昨日の記事
「【イブセキヨルニ・ギャラリー】平松演出の魅力をさぐる」
について、
平松監督ご自身からコメントをいただきました!
メインタイトルの映像、
文字通り暗雲が「エイジア」から日本に押し寄せている点が、
ヒッチコック風だという点について(↓)。
© さかき漣 © nihon animator mihonichi LLP.
ヒッチコックの暗雲の演出ですと「疑惑の影」がもっとも直接的でしょうか。
この映画の主人公であるチャーリー(チャールズ)伯父さんは
姪で同じ名前を持つチャーリーと
その母(つまりチャールズの姉)家族の「希望の星」として登場します。
しかし、映画冒頭で示されるように、
彼は詐欺師で未亡人連続殺害魔で指名手配中の身なのです。
それと知らずに、チャーリー(注:姪のほう)は
退屈さに行き詰まった家庭(まるで大阪市?)を救ってくれる救世主として
チャーリー伯父さんを迎えるのです。
その駅のシーンで、蒸気機関車の煙が駅のホームを真っ黒に染めていく場面は、
(注:この列車にはチャーリー伯父さんが乗っています)
無邪気な期待がチャーリー自身(注:これも姪のほう)を危機に陥れる不吉な予兆になっています。
…という場面を意識したわけではないんですが、
やはり影響はあるかもしれませんね(^_^;)
照れることはありません、平松さん。
ヒッチコックは映画演出における
ヨハン・セバスチャン・バッハとも言うべき存在。
影響を受けているのは、それだけ平松さんの演出が正統派だということなのです。
それはともかく。
ヒッチコック監督、
フランソワ・トリュフォーとのインタビューで
これが意図的な演出であることを認めています。
いわく。
トリュフォー あの黒い煙は、悪魔が町にやってきたという暗示ですね?
ヒッチコック ずばり、その通りだ。
(「HITCHCOCK/TRUFFAUT」、154ページ。拙訳。
日本語版は「ヒッチコック 映画術」という題名で、晶文社から出ています)
ところが「疑惑の影」で面白いのは
この悪魔ことチャーリー伯父さんが、
観客の共感を呼ぶこと。
トリュフォーはこれについて、
「たぶん、未亡人たちを殺す場面が出てこないからでしょう」
とコメントする。
すると巨匠いわく。
それも一つの理由だろう。
だが忘れてはいけないのは、
チャーリー伯父さんは自分なりの正義を持った殺人鬼だということだ。
破壊こそわが使命という信念を持った人物なんだよ。
もしかしたら未亡人たちは
殺されても仕方ないような連中だったのかも知れない。
それは十分にありうる。
だとしても、チャーリー伯父さんに彼女たちを殺す資格はなかった。
殺されても仕方ない連中だからといって、好きに殺していいことにはならないんだ。
映画はこれについて裁きを下す。
チャーリー伯父さんは最後には滅んだだろう?
(153ページ)
・・・このコメント、何かを連想させませんか?
そうです。
5/22の記事「福田恆存の劇的精神」で述べた
〈 「敵」が間違っていることは、自分の正しさをつねに保証する〉と考えるのは誤りだ
という論点。
さらに
殺されても仕方ない連中だからといって、好きに殺していいことにはならない
というヒッチコックの言葉は
現体制に問題があるからといって、全部ぶち壊していいことにはならない
というエドマンド・バークの主張ともよく似ています。
一流は一流を知ると言われますが、
このつながり、興味深いものがありますね。
大エイジア連邦を否定した「自由革命」が
日本をさらにぶち壊すという「イブセキヨルニ」の展開も、
こう考えるといっそう意味深長。
というわけで、こちらもどうぞ!
そして、こちらも。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
シャルレ says:
5月 24, 2015
チャーリーという名前には
ネイティブにしか通じない
暗喩があるのでせうか。。。
それとも
ヒッチコックの思い入れがあるのか、、、
ワタシのような
アホな
日本人のインタビュアーとしては
そこを突きますけど、、
SATOKENJI says:
5月 24, 2015
男性名だが、女性名(とくに愛称)としても通用する、ということで
脚本のソーントン・ワイルダー(有名な劇作家)が選んだものと思われます。
伯父と姪がともに「チャーリー」であることが、「疑惑の影」の大きなポイントなので。
シャルレ says:
5月 24, 2015
丁寧な回答をいただきまして
ありがとうございます。
納得いたしました。
technopoa says:
5月 24, 2015
佐藤の過去の水島・チャンネル桜批判の件についてチャンネル桜側に注進してた馬鹿がいたと聞いている。しかし今現在も水島社長と良好な関係を築けているということは利害を超えた深い結びつきが佐藤-水島両者にあるということなのだろうか。