ハッキリ言ってしまいますが、

日本のインテリの大部分は

知的にかなりいい加減です。

ずばり、不誠実な人も少なくない。

 

小松春雄先生の例は、

決して特殊なものではありません。

 

せっかくです、もう一例挙げておきましょう。

 

ベルナルド・ベルトルッチ監督の

『ラストタンゴ・イン・パリ』をめぐって

ある有名な評論家が書いた文章。

 

この評論家さん、

イギリスの新聞「イブニング・スタンダード」の記事を

以下のように引用します。

 

『ラストタンゴ』のクレジット・タイトルは、

(注:厳密にはオープニング・タイトル)

フランシス・ベーコンの二枚の肖像画の上にうつし出される。

彼の影響は、作品の中にも顕著である。

「そうです。私にはベーコンが重要でした。

彼が私に(作品が持つべき)フィーリングを教えてくれたのです」

ベルトルッチは言った。

 

ここまでは、まあ良い。

いや、本当は良くないのですが、まだ致命傷ではない。

致命傷はその次。

評論家さん本人の文章です。

 

ベーコンがイギリスの哲学者であり、

事実を基盤とする経験論的な帰納法を主張したことは

いうまでもあるまい。

「この世界におけるいかなるものといえども

人間の研究と探求の対象たらざるをえない」

と主張する彼(ベーコン)は、近代思想の祖でもある。

(「世界の映画作家」第21巻より。キネマ旬報社、1973年)

 

ご立派。

じつにご立派です。

なにがそんなにご立派か。

 

「イブニング・スタンダード」の記事に出てくるフランシス・ベーコンは、

哲学者のベーコンではないのですよ!!

 

アイルランド出身の、同姓同名の現代画家。

したがって評論家さんの解説は、自動的にすべてナンセンスとなります。

 

しかも。

ベーコンの絵は抽象画でこそないものの、

人物が極端にデフォルメ(形を崩して描かれること)されている。

 

いわゆる「肖像画」でないことは、見ればすぐ分かります。

 

裏を返せば、引用文中の「肖像画」という言葉は

「portrait(人物画)」のコジツケ的誤訳に違いないのですが、

これは何を意味するか。

 

この評論家さん、

『ラストタンゴ・イン・パリ』をそもそも観ていないとでもいうのでないかぎり

たとえ現代画家ベーコンを知らなくとも

自分の書いていることがおかしいと

気づいていたはずなのです。

 

あのオープニング・クレジットに映し出される絵が

哲学者ベーコンの肖像画だとは

絶対に解釈できない。

 

にもかかわらず、こういう文章を平気で発表する。

分かりますね?

小松春雄先生同様、

都合の悪いことや説明のつかないことは

頬かむりして

テキトーにごまかせばいいと思っているのです。

 

こんなインテリが多々存在する中で、

自分のレベルを引き上げるにはどうしたらいいか、

それは明日からお話ししましょう。

 

ではでは♬(^_^)♬