スティーブン・キング

出世作「キャリー」が映画化されたときのことについて

面白いコメントをしています。

 

ブライアン・デ・パルマ監督による

映画版「キャリー」は大ヒットしたのですが

キングが映画の成功を確信したのは

黒人の多い地域の映画館で観たときだというのです。

 

なぜか?

 

キングいわく、

客席を埋めていたのは黒人男性がほとんどだった。

とはいえ「キャリー」は、

いじめられっ子の白人の女子高生の話だ。

しかもキャリーはグラマーでもセクシーでもない。

黒人男性がそんなものを喜ぶとは思えなかった(※)。

 

(※)だからというわけではありませんが、キャリーの姓は「ホワイト」です(ホント)。

 

ところが映画が進むにつれて

彼らはキャリーに感情移入してくれた。

クライマックス、

彼女が超能力で周囲の人々に復讐するくだりにいたっては、

行け! やれ! ぶっ殺せ!

と大騒ぎ。

これはヒットすると思った!!

 

すなわち劇的な感情移入は

しばしば人種や性別を超えて成立します。

男性が女性の登場人物に共感することもあれば、

黒人が白人の登場人物に共感することもある。

その逆もしかりです。

 

だからこそ、すぐれたドラマには普遍的なアピールがあるのですが・・・

こちらの記事をどうぞ。

 

胸の大きなあり得ない体形…

女性地位向上の国連名誉大使「ワンダーウーマン」解任後の騒動

 

2016年10月、

アメリカンコミックの有名なキャラクター、ワンダーウーマン

女性の地位向上の国連名誉大使に選ばれました。

 

女性であるがゆえに暴力を振るわれるケースが

世の中にははびこっていることを周知しよう。

社会で女性が活躍できる場をもっと増やそう

 

というのが、選出にこめられた思いだったとか。

 

ちなみにワンダーウーマン、

今年は実写映画版が公開されるのですが

主演のガル・ガドットさんも

これには大喜びした模様。

 

ところが。

わずか二ヶ月後の12月16日、

ワンダーウーマンは名誉大使を解任されてしまいます。

 

架空の人物を選んだことが強い批判を招いたとのことですが、

どうもそれだけではない様子。

ネットに設けられた反対運動の請願サイトには

こう書かれていたそうです。

 

胸の大きなあり得ない体形をした白人女性が、

肌を露出し、太ももをあらわにしている。

星条旗をあしらった派手な衣装に、膝上のブーツをはいている。

 

つまりワンダーウーマンの名誉大使就任は

1)女性を外見で判断したがる風潮

2)白人中心主義

3)アメリカ中心主義

の表れであり、ゆえに良くないというわけですね。

 

記事全文はこちら。

 

冒頭で紹介した「キャリー」をめぐるエピソードを踏まえれば

これはいわゆる「政治的公正さ」の行き過ぎとなるでしょう。

ワンダーウーマンが好きだからといって、

女性はグラマーでなければならないとか、

人類を代表するのは白人だとか、

アメリカは世界の中心だとか思っていることにはならないはずなのです。

 

だが、はたしてそう言い切れるか。

 

戯曲「死と乙女」

(こちらはロマン・ポランスキー監督がみごとに映画化しました)で知られる

アルゼンチン生まれの作家アリエル・ドーフマンは1971年、

ベルギーの社会学者アルマン・マテラートとともに

ドナルド・ダックの読み解き方

という本を刊行しました。

 

この本はラテンアメリカでベストセラーになるのですが

要はディズニーのアニメが

いかに資本主義や帝国主義を正当化し、

子供たちにそれを吹き込む構造を持っているかを分析したもの。

 

わが「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」の先達ですね。

ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義

 

ドーフマン流の発想にしたがえば

ワンダーウーマンのイメージに

女性にたいするルッキズム(外見至上主義)や白人中心主義、

さらにはアメリカ中心主義を見出すのは

まったく正当なことになります。

 

ワンダーウーマンの大使解任は

政治的に正しいだけなのか

それとも本当に正しいのか

どちらなのでしょう?

 

しかしこうなると

後任の名誉大使には

ナウシカあたりがふさわしいかも知れませんね。

 

これまた架空の人物ですが

白人ではありませんし、

ありえない体型もしていない。

ついでに肌の露出度も低い。

 

\(^O^)/ナウシカを国連名誉大使に!!\(^O^)/

 

ではでは♬(^_^)♬