アメリカ出身の映画監督
ジョージ・A・ロメロさんが
7月16日、カナダのトロントで亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。
ホラー映画を中心に活躍された人ですが
代表作は何と言っても
長編デビュー作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に始まる
一連のゾンビものでしょう。
列挙するならば
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(1968年)
ゾンビ(1979年)
死霊のえじき(1985年)
ランド・オブ・ザ・デッド(2004年)
ダイアリー・オブ・ザ・デッド(2007年)
サバイバル・オブ・ザ・デッド(2009年)
となります。
「ゾンビ」と「死霊のえじき」も
英語題はそれぞれ
ドーン・オブ・ザ・デッド
デイ・オブ・ザ・デッド
ですから、
とにかく「ザ・デッド」(死者)にこだわった男。
亡くなる直前にも
ロード・オブ・ザ・デッド
という映画のプランを発表したそうです。
「ゾンビ映画の父」とか
「ゴッドファーザー・オブ・ザ・デッド」というあだ名を奉られたのも
無理からぬことでしょう。
断っておきますと
ゾンビ、つまり甦った死者が登場する映画自体は
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』以前からつくられていました。
ただしそれらの「旧世代ゾンビ」には
1)ヴードゥー教に通じた人間の魔術によって甦り
2)たいがい数名程度しか登場しない(=人間に比べて数が少ない)
という特徴が見られます。
これにたいし、ロメロ監督の描いたゾンビの特徴は以下の通り。
1)ヴードゥー教とは関係なく、勝手に甦る
2)人肉を食べたがって人間を追い回す
3)死んだ者はみんなゾンビになるので、どんどん増える(=人間に比べて数が多い)
4)ゾンビに嚙まれた人間は、ほどなくして死ぬ
お分かりと思いますが
われわれが現在、ゾンビにたいして持っているイメージは
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から生まれたものなのです。
ロメロ監督、一人でホラー映画に革命を起こしたと言わねばなりません。
のみならず。
上記の特徴からは
人間はゾンビにたいして、究極的には勝利できない
という結論が導かれます。
人間がゾンビになることはあっても
ゾンビが人間に戻ることはないんですからね。
つまりロメロ型ゾンビ映画は
われわれの社会が
既存の秩序や価値観を否定する存在によって
どんどん圧倒され、崩壊してゆくことをめぐる
寓話としても機能するのです。
しかるに
既存の秩序や価値観を否定する存在が
勢力をどんどん強めることこそ
近代社会の大きな特徴。
全体主義、
社会主義、
構造改革、
グローバル化、
すべてそうではありませんか。
ロメロ監督の出現により
ホラー映画は保守主義的な視点に基づく社会批評の場ともなったのです。
だからというわけではありませんが、
監督は自分自身のことを「古風な趣味の映画ファン」だと述べていました。
だがロメロ型ゾンビ映画の視点は
保守主義的なものではあっても、
いわゆる保守派にとって必ずしも愉快なものではない。
1)既存の秩序や価値観を守り抜くことはできない。
2)ただし、既存の秩序や価値観を否定する勢力に同調したら取って食われる。
要するに、こういうことですからね。
こらえ性や絶望の足りない人々の悲鳴が聞こえてきそうではありませんか。
さあ、ご一緒にどうぞ!!
じゃあ、どうするの?!!!
・・・どうにもならないんですよ。
というか、「じゃあ、どうするの?!!!」なんて聞くこと自体がハズしている。
どうにもならない世界でどう生きるか、
それがロメロ版ゾンビ映画のテーマなんですから。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
実際、ロメロ型ゾンビ映画では
「じゃあ、どうするの?!!」なんてヒステリーを起こした者から順番に
自爆的炎上をやらかして滅びると言っても過言ではありません。
(↓)時事通信に続き、ANNの調査でも内閣支持率は危険水域に入りました。
ちなみに。
優れた映画評論家であるロビン・ウッドは
『ゾンビ』の結末について
ロメロがめざそうとしているのは
既存の秩序や価値観にしがみつこうとすることでもなければ
それらの崩壊と運命をともにすることでもなく
滅びの彼方に突き抜けることだ
と語りましたが、
『ランド・オブ・ザ・デッド』の結末には
関連して意味深長なものがあります。
この映画の主人公は、
「ランド・オブ・ザ・デッド(死者の国)」と化したアメリカに見切りをつけ、
武装装甲車でカナダに旅立つのですが、
ロメロ自身も2009年にカナダ国籍を取得したのです。
アメリカ国籍も残っていたため
二重国籍になっていたようですが
2000年代以後は、トロントを本拠にしていた模様。
ロメロ作品が、いかに現実の世界と対応しているか
よく分かるエピソードではないでしょうか。
(↓)フランス革命の顛末も、一種のゾンビものと位置づけることができるかも知れません。
5 comments
GUY FAWKES says:
7月 19, 2017
カプコンのホラーアクションゲーム『バイオハザード』シリーズもロメロ監督の開拓したゾンビ概念がなければ
生を受けることはなかったでしょう、正に彼こそ『映像のネクロマンサー(死霊使い)』と呼ぶに相応しい存在でした…RIP.
>つまりロメロ型ゾンビ映画はわれわれの社会が既存の秩序や価値観を否定する存在によってどんどん圧倒され、
崩壊してゆくことをめぐる寓話としても機能するのです。
>しかるに既存の秩序や価値観を否定する存在が勢力をどんどん強めることこそ近代社会の大きな特徴。
全体主義、社会主義、構造改革、グローバル化、すべてそうではありませんか。
あぁ…だからスティーヴン・キングの『ミスト』といい、大量生産大量消費の象徴たるショッピングモールに籠城するんだ…
中高時代、映画オタクの先輩から「アレこそ権化なのさ、日用品の形をしたクソを低賃金でこき使われる店員が
ゾンビ以上に死んだ目で売り捌いている場所じゃないか?」と言われた意味が漸く理解できました。
>(↓)フランス革命の顛末も、一種のゾンビものと位置づけることができるかも知れません。
そういえば、フランス料理が一般へと普遍化したのは革命によってブルボン王朝が倒された為に宮廷料理人がクビになり、
再就職先として大衆料理屋さんで料理を振る舞い、そこで恐怖政治時代のパリ市民がギロチン処刑を拝見した帰りに
食事に花を咲かせたのが始まりだそうです。
三大欲求の中でも最も原始的な「食欲」を「炎上」の最たるものであるフランス革命が食文化を作った…
ポジティヴとネガティヴ両面の極致を併せ持った凄まじい忠実ですね、
数百年前のフランスの人々は現代的ゾンビ以上に生き活きとしたゾンビだったわけですな。
それはそうとショッピングモールで籠城とかやめてほしいですね、鑑賞中にお腹が空いて仕方ないんですよ(苦笑)
ゲッコ says:
7月 20, 2017
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」では滅びの世界から戻ってきました。
ケンとチャコの人間性がそうさせたという見方もできるかも。
玉田泰 says:
8月 13, 2017
この記事を読んで俄然勢いづきました。「滅びの彼方に突き抜けること」と書かれていたからです。そこで、僕としては異例の長文による公開質問状(のようなもの、笑)を準備しました。
「表現者(73)」の「『信用』が人間を裏切るとき」で書かれている、ドームが崩壊する過程で残るのは「信仰」だとされていることに対する疑問をダラダラと書き連ねたものです。
しかし、その過程で、自分に対する疑念が湧きました。このような疑問を抱くことこそが、先生が何度も書かれている、絶望が足りない態度そのものではないか?
と感じたからです。先生は「滅びの彼方に突き抜け」ようと志向するのではなく、ドームが崩壊するときに腹を括れと語られているのだと(勝手に)納得しました。
ですが、そう考えると「信仰」の据わりが悪いです。
先生は「信仰」という言葉で、何を示されたのでしょうか?
SATOKENJI says:
8月 13, 2017
腹をくくる際に必要なもの、と考えてはどうでしょう。
本当のところ、玉田さんが「信仰」の何に引っかかっているのか
私は理解できません。
腹をくくりでもしないかぎり、滅びの彼方に突き抜けるなど、
そもそも無理でしょうに。
しかも滅びの彼方に突き抜けるうえでの条件は
既存の秩序や価値観を守り抜けないと悟ったうえで、
既存の秩序や価値観を否定するのも自滅への道と悟ること。
その際、よりどころとなるものは
広い意味での「信仰」(=人間を越えた秩序や価値観を求める意識)しかないと思います。
これは「特定の宗教を信じること」とは
必ずしもイコールではありません。
よって公開質問状(のようなもの)を送られても
回答できるかどうかは内容次第ですね。
理解できない疑問に答えることは不可能ですので。
以上、ご了承下さい。
玉田泰 says:
8月 13, 2017
ご回答ありがとうございます。
恐らく先生は、この頭の固さに困惑されたと思いますが、僕は、大きく二つ学びました。
(全く勝手で申し訳ありません)
一つは、何に拘ったか判りました。信仰の何に引っかかったかというと、
「信仰=自分を捨てて(何かに)帰依する」
という、手垢にまみれたイメージに捕らわれていました。それを、
「信仰=人間を超えた秩序や価値観への帰属意識」
と、はっきり定義して頂き(ある意味)、悟りました。
もう一つ、僕が「突き抜けようと志向するのではなく」と、否定したのに対し、先生は、むしろ肯定的に書かれたことで、そう志向するのも有りなのだと気付きました。勿論、どちらも自滅への道と悟った先の話ですが…その意味で、まだ、信仰を実感出来ていませんが(先生のコメントを読んで)、腹をくくる準備くらいは出来た気がします。
本当に、申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。