ツイート
・・・って、何かお分かりですね。
大阪都構想をめぐる住民投票の結果です。
これは「ちょっと awesome な話」で書いたような意味ではなく
本来の意味で awesome。
藤井聡さんの活躍にあらためて
拍手と
感謝と
祝福を送りたいと思います。
私はこの2月、
住民投票がすむまでの100日間、藤井聡さんを京大臨時総長に!
と提唱、
このサイトでは「京大非公式100days学長©」
という肩書きをつけてきました。
しかし学問の自由と、
言論人としての信念を貫いた功績に照らし
(これは京大の伝統にも沿ったものです)
今こそ藤井さんには京大総長クラスの栄誉が授けられるべし!
と、あらためて申し上げておきましょう。
ではでは♬(^_^)♬
15 comments
めだか友 says:
5月 18, 2015
不当な圧力に屈せず、事実を言い続けて結果がでましたね。素晴らしいです。
藤井さんたちお疲れさまでした。
どこぞの草莽何たらさんたちに特に言いたい。
思考停止による安倍擁護(もちろん罵倒も)は害悪です。
私たち日本人は、藤井さんの姿勢を見習って事実に基づく言論を行い続ける必要がありますね。
山田 高志 says:
5月 18, 2015
橋下さんの会見に気持ち悪さを感じました。
本気で進退をかけて臨んだのであれば、悔しがるのが普通では?
「あれは悔しさを噛み殺してるんだよ。器の大きい人は負けたときの引き際も素晴らしいんだよ」と言う人もいるでしょうが、全身全霊で臨んだにも関わらず結果が出なかった時、その直後に清々しく振る舞える人間なんているのでしょうか。
僕が思うに、橋下さんは今回の件は勝つことだけに拘ってなく、10年後のビジョンを持っているのではと感じました。
つまり、今回のことで多くの人の支持を得て、今後国民の政界に対する不満が溜って来た時、「あいつしかいない」という声を待って政界進出する。
「みなさんの幸せのために、私は残りの人生を全てなげうって、この国を変えてみせます!!」的な感じで。これで選ばれたら確かに強いなと。都構想どころじゃなく、もっと大きなことをやることが出来るなと。
こういう私の主観は受け入れられなくとも、あの会見をかっこいいだのなんだの褒め称えるのは間違いだと思います。会社経営者ならまだわかりますが、政治家として人々の生活を変えてしまう政策に本気で臨んだ人間の態度ではないなと感じました。
もうもう says:
5月 18, 2015
藤井先生の功績を称え銅像を建てるしかありません。
藤井先生お疲れ様でした。
チャーリー・須賀 says:
5月 18, 2015
藤井聡先生、有難うございました。
もしも先生がご苦労されなければ、大阪ばかりでは無く日本国もやがてメチャクチャにされていたでしょう。
私は先生が初めて国会で参考人としてお話された動画を見て以来、地元豊田市で「藤井聡さんを総理大臣にしよう」と会う人ごとに話してきました。
藤井聡先生が総理(国交大臣兼任)になられたら、財務大臣は三橋さんがいいナ~とか、中野剛さんは何大臣?それなら・・・施先生は?柴山先生は?佐藤さんは入閣拒否だろうナ・・などと夢想しております。
SATOKENJI says:
5月 18, 2015
この顔ぶれなら拒否はしませんwww
閣外協力の方が貢献できると思ったらそうしますがwww
チャーリー・須賀 says:
5月 18, 2015
佐藤さんが藤井キャビネットのことを気に入らないからという意味ではなく・・・佐藤さんはだけは、大臣認証状を陛下から受け取る時の”燕尾服姿と神妙な顔”が想像し難くて・・・
kazu says:
5月 18, 2015
今回の結果、本当に良かったと思いますし、藤井先生をはじめとする皆さまの活動に本当に頭の下がる思いです。
しかし、①若年層では賛成派が過半であったこと、②安倍総理は橋下氏の引退を惜しんでいる、などの新聞報道を読んでいると、日本の将来にはまだまだ楽観はできないと感じてしまいます。
特に日本の指導者が、橋下氏の様な姿勢の方を近年まれに見る政治家などと持ち上げてしまう、その姿勢にはawesomeとしか言いようがありません。って使い方違ってますか??
SATOKENJI says:
5月 18, 2015
それで正解です。
Imfuckingpressive という表現もありえますね。
kazu says:
5月 19, 2015
今朝の読売新聞に、橋下氏の発信力があれば最終的には賛成派が且つだろう、などと政府筋がコメントしていたとの記載がありました。
発信力ってなんでしょう?ウソだろうが誹謗中傷だろうがお構いなしの声の大きさ?
「発信力」で憲法改正するつもりなんですね、いまの政府は。
こりゃ、一難去ってもっと大きな一難がやってきそうですね。
佐藤さんも藤井先生も、みなさんまだまだ頑張ってください!
カインズ says:
5月 18, 2015
まさに薄氷の勝利でしたね。藤井さん達の活躍が無かったら、どうなっていたことか。ただ、今回は反対派が勝利したといっても、大阪の自殺を食い止めたに過ぎず健康体に出来たわけではない。今後も日本がデフレを脱却できず、国民の間にルサンチマンが溜まり続けていけば、同様のことが起きるでしょう。そうならないためにも、保守主義や正しい経済観が浸透していって欲しいものです。
saga says:
5月 18, 2015
・間接民主主義への閉塞感を利用して直接民主主義
・既得権益なるものに対するルサンチマンを煽って構造改革
・あと、デフレで長く低賃金長時間労働を強いられてきた若者の心の隙をついて、そんな時間とお金を交換するような不利な働き方ではなくうんちゃらかんちゃら的な、それで無限の可能性を引き出して成功者になろう的な教えを受けている人に構造改革ですと。規制改革が進めば新たなビジネスを立ち上げるチャンスが拡大する~みたいな。ホリエモンとかちきりんあたり(他にもいるでしょうがとりあえず)をフォローするようなタイプの若者が今増えているだろうから、そこら辺が新自由主義と結びつきやすくなっているように思います。今後も、新自由主義と緩やかな???全体主義には警戒しなければいけないのではないかと。
taiseiyou says:
5月 18, 2015
山田さま
>橋下さんの会見に気持ち悪さを感じました。
本気で進退をかけて臨んだのであれば、悔しがるのが普通では?
否決された橋下氏の記者会見での態度は、私の想像していたものと全く同じでした。
彼は、本気で大阪を良くしようとしている訳でもなく、以前から藤井教授が指摘していましたように、自分の人生における名誉欲、権力欲、達成欲の追及の塊のようなタイプの人間ですから、大阪で一発どえらい事をやりとげる私利私欲の道具として大阪都構想をぶち上げたに過ぎないと思っていました。
そう考えると否決後のサバサバした様子は、全身全霊をかけて大阪を本当に良くしようとした人間が、激戦の僅差で負けた時に見せるものでは決してなく、自分の私利私欲を結果的に達成出来なかったものの。十二分に楽しまさせて貰った充実感のように捉えたほうが自然です。
さらにもっと穿った味方をするならば、大阪都構想がもし実現すれば、ほぼ間違いなく大失敗に終わることは、いつの頃かは分りませんが、構想途中で橋下氏自身が思っていた可能性があり、(私自身は彼は馬鹿ではないので間違いなく気が付いていたと思う)その場合の取り返しのつかない裏切られた大阪人の怒りを考えれば、今回の大激戦の上で惜しくも敗戦し、大衆から惜しまれながら政界を去るシナリオは、今後の彼の人生では最高の結果ではなかったかと思えるのです。
そう考えるとあの笑みを浮かべながらザバザハして会見は、まさに彼にとっては人生の勝利の瞬間だったとも思えるのです。
追記・
それにしてもここまで接戦になるとは、イメージとプロパガンダで大衆を扇動するのは、過去の歴史で繰り返されてきましたが、今回目の当たりするとこうも簡単なことなのかと心底恐怖を感じました。
ひろ says:
5月 18, 2015
都構想自体はどうでも良かったんでしょうね。
「大阪都構想」が大阪を良くする唯一の手段だという確固たる信念があるのなら、どれだけ非難されても、それこそ小保方女史のように「大阪都構想は正しい」と訴えればいい。票数の多い少ないと政策が正しいかどうかなんぞ、実は何の関係もないのだから。
「住民投票で負けたから都構想は結果的に間違っていた」とか、普通は有り得ない。要は社会扇動が目的だったんでしょう。個人的な目的は達成したということか。
大阪はいいオモチャにされましたわ。
フルート says:
5月 18, 2015
一先ずほっとしました。。(開票中はもうダメかもと思った時もありました・・)何と言っても藤井先生の頑張りがすごかったと思います。多くの反対・慎重派の先生方から賛同も頂いて、意見も取りまとめて立派でした!
昨日の橋下市長の会見、やはりいろいろな見方ができる思うのですが、私が一番気になったのは、橋下市長の良く解らない選挙と戦(いくさ)と命についての持論も然る事ながら、妙なすがすがしさ(?)が醸し出されていた事です。何年か間を置いてからまた出馬する為の演出の様にも見えたのですが・・でも例の『改革の壺』の紙芝居をもう一度見て見ましたら、もう政界には戻って来ないかも・・とも思いました。『子供たち』(と表現されています)が、改革の壺の中に人間二人を放り込む(吸い込ませる?)訳ですが、この時、壺に入れられる二人は、もちろん困惑と恐怖の顔なのですけど、壺に入れそれを眺める『子供たち』(聴衆)は、みんな笑顔で、喝采していて、中には自分の頬に手を当てうっとりしている女の人もいる位なのですけれど、このお話し(殆ど狂気染みている)を解説している側の橋下市長の顔はというと、意外と私には余り希望が滲み出ている様な顔には見えませんでした・・むしろ焦燥感がすごいなと。。「クソ教育委員会、教育委員会のクソ野郎」と恫喝してみたり、泣いてみたりといろいろありましたけど、結局自分の中で構成されていく有権者の像に、自分自身耐えられ無くなって来ていたのかも・・という気もしました。全体主義的な政治というものは、やっぱり自滅して行くものなんだなと思いました。
やぶ says:
5月 18, 2015
本当にそう思います!私利私欲のためにコウモリのようにあちらに行ったりこちらに行ったりと情けない学者が溢れているなか、藤井先生の筋の通ったスタンスは、もう、何と言っていいのやら、言葉が浮かんで来ません!おつかれさまでした、そして、ほんとうに、ありがとうございました。藤井先生の勇気に万歳!!!