みなさんご存じ、井尻千男先生が
6月3日、逝去されました。
哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。
私が井尻先生と出会ったのは1994年。
チャンネル桜がスタートする10年前です。
この年、大蔵省(現・財務省)の財政金融研究所が
「21世紀の経済・社会システムを考える研究会」
を立ち上げました。
当時の研究所所長は、あの榊原英資さん。
財務官に登用され、「ミスター円」の異名を取る直前のことです。
たぶん研究会自体、榊原さんの発案だったのでしょう。
日本経済新聞の編集委員だった井尻先生、この研究会のメンバーに任命されるのですが・・・
じつは私も、メンバーとして末席を汚しておりました。
当時の私は、まだ完全な若造。
いや、このときは緊張しました。
なにせメンバーには、牛尾治朗さん、梅原猛さん、江崎玲於奈さん、室伏稔さん、山崎正和さんなど、
錚々たるみなさまがそろっていたのです。
私の次に若いメンバーは、長銀総合研究所にいらした竹内佐和子さんでしたが
その竹内さんでさえ、かなり年上だったはず。
井尻先生、そんな私に優しく接して下さったのをよく覚えています。
それから印象深いのが
2012年9月に開かれた「言志」(デジタル版)創刊記念シンポジウム。
このときはパネリストとして
隣に座らせていただきましたが
「戦争体験を語り継ぐというのなら、占領の体験も風化させずにしっかり伝えるべきだ」
と述べたところ、
井尻先生がマイクを求めて、こんな趣旨のことをおっしゃったんですね。
ハッキリ言っておきたい。
占領期、日本の子どもはチョコレートやガムが欲しくて
米兵の周囲に群がったとか言われるが
僕は決して、そんなことはしなかった!
僕のまわりにも、そんなことをした子はいなかった!
「日本は本当は負けていない、占領軍に負けたと洗脳されただけなんだ」
などという負け惜しみ丸出しの主張とは、
迫力がまるで違うことがお分かりいただけるでしょう。
あれから三年近くなりますが
日本をめぐる状況は
日本の保守派をめぐる状況ともども
混迷の度合いを深めています。
そんな中、井尻先生が逝去されたことは
まことに残念なものがあります。
われわれは今こそ、しっかりしなければなりません。
なお「21世紀の経済・社会システムを考える研究会」の議事録は
1995年に朝日新聞社より
「21世紀日本のクオヴァディス」(尾崎護・編)として、上下巻で刊行されました。
ご興味のわいた方は、アマゾンででも検索してみて下さい。
2 comments
buttmedd says:
6月 5, 2015
謹んで井尻千男先生のご冥福をお祈り申し上げます。
読んだことがない人でも、深夜の討論番組で俗論に与しない記者時代の井尻さんを通して
日本経済新聞をまともと信じた人は決して少なくなかったのではないでしょうか。
チャンネル桜でも曖昧な言い方を恥と心得ておられるかのような姿勢が貫かれていましたね。
映画評論家の前田さん自身が気づいていなかったと思われる的確な視点を井尻さんが逃さず、
その場で速やかに評価しておられたのを見て、感度の素晴らしさに驚いた覚えがあります。
はっと居ずまいを正す思いがしたり、テーマによってはその清明さ故に多少物足りない感想を
抱くときもありましたが、公約に反してTPP交渉開始を決意した安倍首相の責任は重大だと
水島さんがうろたえるなか主張して譲らなかった近年の3時間討論は、井尻さんが出演された
番組においてずば抜けたものであったと思います。安倍のほかに誰がいる式の断固安倍支持を
表明した以上安倍が失敗したら水島さんあなたは責任を負わなきゃならん、私も責任を取る、
そのように聞こえてふるえました。
物騒なことを言うようですが、もしチャンネル桜の死に水をとるとしたら井尻さんだと思って
いました。享年を知ってますます惜しく悔やまれる一方、安倍さんとともにあるいは散るかも
知れない桜を見ることなく彼岸へ旅立たれてよかったのかな、とも思ったりしています。
佐藤さんが紹介されたエピソードにしみじみ。いかにも井尻さんらしいですね。
SATOKENJI says:
6月 5, 2015
水島社長には、ぜひ井尻先生の志を継いでいただきたいですね。