というわけで、

「宇宙戦艦ヤマト」プロデューサー・西崎義展さんの話の続きです。

 

ヤマトシリーズ最大のヒット作と言えば

1978年の映画版第二作

「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」。

 

この作品のラストでは

地球を征服しようとする白色彗星帝国の中核・超巨大戦艦

(彗星の核の部分に人工惑星「都市帝国」があるうえ、

都市帝国の内部にこの戦艦が隠れているのです)にたいし、

ヤマトが特攻をかけることで人類を救います。

 

ヤマトと超巨大戦艦のサイズの差を思えば

本来、いくら特攻しても破壊は無理なのですが

そこはそれ、奥の手がちゃんとある。

 

「宇宙愛」の体現者にして

反物質人間でもある乙女・テレサが

特攻に同行してくれるのです。

通常の物質と反物質がぶつかると

量子論的大爆発が発生して宇宙全体が吹っ飛ぶそうなので、

これなら超巨大戦艦破壊も可能でしょう。

 

しかるにこの結末、

特攻の美化だ!

戦前の賛美だ!!

という批判もかなり浴びました。

メインスタッフの中でも、

漫画家の松本零士さんは猛反対したものの、

西崎さんが押し切ったのだとか。

 

もっとも評伝「『宇宙戦艦ヤマトをつくった男』 西崎義展の狂気」

次のように述べています。

 

アニメで特攻に近いシーンを描いたのは「ヤマト」だけではない。

「鉄腕アトム」は最終回で人類を守るため(注:アトムが)太陽に向かって特攻し、

「風の谷のナウシカ」、「機動戦士ガンダム」でも

命と引き替えに共同体を守ろうとするシーンが出てくる。

もちろん「ヤマト」の設定が太平洋戦争に直結していることは確かだが、

西崎だけが軍国主義者扱いされても、

本人は面食らうだけだったに違いない。

 

のみならず。

 

昭和初期生まれが多い「ヤマト」のスタッフ陣では、

西崎の選択は必ずしも少数派意見ではなかった。

つまり特攻を賛美しないまでも、

その犠牲的行為の価値を表現すべきだという考えも多かったのである。

 

そして。

 

(注:西崎は)思想以前に興行師としての勘で、

この特攻シーンは必ず観客に受けると見抜いていたに違いない。

 

なるほど、なるほど。

しかしこうなると、逆に疑問がわいてきます。

いくら戦艦大和がモチーフになっているからといって、

明らかに空想的な内容のアニメで特攻を描くことが

なぜそんなに物議をかもしたのか??

 

前にも紹介しましたが

吉本隆明さんなど「さらば宇宙戦艦ヤマト」について

日本的な心情の観客、つまり私たちすべてに、衝撃を与える要素を持っている

と語ったのですぞ。

 

SFアニメ映画が特攻を美化したぐらいで、

どうして日本人すべてが衝撃を受けねばならないのでしょう?!

 

あるいは。

 

他のSFアニメが特攻的要素のある場面を盛り込んでも

なぜ日本人は衝撃を受けないのでしょう?!

 

じつはここに、「さらば宇宙戦艦ヤマト」という作品の真価を

理解するカギがあると思うのですよ。

 

つまりですな。

超巨大戦艦にたいするヤマトの特攻は

たしかに「滅私奉公的な自己犠牲の崇高さ」という

戦前的なタテマエを肯定している要素がある。

 

しかしテレサが特攻に同行したことが示すとおり、

それは「宇宙愛」という

戦後民主主義的なタテマエを濃厚に反映した発想

肯定している要素も持っているのです。

 

そして「思想以前に興行師としての勘で」という指摘のとおり、

この特攻シーンは

なりふりかまわぬヒット(=金儲け)の追求という

戦後日本のホンネを濃厚に反映した発想の産物という側面まで持っていた!

 

言い替えれば、

ヤマトが特攻によって白色彗星帝国に勝つラストは

1)戦前的なタテマエ

2)戦後民主主義的なタテマエ

3)戦後日本のホンネ

の三者が、そろって調和した奇蹟の瞬間だったのです!!

 

戦前と戦後が矛盾せず共存するばかりか、

戦後のお花畑的理想主義と、

いささか露骨すぎる現実主義まで

矛盾せずに共存してしまうのですぞ。

 

なるほど、これなら日本人すべてが衝撃を受けても不思議はない。

ついでに他のSFアニメにおける特攻(的)場面が

物議をかもさなかった理由もよく分かります。

 

そこには

矛盾している(はずの)政治的イデオロギーを同時に抱え込み

かつ政治的イデオロギー全般を否定しかねないような発想まで取り込む

という

「さらば宇宙戦艦ヤマト」の重層性がないのですよ。

 

特攻の美化だの、戦前の賛美だのといった批判は

その意味でまったく的外れだったと評さねばなりません。

 

し・か・し。

奇蹟の瞬間とは、本質的に一回きりのもの。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」の場合、これは場面の設定にハッキリ出ていました。

 

いいですか、

ヤマトが超巨大戦艦を破壊できるのは

反物質人間のテレサが同行してくれるからなのですぞ。

しかし通常の物質と反物質が触れ合ったら最後、

量子論的大爆発が発生して宇宙全体が吹っ飛ぶはずではなかったか?!

 

そうです。

ヤマトとテレサの特攻によって白色彗星帝国が滅んだとき、

地球もまた滅んでいるはずなのです!!

 

すなわち「宇宙戦艦ヤマト」という作品の世界は

本質的にここで終わっているのです。

 

けれども西崎さんは、これに直面できなかった。

自分がつかんだ奇蹟の瞬間にこだわるあまり、

シリーズの続行を決めてしまいます。

 

「さらば宇宙戦艦ヤマト」の公開から二ヶ月後、

彼は同作品のテレビ版として「宇宙戦艦ヤマト2」を制作するのですが

こちらではヤマトは特攻せず、テレサが一人で超巨大戦艦を滅ぼすというオチになっていました。

 

・・・あんた、特攻の何なのさ?

 

お気づきとは思いますが、これは何の解決にもなっておりません。

ヤマトが特攻しようがしまいが、

テレサが超巨大戦艦に触れた瞬間、やはり地球は滅びなければおかしいのです。

 

そしてシリーズは、「さらば宇宙戦艦ヤマト」の成功を超えることなく

少しずつ下降線をたどりだす。

これにはいろいろな理由があるものの

本質的に終わってしまったものを無理やり続けようとしてもダメという問題が

根本にあったのは間違いないでしょう。

 

けれども1978年と言えば

ちょうど日本が石油危機による経済的低迷から立ち直り、

経済大国としての地位を確立したころ。

エズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出たのは、

翌1979年のことです。

 

ひょっとして戦後日本そのものが

この時期に「奇蹟の瞬間」を迎えていたのではないでしょうか?

 

1979年と言えば、敗戦から34年。

戦前を知っている人は、まだまだ社会の中核にいます。

同時に戦後民主主義的な理想も、

今ほど馬脚を現してはいなかった。

そして石油危機で高度成長が終わったとはいえ、

繁栄の追求にも成功していたことは、

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の刊行が示すとおり。

 

戦前のタテマエ、戦後のタテマエ、戦後のホンネの三者が

そろって調和したのです!

だが、ヤマトの例にならえば

これは戦後が1970年代で本質的に終わったことをも暗示する。

 

日本人もまた、これに直面できず、

自分たちのつかんだ奇蹟の瞬間にこだわるあまり、

(改革路線による)戦後の続行を決めてしまったのではないか?

だからこそわが国は、1980年代こそ繁栄したものの

1990年代以来(※)、下降線をたどりだしたのではないか?

 

(※)ヤマトの人気は1980年代から衰えはじめましたが、

西崎さんのキャリアが本格的にまずくなったのも、

じつはバブル崩壊後、つまり1990年代に入ってから。

破産したのは、消費税が5%に引き上げられたうえ、

金融危機が生じた1997年のことです。

 

や・は・り、

「右の売国、左の亡国」なのですよ!

 

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『対論「炎上」日本のメカニズム』の対談でも

「宇宙戦艦ヤマト」の話題が出ましたが、

こう考えると、やっぱり奥の深い作品ですね。

 

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『対論 「炎上」日本のメカニズム』帯付き書影

 

かのフランス革命では、

革命当初の立役者たちが

やがて次々に粛清されてゆきましたが

日本のアニメに革命を起こした西崎さんの運命も

どこかそれに通じているのかも知れません。

 

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フランス革命の省察

 

最後にひとつ。

2006年に刑務所を出たあと、

西崎さんはカトリック信者の母に勧められて洗礼を受けたそうです。

 

洗礼名は「エマヌエル西崎弘文」。

 

「弘文」は氏の本名ですが、

さまざまなダークサイドを抱えていた西崎さんが

エマヌエル(ヘブライ語で「神はわれらと共にあり」の意)という名も持っていたとは

それ自体「宇宙愛」的なことだと思いませんか。

 

ではでは♬(^_^)♬