7月22日に配信したブログ
「残念司会®を擁護する! part4」にたいし、
遠藤さんという方から面白いコメントをいただきました。
何が何でも現政権を擁護せねば!
アメ(リカ)にも負けず、(消費)課税にも負けず、事実にも論理にも負けず・・・
と頑張る方々は、
安倍晋三氏という実在の政治家ではなく、
自分たちの想像の世界に存在する
同姓同名だが非実在の人物を愛しているのではないか、と。
これは非常に重要な指摘です。
2010年に提出された
「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案には
非実在青少年という概念が登場しました。
定義は以下の通り。
年齢又は服装、所持品、学年、背景、その他の人の年齢を想起させる事項の表示、
または音声による描写から
十八歳未満として表現されていると認識されるもの。
(読みやすさを考慮し、表記を適宜変更)
早い話が、ロリコン系ポルノ漫画のキャラのことを言っているのですが、
しかし今や、
日本には非実在総理 が出没しているようです。
定義はこんなところでしょう。
氏名または経歴、思想、政策、周囲の関係者、その他の特徴を想起させる事項の提示、
または音声・画像による紹介から
現職の日本国総理として表現されていると認識されるもの。
さしずめ、
アバターならぬ「アベター®」。
で、現政権断固支持派のみなさんは、
実在の総理と非実在総理®、
あるいはオリジナルとアベター®の区別がつかなくなり、
前者を愛しているつもりで、
じつは後者を愛しているというわけです。
説得力のある議論ではありませんか。
昨日のブログ
「私の好きなやりとり 宝塚編」でも書いたとおり、
恋は人を盲目にします。
盲目が差別用語だというのなら、
「(視覚を通じた)現実認識能力が機能不全をきたしてる状態」
と言いかえても良いのですよ(笑)。
映画評論家の佐藤忠男さんも、
著書『大島渚の世界』で、
ラブレターについてこう論じました。
ラブレターとは、本来、
相手について解説するものでもなく、
相手を説得しようとするものでもなく、
ひたすら、相手に自分を一体化したいという思いを述べるものである。
それも、しばしば、
現実の相手というよりも、
自分の想念の中で理想化された相手に対して、
自分もあなたにふさわしい相手でありたいと述べるものである。
(184ページ)
佐藤忠男さんの分析は、
非実在総理®、ないしアベター®に夢中になってしまった人々の
言動が持つ特徴とみごとに一致します。
アメにも負けず、課税にも負けず、事実にも論理にも負けない理由が
よく分かるではありませんか。
この問題は奥が深いので、
明日以後のブログでも取り上げてゆきましょう。
ではでは♬(^_^)♬