかった」という点をもって、
この映画を戦前批判の文脈でとらえようとする向きもあるようですが、大笑いと言わねばなりません。
マゼラン星人二代目 says:
12月 18, 2017
>「ヒトラーに屈しなかった」という点をもって、
>この映画を戦前批判の文脈でとらえようとする
映画をみてないうちから言うのも何ですが、それも、作品自体にそういう解釈を許す要素が多分にあってのことではないでしょうか?
「いい者と悪者」の図式がはじめからカッチリ決まってて、ちょっと凝ったつくりだけど結局は勧善懲悪、製作者自身もさしたる疑問も抱かずにそうした構図に存外安直に寄りかかってる、という側面はなかったのでしょうか。
tinman says:
12月 19, 2017
御礼を言いたい気持ちでいっぱいだけど、やっぱり黙っておこうと思います。
せっかく遠回しに伝えられているのだから。
なので、この記事の自分のコメントは削除してください。
だいぶ前の記事ですが、修正しました。
すぐ直したかったのですが、19日の経路依存にかかってしまいました。
申し訳ない。