深入りしそうな女と、

深入りする前に観ておきたい映画

4本目はこれです。

 

「危険なメソッド」

(デイヴィッド・クローネンバーグ監督、2011年)

 

クローネンバーグと言えば、

初期作品「シーバース」「ラビッド」では

新種の疫病の蔓延を(ある意味)肯定的に描き、

つづく「ビデオドローム」「ザ・フライ」では

テクノロジーによる人間の肉体的変容にこだわり、

その後も「戦慄の絆」

「スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする」

「ヒストリー・オブ・バイオレンス」など、

独自の人間観に基づく過激な映画ばかりつくってきた異端の巨匠。

 

「危険なメソッド」も、

端正な外見とは裏腹に

じつにヤバい作品です。

 

舞台は20世紀初頭のウィーン。

精神分析という新たな学問分野を

ジークムント・フロイトが確立しようと努力していたころです。

 

フロイトの一番弟子は

のちに「集合無意識」の概念を提唱するカール・グスタフ・ユング。

 

そのユングのもとに、

ザビーネ・シュピールラインという女性の精神病患者が連れてこられる。

 

ユングと語り合い、

精神分析を受けることで

ザビーネはみごとに回復、

みずから精神分析医の道を歩み出すのですが・・・

 

気づいてみれば、ユングとザビーネは深い仲に。

それを契機に、ユングとフロイトの関係も狂いはじめる。

 

そしてヨーロッパは、第一次世界大戦という破局的な事態へと

じりじり近づいてゆくのであります。

 

ユングが夢の中で

そうと自覚しないまま

戦争の勃発を予知するラストシーンは衝撃的ですよ。

 

クローネンバーグいわく、

フロイトもユングも

思想家とかアーティストと呼ばれることを好まなかった。

科学者のような専門的な呼び名ではないからね。

でもふたりとも思想家であり、

アーティストであったと思う。

ふたりの書いたものはともに素晴らしい。

 

しかし「危険なメソッド」、

愛の本質を描いた作品にも見えます。

 

つまり、

男と女が言葉を交わすことは

内容次第では

セックスと同じくらい

あるいは、それ以上に深い行為となりうる。

そこには狂気もひそんでいるが

この領域に踏み込まないかぎり、見えてこない真実もある。

ということ。

 

ヨハネ福音書の表現を借りれば

初めにあるのは言(ことば)であり

それが肉となってわれわれの間に入り込む

のですからね。

 

ここで注目されるのが、フロイトとザビーネがともにユダヤ系だったのにたいし、

ユングはそうではなかったこと。

 

ユダヤ教は新約聖書を認めないはず。

つまり福音書の内容もダメです。

 

ユングとザビーネが「言葉を肉にした」ことに

フロイトは強く否定的な姿勢を取りますが、

ここには彼の宗教観が影を落としていたのかも知れません。

 

ではでは♬(^_^)♬