謎の中国系アメリカ人にして

自称「れっきとした反日工作員だが、陰謀論大好き」という

わが悪友・黎夢諾。

 

8月18日配信の記事「黎夢諾、表現者を語る!」

彼はこう書いています。

 

「表現者」でイケる者は

知的欲求と性的欲求がみごとにシンクロしている点において

デカルト的な心身二元論を超越した

真の知性の持ち主と言えぬだろうか。

 

・・・おい夢諾、

お前、日本人をホットドッグにしようとしているんじゃないだろうな?!

 

と言ったところ、

こんな返事がきました。

 

知性(インテリジェンス)と

セックスの語源をそれぞれチェックしてみろ。

 

やってみました。

まずインテリジェンスから。

 

リーダーズ英和辞典によれば

intelligence の語源は

「選ぶ」「理解する」という意味のラテン語 intelligo.

 

なるほど、

さまざまな情報の中から

適切なものを選び取るのが

知性の重要な役割です。

 

ならば sex の語源は何か。

ふたたびラテン語です。

Seco という言葉ですが、これは「分ける」という意味。

 

面白い!

「分ける」ことと「選ぶ」ことは表裏一体です。

 

というより、

最初に分けておかなければ

選ぶことはそもそもできない。

 

闇鍋で具を選ぶことができるか?

という話ですな。

 

となるとセックスは

インテリジェンスの前提条件という話になる。

 

いや、分析するという行為それ自体が

性的な含みを持っていることにならないか。

 

分析を意味する英語「アナリシス(analysis)」の語源は

ラテン語・ギリシャ語の ana-lusis とのこと。

これは「解き放つ」「自由にする」という意味です。

 

けれども性行為という意味のセックスは

肉体的な相違を明確にすることで

その相違を超越する

という含みを持つはず。

 

黎夢諾は正しい。

セックスとインテリジェンスには、密接なつながりがあるのです。

知性もまた「性」の一種、

そう言えるのではないでしょうか。

 

ではでは♬(^_^)♬