「僕たちは戦後史を知らない」で提起した概念に

らせん階段史観というものがあります。

 

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要するに歴史とは

根本のところをハズしてしまうと

らせん階段を登ってゆくときのように

表面的な細部が異なるだけの堂々めぐりに陥るという話。

 

・・・その見本のような例が出てきました。

 

「僕たちは戦後史を知らない」の第六章

「戦後は終わっても終わらない」には

公害企業主呪殺祈祷僧団というものが出てきます。

 

1970年代はじめに見られたもので、

公害で死んだ人々の怨みを晴らすとして、

公害の元凶と見なした企業の経営者を呪い殺そうとしたもの。

 

当時はオカルト・ブームでしたから

その一環とも見なせるでしょう。

 

ところがですな。

 

この呪殺祈祷僧団が、

なんと45年ぶりに復活したのです!!

今度は脱原発・反安保法制のために

経産省前で祈祷を行うのだとか。

 

詳細はこちらをどうぞ(往年の僧団の画像もご覧になれます)。

 

ちなみに今回は

JKS47という略称もつけられた模様。

メンバーが47人なのでしょう。

 

復活した祈祷僧団のチラシはこちら。

 

いや、まさにらせん階段!

史観を提起した私自身、

ここまでとは思っていませんでした。

 

ところで、らせん階段史観の原型となったのは

かの大予言者、ミシェル・ド・ノストラダムス(愛称「ノスさま」)の言葉。

ご紹介しましょう。

 

歴史もじつは、そのようなもの(=らせん階段を昇るようなもの)なのです。

(中略)

場所も時間も乗り物も道具も、

あきらかに前とは違いますが、

目の前に繰りひろげられる光景は、

気味悪いほど前と似ていることがあるのです。

 

深い叡智が感じられませんか?

 

もっともノスさま、

歴史はえんえんたる繰り返しだという

あなたの言葉が正しいとすると

人類が滅びることはありえないような気がするのですが・・・

らせん階段がなくなってしまいますよ。

 

ではでは♬(^_^)♬