昨日の話のおさらいを。
アメリカ独立革命に関し、
トマス・ペインとエドマンド・バークは
賛成という立場で一致しました。
しかしフランス革命となると、
ペインが賞賛したのにたいし、
バークは徹底的に批判します。
──人間、意見が合わないときだってあるさ!
そう割り切れば話は早いのですが、
現実にはそうなりません。
バークに反論せねば!
こう考えたペインが1791年から1792年にかけて発表したのが、
「人間の権利」。
ところがペインという人、
基本がアジテーターなんですね。
つまり激烈な表現を好んで使う傾向がある。
「人間の権利」を発表したことで、
ペインとバークの友情はみごとに崩壊しました。
のみならず。
「人間の権利」でペインは、
王政をさんざん批判します。
これがまずかった。
イギリス政府から反逆者扱いされるんですね。
そのころペインはフランスにいたわけですが、
結局、イギリスには戻れなくなってしまいました。
とはいえ、捨てる神あれば何とやら。
革命下のフランスで、ペインは英雄として扱われ、
議会の議員にも選ばれます。
フランス語がたいしてできなかった、と言われるにもかかわらずです。
──それならそれで良いのでは?
と思うでしょう。
ところがどっこい。
ちょうどこのころから、
フランス革命はどんどん過激化してゆきます。
そして行き着くのが、
誰彼かまわぬ粛清の嵐、
いわゆる恐怖政治(テロル)。
恐怖政治のリーダーだった
マクシミリアン・ロベスピエールなど、
議会でこう断言しました。
正義なきテロルは忌まわしい。
だがテロルなき正義は無力だ!!
ちょっとアレンジするとこうなります。
われわれのギロチンは、
革命に反対する悪魔を倒す!!
こうなると、物事は歯止めがなくなってしまうんですね。
過激化した革命政府は、
どこにでも「悪魔」を見出すようになります。
パリではギロチンがフル稼働。
朝から晩まで、人々の首を切り落としていたとか。
さあ、ペインは大丈夫か?
つづきは明日のブログをどうぞ。
ではでは♬(^_^)♬