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7月13日の記事
「異変? 日本文化の現在」
に寄せられた NAGIRAさんのコメントには、
私の発言に対する司会者の反応について、
いろんな意味で残念に思ったという箇所がありました。
ここには面白い含みがあります。
じつは司会者、
収録の合間に私にたいして、
こんな趣旨のことを言ったのですよ。
——お前が安倍政権に批判的なのは
そもそも安倍に期待しすぎたからではないか?
むろんこれは昨日の記事
「伸びる舌、増える舌」
で書いた
「『現実』とやらばかりを振りかざす」言動の見本です。
しかし、私は謙虚さを身上とする男。
司会者の発言にも三分の理はあるかも知れない、
それくらいは認めましょう。
けれども、この論理が正しいとすると、
NAGIRAさんが司会者の反応を残念に思ったのも、
そもそも当該の人物に期待しすぎたからということになるのです!!
よしんば買いかぶりであろうと、
人間、期待されているうちが華。
期待に応えられない後ろめたさに耐えられず、
「期待したお前が悪い」
と言い逃れをするようになったら、
まあ、あとはそれなりですね。
ではでは♪(^^)♪
5 comments
風前のバーコード says:
7月 15, 2014
>お前が安倍政権に批判的なのは
>そもそも安倍に期待しすぎたからではないか?
良く耳にする言い訳です。
ただし、
「期待していたけど期待ほどには応えてくれなかった・・・」
というのと
「期待していたのに期待とは反対の事をやり始めた・・・」
というのでは全く意味が異なります。
目指した方向に向かって大して進めなかったのと、
目指した方向と真逆に進みだしたのでは、
全然意味が違うと思います。
例の司会者さんだけでなく、
その手の説得をする方は案外多いです。
忖度と斟酌を拡大させて、
現実を都合よく解釈しているのでは・・・、
と疑いたくなります。
何でしょうその背景には何があるのでしょうか?
「信」または「晋」の構造?でしょうか(笑)
そして交渉術というか心理テクニックの中に、
この忖度と斟酌を巧に利用する形で、
自らの真の主張を押し通すというのがあります。
つまり好意的理解や善意の配慮を悪用するわけですね。
問題の骨太の方針?の中身など、
チラっと見た限りではありますが、
そういうピースがばら撒かれています。
全体を見通すと矛盾だらけで支離滅裂なのですが、
部分部分を好意的に恣意的に切り取れば、
ご都合主義的な解釈が可能なような文章が散在しています。
もちろん政治ですから多少はしょうがないでしょう!
でも、その中にも美徳とか意気は感じ取りたい!
でも現実はどうでしょうか?
そういえば、つい最近ですが、
その一文だけを切り取って、総理は日本文化は守ると言ってる!
といった主旨の主張をする方も、先生が出演した討論会に居ましたね。
以上
失礼いたしました。
フルート says:
7月 16, 2014
休憩時間にそんなことがあったんですね・・。
でも今までの流れを分かった上でそんなこと言われたら、休憩する気なんかなくなっちゃいますよね・・。きっと佐藤さんは「これは自分だけでも最後までがんばり抜くしかないな」と思われたのではないかなと思います・・。
結局一番思ったのはですね・・佐藤さんが討論の中でも1時間目にしっかり言及された「『永遠の現在を生きていれば良い。というような考え方(というような状態)』の行きついた先の『若者論』」というこの2つの批評の目が向かっているのは、なにも若者にだけ向かっているのではなくて、むしろ3時間目に「だからそれに引っ掛かっていってるのは君らなんじゃないかな」とか「そんな議論なんて江戸時代からやってましたよ」と仰って『時間を塞き止めてしまった』保守派の重鎮の先生、それに1時間目「教養のある人間かどうかは文化評論家も含めて稀になってくるので」と言って文化の担い手たる国民と政治家ともども批評することを避け「現状は玉虫色の過渡期ですから」とある種野放図な現在を『飽和』させてしまった(『現在が飽和状態に陥る』も『時間を塞き止めてしまう』も佐藤さんの本に登場した概念です。)文芸評論家の先生達の側にこそ、今向けられているのではないかと私は思いました。だって筋を通すということは、単に過去を引き受けるだけでは成立しないと思うからです。引き受けた上で今度は未来の担い手が引き受けない限り通らないと思うからです。
長文すみません・・しかもまだちゃんと理解できていないかもしれません・・しかし佐藤さんがんばって下さい!私もがんばります!
歩行区間Lover says:
7月 16, 2014
私も安部政権に大いに期待した一人ですが、
「期待していたけど期待ほどには応えてくれなかった・・・」
のでもなく、
「期待していたのに期待とは反対の事をやり始めた・・・」
のでもなく、
「期待させるようにウソを付かれた」
と感じています。
最近の安部政権の振る舞いをみると、最早彼らは自分が過去に発した言葉などどうでもいい、というか言葉に意味などを求めていないのではないか、せいぜいCMのキャッチコピー程度にしか思っていないのではないかと感じてしまいます。
その様な言葉に対するいい加減な姿勢を通して彼らの本質を見抜けなかったお前が悪いと言われればそれまでなんですが・・・
佐藤さんが仰る、言葉を大事にしない奴は政治家以前に人間として信用できない、という言葉の意味をかみしめています。
フルート says:
7月 16, 2014
すみません、、夜寝る前に急いで書いてしまって、中段の辺り・・ある文芸評論家の方が一時間目に仰った台詞として私が書いてしまった「教養のある人間かどうかは文化評論家も含めて稀になってくるので」という部分は、正しくは「あとただ教養がどうですか?とかって話になるとこれはねっ昭和40年代以降教養のある日本人なんて別に政治家に限らずあの文芸評論家も文学者も含めて極めて稀になってくるんで」が実際の彼の台詞でした・・×文化評論家(??)→○文芸評論家の間違いです。。すみません。。またそもそも佐藤さんは『教養』という『人を教え育てる』力が安倍総理に備わっているのかどうかを尋ねられたのではなくて、そもそもそれ以前の問題としてある『言葉の使われ方』(人としての作法であったり規範)の話をされていたのであって、こういうところにも彼のレトリックがあったのだなと・・動画を確認して思いました。。また彼は「法解釈なんかをめぐるまさに戦後のその玉虫色の延長を安倍さんがなさっていることをちょっと佐藤さんは中心に拾われた嫌いがあると思うのね」とも仰っているのですが、安倍さんが良く使う『次元の違う政策』というのは法解釈の話というより普通に考えた場合は経済政策の話で、ここではないどこか次元の違う異次元空間にお金を供給したって異次元空間を改革したってはっきり言って何の意味もないのですから、やっぱり現在の日本に対して自身の政策(竹中さんと安倍さんの合作だと思いますが)を高次元に据えた考え方をしていると解釈する以外にないと思いますし、またそれは「延長」ではなく「加速」させられて行っているのだという保守からの(またリベラルからの)指摘への答えにも全く成り得ていないやはりごまかしのレトリックだと思います。(以後誤字や間違いのないようにちゃんと気を付けたいと思います。。)
マチコ says:
7月 17, 2014
はじめましてです。国家のツジツマを本屋さんで買って読みました。とっても面白く、何度も折に触れて読み返したいところがあります。震災ゴジラを買ってよみたいと思います。
話は変わりますが、司会者は、内心こうも思っていると思っていたりして・・・(冗談ですけど)「お前が俺に批判的なのは、俺に期待しすぎているからじゃないか」。(佐藤さんは、最初っから、残念な司会者に対して、期待などないと思いますが。。)どうしてこうも、安倍首相をかばうのか、その辺の心理が自分には全く、わかりません。
自分と安倍首相を一体化しているのか? はたまた、安倍政権を作ったのは、自分だと思ってるのか??
最近、残念な司会者さんの「お顔」が前よりも、感じの悪いものになってしまったと思ってしまいました