「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

先日、観てきました。

 

1985年の「マッドマックス サンダードーム」以来

30年ぶりの新作となりますが、

いや、すごいすごい。

 

早い話、

2時間にわたって

カーアクションがえんえん続くのですが

まったくダレることなく

最後まで突っ切ってくれるのです。

 

最初の30分〜40分だけで

今までのマッドマックス映画1本分に匹敵するほどの見せ場がある。

それが序盤にすぎないのですぞ。

 

詰め込まれたアイディアの量たるや圧倒的。

アクションのディテールなど、1回観ただけではつかみきれないぐらい。

ほとんどやりすぎの感すらありますが

やはり傑作です。

 

「タイタニック」「アバター」といった

ジェームズ・キャメロン監督の作品、

あるいは平松禎史さんも絶賛の「ダークナイト」同様、

第一級のエンターテインメントには「フルコース的な分厚さ」が必要ということを

実感させてくれました。

 

唯一、気になったのは

3D上映だったわりに、立体効果が大して出ていなかったこと。

次に観るときは2D版にします。

 

それはともかく。

 

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

文句なしで世界に通用する娯楽大作でしたが

わが国の映画界も、「世界に発信する」という言葉が大好き。

最近は政府まで、このフレーズが気に入っているようです。

 

しかるに気になるのは

日本の場合、「世界に発信すること」が

「英語化を推進すること」とイコールになるのではないか、という点。

 

なにせ今や、「スーパーグローバル大学創成支援」として、

英語による講義の比率が高い大学ほど、多額の補助金を出すことが行われているのです。

 

「スーパーグローバル・シネマ創造支援」として、

最初から英語で撮影される映画の企画に、多額の補助金を出すことだって

行われるかも知れないではありませんか。

 

というわけで、

本日の「新日本経済新聞」ではこの点を取り上げました。

タイトルは「『野火』が英語で撮影されていたら」。

ぜひご覧ください。

 

付記しておけば

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

スーパーグローバル・シネマと呼ぶべき仕上がりになっているのは

べつに台詞が英語だからではありません。

ありったけの知恵をしぼって、内容にフルコース的な分厚さを持たせたからです。

 

だいたいこの映画、

台詞が非常に少ないんですよ!

それが何語かなんて、完全に二次的な問題でしょう。

 

ではでは♬(^_^)♬