12月17日、
月刊三橋・三橋経済塾合同のシンポジウム&大忘年会に
ゲストとして行ってきました。
先週はたまたま左足が痛くなり、
大丈夫かな・・・と思ったりもしたのですが、
おかげさまで当日は調子もよく、
とくに問題はありませんでした。
リハビリによる機能回復が進むと、
癒着して固くなっていた筋肉や組織に
刺激が入って剥がれてくるのですよ。
これ自体は(筋肉や組織が柔軟になるので)良いことなのですが、
付随して痛みが生じます。
ただし、この痛みを通り抜けないと回復は進みません。
これを何というか?
そうです。
痛みを伴う回復です。
よく似た表現に
痛みを伴う改革があるものの
あちらは痛みだけ生じてメリットはロクにないという
困った代物。
混同しないよう注意しましょう。
ちなみに司会を務めた浅野久美さんからは
シンポジウム開会前の控室で
髪を切って美人になった
と言われました。
浅野さんいわく、
私の場合は
男前が上がったよりも
美人になったのほうが
しっくり来るのだそうです。
そういうものですかねえ (^_^;)
それはともかく。
会場でも告知しましたが、
来年春ごろに
\(^O^)/藤井聡さんと共著を出します。\(^O^)/
来年は2月ぐらいに
新しい単著も出る予定なので
\(^O^)/ちょっと新刊ラッシュになります。\(^O^)/
もしかしたら年の後半にも
\(^O^)/さらに何か出るかな?\(^O^)/
というところですが
これはまだ確定していません。
さて。
2014年に中野剛志さんと出した
「国家のツジツマ 新しい日本への筋立て」
は対談本でしたが、
今回の藤井さんとの本は
われわれがともに3章ずつ論考を書き、
それをもとにした対談を後半の山場にする
という、なかなか贅沢な構成。
で、私の担当パートは数日前に仕上がりました。
藤井さんも目下、
ご自分のパートをしゃかりきになって書いている模様。
本のタイトルはまだ未定ですが
重要なコンセプトとなるのは「炎上」です。
これはふつう、
フェイスブックやツイッターなどの
SNSを主な媒介としてなされるバッシング
の意味で用いられますが、
より本質的には
進むべき方向性を見失い
苛立ちをつのらせた社会に生じるヒステリー現象
と見ることができる。
このような視点に基づき
日本や世界の現状、
および戦後日本のあり方を
根本から振り返ります。
担当して下さる編集の方からも、
こんな趣旨のコメントが。
われわれが今生きている世界がよく分かる、
そんな本になりそうです。
今から楽しみでワクワクしています!
というわけで、ご期待下さい!!
ではでは♬(^_^)♬
(↓)藤井さんとの本が刊行される前に、こちらを読み返すのも良いと思いますよ。
8 comments
tinman says:
12月 19, 2016
「痛みを伴う回復」とは、筋肉痛のような充実感のある言葉ですね。
「痛みを伴う改革」からは、
フォームや栄養、休息を考えない素人が成長を焦ってオーバートレーニングで故障するような、
よくある失敗が浮かんできます。
新刊のコンセプトは炎上ですか。
筋トレ、ランニングの炎症なら氷水で冷やせば済みますが、
社会規模の炎上では焼け石に水という感じで、展開が予想出来ないですね。
楽しみにしています。
yux says:
12月 19, 2016
論考についての対談があるのはいいですね。
楽しみです!
TOMAS says:
12月 19, 2016
「進むべき方向性を見失い苛立ちをつのらせた社会に生じるヒステリー現象」
ブレヒトは、古くて良いものよりも新しくて悪いものを好もうと提唱しています。モダニスト的見地からは、そういった現象に対して、炎上という意識はないかもしれません。戦後70年代は、個人的にモダニストの時代だと思ってますので、そういう視点を盛り込んだ内容を勝手に期待しています。
福岡ワマツ says:
12月 20, 2016
「痛みを伴う回復」は、回復を目的とした生体の修復活動ですね。
一方で、「痛みを伴う改革」は、改革それ自体を目的とした国体の破壊活動ですね。
「痛みを伴う改革」を推進する方々(略して痛革派)が国民として自国にそれを為すなら、それは「自傷行為」とも解釈できるように思います。「身を切る改革」という文句もありましたから。
だとすると、痛革派はその痛みを感じる痛覚がイカレているから推進できるのでしょうか?
どうやら、そういうわけでもなく、精神医学では、自傷はその痛みによって「怒りや絶望感といったつらい感情をやわらげるために行われている」という解釈もあるそうです。
ソース: 松本俊彦医師『自傷理解の基本』 https://www.comhbo.net/?page_id=5803
これが「閉塞感の打破」というやつなのでしょうか?
そういえば、「既得権益の岩盤を打ち破る、ドリルの刃になる」「いかなる既得権益といえども、わたしの『ドリル』から、無傷ではいられません」などと言っていた某国首相がいましたが、もしかすると彼は痛革派なのかもしれません。
いずれにせよ、痛革派が「保守派」とみなされるのは、あべこべに感じます。
SATOKENJI says:
12月 20, 2016
痛革派とか言うと、なんか急進左翼の組織名みたいですね(笑)
福岡ワマツ says:
12月 21, 2016
ちゅ〜かく派のことですね、わかります(^^)
左翼といえば「総括」というフレーズを想起するのですが、痛革派にはぜひとも自らを総括してほしいものです。
その総括する方法の一つとしては、『国家のツジツマ』という本を読むのが良策でしょう。
ただし、それは、痛革派にとって自らの思想に対する「痛みを伴う改革」になりそうです。なにせ恐らく、その本は痛革派にとって「彼らの思想世界に悠然と上陸してくるゴジラ」のようなものになるでしょうから。
「ツジツマゴジラ襲来!」といった感じでしょうか。
ツジツマゴジラによって彼らの既成思想世界はスクラップ&スクラップされることでしょう。痛快ではあります(^^)
tinman says:
12月 20, 2016
私は無防備主義者は痛みを感じていないのでは、と思っていました。
彼らはたいてい平和ボケしているか、安全な位置にいるからです。
でも、閉塞感で生きるのが辛いらしい。
だから、高次の欲求が満たされない腹いせに、
低次の欲求をふみつけているのかもしれません。(マズローの欲求段解説)
自傷行為と痛革派、たいへん参考になりました。ありがとうございます。
玉田泰 says:
12月 26, 2016
何か、この数日、閉塞感で一杯でした。イブに彼女の家からメリークリスマスなどと書き込んだりしましたが(笑)
そして、クリスマス当日の昨日手にしたのが、ここに紹介されていたこともあってか、買ってしばらくそのままだった「国家のツジツマ」でした。
読み始めて、この本は僕にとって今こそ読むべき本だと感覚的に分かりました。
庭師の例えなど僕のような愚か者にも大変分かりやすく、保守主義と自由主義の違い、新自由主義の失敗とその理由、も理解出来ました。
戦後の日本がグローバリズムや改革との親和性を強くしたことなども学べました。
読み進めながら不安だった結論も明確に有りました。信仰は僕には無いのですが、「感じる」時が有ります。「国家のツジツマ」を手に取ったのもそれです。読み終えて自分を「ご破算に願いましては」にしてしまわないために必要な本だったと納得しました。オカルトじゃあないですよ。
この深い内容を語ってしまえるお二人は本当に凄いと思います(今度の本の対談部分もDVD化希望!)
それで最後まで判らなかったことを先生宛の質問として残します。
保守主義は反合理主義ですか?