日本の現状を

いくら憂えているからといって、

反日マスコミや敗戦利得者ネットワーク、

あるいは戦後体制(戦後レジーム)に関し、

「解体!!」

を叫ぶことが、

保守主義本来の姿勢とはまったく相容れないことについては、

すでにお分かりいただけたでしょう。

 

ちなみに、かの水島社長は

例の討論会「異変? 日本文化の現在」で、

現政権の言葉づかいをめぐる私のコメントに たいし、

政治家の言葉づかいと、

言論人の言葉づかいを同列に論じることはできない

という趣旨のことをおっしゃっていましたが・・・

 

失礼ながら

いったい何を勘違いしているのですかね?!

 

この発言、

言論人の言葉づかいは、政治家よりしっかりしている

ことを自明の前提のごとく見なしています。

しかし、そんな根拠がどこにあるか。

 

否、

政治家と比べても、とんでもない言葉づかいを平気でしている言論人が少なからずいる。

これが実情でしょうに。

 

政治家を弁護するふりをして、ひそかに見下すのはやめていただきたい。

あまり現実に直面できずにいると、本当に草莽から見放されますよ。

それはともかく。

 

安易に「解体」を叫ぶことの真の問題は、

じつはこの先にあるのです。

 

というのも、そのような主張には

物事を良くするためには

まずいったん、物事を解体する必要がある

という前提がこめられています。

 

さあ、これを

日本を変えてゆくための国民運動

に当てはめてみましょう。

すると、こうなります。

 

日本を変えてゆくための国民運動を

良くするためには、

まずいったん、当の国民運動を解体する必要がある!!

 

もう、お分かりですね。

解体の推進とは

内ゲバを奨励する論理にほかならない。

 

だからこそフランス革命いらい、

左翼(=世の中のあり方を積極的に変えたがる人々)の歴史は、

そっくりそのまま

えんえんたる内部抗争の歴史でもあったのです。

 

最近、保守派の中でも内部抗争が目立つのは、

その意味で必然の帰結にすぎません。

 

本当に保守を名乗りたいなら、

戦後体制を解体することなく

より良い方向に変えてゆくことを考えねばならないのです。

 

バークの言葉ではありませんが、

「解体」を安易に叫ぶ者は、

この困難な課題に直面できず

現実逃避を図っているにすぎません。

 

そしてバークは、こうも述べています。

 

困難というやつ、

一時的にかわすことはできても、

完全に避けて通ることはできない。

いずれは直面せざるをえなくなるものの、

そのときには問題がいっそう深刻化している。

事態は混迷の一途をたどり、

何の展望も見えないまま、

えんえんと苦労しなければならない。

(「新訳 フランス革命の省察」195ページ)

 

この本ですよ。

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友人を解体するのも、

祖国(戦後体制を含む)を解体するのも、

犯罪的愚行という点では何も変わらないのです。

 

最後もバークで締めましょうか。

 

世の中には(中略)

祖国をズタズタにして平気な者たちも存在する。

 

こういう手合いは黒魔術を信奉しているらしい。

バラバラになった親の死体、

もとへ国家の残骸を、

「改革」という名の大釜に放り込み、

毒草を加えて呪文を唱えるだけで、

すべてが元通りに復活すると思っているのだ。

(130ページ)

 

なるほど、

だからナントカの悪魔が気になって仕方ないんだな。

これまた「投影」というわけだ。

 

ではでは♬(^_^)♬