作・編曲家の松山祐士さん

4月7日に死去されました。

 

同日の午後4時ごろ、

松山さんのご自宅の二階より出火。

現場から消防隊員によって救出されたものの

搬送先の病院で亡くなられたとのこと。

 

松山さんはアニメ番組などで

多数の編曲を手がけました。

有名なものとしては、

「巨人の星」

「天才バカボン」

「アルプスの少女ハイジ」

「キャンディ・キャンディ」

そしてもちろん、

「機動戦士ガンダム」があります。

 

ちなみにガンダムの音楽は

渡辺岳夫さんが作曲し、

松山さんが編曲したと言われていますが、

じつは松山さんが作曲したものも少なくありません。

 

たとえば1981年の映画版第二作

『機動戦士ガンダム 哀・戦士』

のサントラCDのクレジットを見ますと、

全14曲のうち6曲の作曲を担当。

 

渡辺さんが作曲したものも6曲ですので

きっちり半々です(※)。

 

(※)残り2曲は主題歌「哀・戦士」と挿入歌「風にひとりで」ですが

これはともに井上大輔さんの作・編曲です。

 

他方、編曲クレジットを見ますと

渡辺さん2曲にたいして

松山さん6曲ですので

『哀・戦士』の音楽については

松山さんの方が大きな役割を果たしたと言えるでしょう。

 

余談ですが

残り4曲の編曲を担当したのは

なんと久石譲さん

 

久石さんはこの3年後、

『風の谷のナウシカ』の音楽でブレイクするわけですが

歴史はこうやってつながるのですね。

 

ところで私、

じつは2010年ごろから

松山さんとは何度かお目にかかる機会がありました。

 

ヘルマンハープという楽器の演奏会があるたび

ともに来賓として招かれたのです。

いわゆる「ファーストガンダム世代」にあたる私にとっては

まことに光栄な体験でした。

 

当然、ガンダムのことをいろいろおうかがいしたのですが

最初のうちは人気がなくてね、

お情けで全国ネットに乗せてもらっているような状態だったんだよ

と(楽しそうに)おっしゃったのが印象に残っています。

 

「機動戦士ガンダム」の制作・放送を受け持ったのは

在京キー局ではなく名古屋テレビでしたから

たしかにそうだったのでしょう。

 

とはいえガンダムが

アニメ史を変える作品となったのは

みなさまもご存じの通り。

 

それを支えたのが、松山さんの音楽だったのです。

 

実際、私の手元には

1980年に「交響詩ガンダム」が発売されたときの

プロモーション用特製Tシャツ

(安彦良和さんによるアムロとシャアのイラストをあしらったもの)が

まだあったりするのですよ。

 

ここ数年はお目にかかる機会がなかったのですが

ますますのご活躍を祈念していただけに

ご逝去が悔やまれます。

 

とはいえ松山さんの残された楽曲は

これからも末永く愛されることでしょう。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

こんな時代と人は言う

この温もりが 確かなら 確かなら

見つかるよ

夢 それは夢 夢

(『機動戦士ガンダム』挿入歌「今はおやすみ」

作詞・井荻麟、作曲・渡辺岳夫、編曲・松山祐士、歌・戸田恵子)