5月30日の記事

「オバマ広島訪問と戦後脱却」では

核廃絶論者であるアメリカのオバマ大統領が

現職の大統領としては初めて広島を訪れたことを取り上げました。

 

この訪問からは

1)日米両国が、原爆投下という過去の悲劇を乗り越え、核のない世界をめざして緊密に連携した

または

2)原爆投下に関するアメリカの正義が完全に確立されたことで、同国にたいする日本の従属がいっそう深まった

という、二つの異なる意味合いを読み取ることができます。

 

むろん、

アメリカへの従属に徹することこそ

日本が過去の悲劇を乗り越える道であり、

核のない世界をめざす正しい方法である!

と考えれば、

(1)と(2)は矛盾しないのですが

これは相当にプライドのない発想と言われても仕方ないでしょう。

 

ついでに指摘したいのは

原爆投下から70年以上経っているのに

今なお広島を訪れるだけで

核兵器のもたらす惨禍について認識が新たになるのか?

という視点が、

私の知るかぎり提起されなかったこと。

 

すなわち

オバマは本当の意味で、広島で何かを見たのか?

という話です。

 

フランスの監督アラン・レネは、

原爆投下からわずか14年後、

1959年に発表した映画「二十四時間の情事」

すでにこの視点を提起していました。

 

「二十四時間の情事」の原題は

ヒロシマ・モン・アムール(広島わが愛)。

 

原爆をテーマにした映画の撮影で

広島を訪れたフランス人女優が、

現地の日本人男性と行きずりの恋に落ちるという話です。

 

この女優は第二次大戦中、

ドイツの兵士と恋に落ちたことで

故郷を追われた過去の持ち主。

 

十数年の時を経て、ふたたび旧敵国の人間と愛し合うわけですが・・・

 

映画の序盤、有名な台詞のかけ合いがあります。

広島のさまざまな光景(たいがいは原爆関連)の映像に

私は広島でこれを見た、

私は広島であれを見た

という女優の声がかぶさる。

 

ところがそれにたいし、日本人男性の声がフランス語で

君は広島で何も見なかった、

君は広島で何も見なかった

と、いちいち否定するのです。

 

「二十四時間の情事」のシナリオを書いた作家

マルグリット・デュラス

自分の脚本について

「広島について書くことは不可能であることを証言する初めてのテクスト(作品)」

と語っていますが、

まさにここで提起されているのは

重大な出来事は

重大であればあるほど

その本質は直接、経験した人間にしか理解できず

したがって、いかに記録を克明に残したところで

時間の経過とともに、誰にも分からなくなる

という点にほかなりません。

 

物を書くとは

何らかの事柄について

不特定の第三者に理解させようとする行為ですから

そう考えればデュラスの言うとおり

広島について書くことは不可能のです。

 

「二十四時間の情事」、

たしか初の日仏合作映画でもあったはずですが

1959年の段階で

こういう視点が存在したのですよ。

 

2016年の現在、

それからさらに半世紀以上が過ぎました。

しかもオバマは

原爆を落とした国の指導者にして

そのことについて謝罪する気のない人物。

 

それが広島を訪れ、

原爆資料館を視察したあと

核廃絶を訴えるスピーチをしたからといって

彼が現地で何かを見たと本当に言えるでしょうか?

 

デュラス風に言えば

1945年8月6日に起きたことの本質について

自分は決して知りえないと自覚することだけが

広島で何かを見るということなのです。

 

その意味で「二十四時間の情事」の日本人男性は

フランス人女優の言葉をただ否定しているのではなく

彼女が本当に広島を見るよう仕向けている

解釈することもできるでしょう。

 

オバマは広島で何も見なかった、

見たつもりになって帰っていっただけだ。

核廃絶にたいする彼の熱意が本物だとしても、そうなのだ!

今や誰であれ

広島の真実など知りえないと自覚しないかぎり

広島で何かを見ることはできないのだから。

 

この視点を提示できないようでは

広島の悲劇にたいするわれわれの主体性は

半世紀前のアラン・レネや

マルグリット・デュラスに比べても

後退していると言わねばなりません。

 

ではでは♬(^_^)♬