あまり期待されないまま出発した感のある
第四次安倍改造内閣ですが、
さっそく、こんな話題が出ました。
柴山昌彦文科相が、
10月2日の就任記者会見で、
教育勅語についてこう述べたのです。
(教育勅語を)アレンジしたかたちでですね、
今のたとえば道徳等に使うことができる分野というのは、
私は十分にある、という意味では
普遍性を持っている部分が見て取れる(。)
「使うことのできる分野」がどこか、については
「同胞を大切にするとか」などを挙げ、
基本的な記載内容について
現代的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いており、
検討に値する
とも述べたそうです。
検討する動きがあることが検討に値する
というのは
正直、日本語として意味不明なものがありますが
それは脇に置きましょう。
安倍内閣は2017年3月31日、
教育勅語について
憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない
という答弁書を閣議決定しています。
ただし1948年、
わが国では衆議院・参議院の双方で、
日本国憲法に違反していると見なされました。
こうして6月19日、
「教育勅語等排除に関する決議」が衆議院で、
「教育勅語等の失効確認に関する決議」が参議院で可決されます。
どちらも全会一致。
ちなみに「教育勅語等排除に関する決議」は
憲法違反であることを根拠に勅語の失効を宣言。
他方、「教育勅語等の失効確認に関する決議」は
憲法に基づいた教育基本法が制定されたことを根拠に
勅語の失効を宣言しています。
裏を返せば
憲法や教育基本法に反しないような形で教育勅語を用いることは否定しない
という閣議決定は
じつは何も意味しない。
教育勅語が憲法と教育基本法に反するものであることが
国会によって決議されている以上、
その両者に反しないような形で使うなどということは
本質的に不可能なのです。
要するにこの閣議決定、
純然たる認知的不協和の産物としか言いようがありません。
「やっぱり、認知するなら不協和音頭ね!」(※)お姉さまの感想です。
そんなに勅語を使いたいのなら、
国会で「教育勅語の効力復活に関する決議」でも
成立させてからにしてもらおうじゃないですか。
それが正当な手順というものです。
さすがにまずいと思ったか、
柴山文科相は5日の閣議後記者会見で発言を修正。
いわく。
教育勅語を復活させると言ったわけではない。
政府のレベルで
現代的にアレンジした形で道徳への活用を推奨することはない(。)
要するに
政府として使うわけにはゆかないから
学校現場で自主的に使うぐらいにとどめるしかない
という次第です。
ただし大臣、
「普遍性がある」とした箇所については
「現在の教育にも通用する内容がある」と強調、撤回しなかったとか。
いわく。
(教育勅語には)過去に日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれないが、
日本の規律正しさやお互いを尊重する気持ちは世界中で尊敬を集めている。
今なおアレンジして利用できる理念がある(。)
なんというか、言い訳しながら意地を張っている感じですね。
「そういうのって、ますます叩かれるわよ」(※)お姉さんの感想です。
むろん、左翼・リベラルは反発。
彼らの批判の論理構造を整理すれば、以下のようになるでしょう。
1)「日本人を戦争に駆り立てた部分」こそ、教育勅語の中核、ないし本質である。
2)ゆえに「普遍性のある部分」だけをアレンジするという「いいとこ取り」はできない。
3)同胞を大切にするとか、規律を重んじることを教えるだけなら、
いちいち勅語を持ち出さなくても可能である。
ハイ、もっともな話です。
ついでに
4)畏れ多くも勅語を「アレンジ」するとは、明治天皇にたいして失礼ではないか。
を付け足してもいいでしょう。
しかしここでは
左翼・リベラル諸氏とは違った形で
柴山発言の問題を取り上げましょう。
すでに紹介したとおり、
大臣は教育勅語の中で普遍性を持っている部分について
「同胞を大切にする」を挙げています。
この「同胞」とは、むろん日本人のこと。
けれどもお立ち会い。
2013年9月、ニューヨーク証券取引所を訪れた安倍総理は
こう述べているのですよ。
もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。
おいおいおい。
同胞とはまずもって、
同じ国境の中に暮らし、
同じ国籍を持つ者のことを指すんじゃないのか?
・・・そうです。
安倍総理はここで
「もはや同胞を大切にする時代は過ぎ去りました」
と述べたにひとしい。
で、教育勅語のどこにどういう普遍性があるって??
だからこの世は宇宙のジョーク!!
真面目な話、
新自由主義とかグローバリズムというやつは
同胞だからといって、別に大切にする義理はない
という理念にほかなりません。
新自由主義のもとでは、
個人はあくまで「経済人」。
人種や国籍は不問とされます。
ましてグローバリズムが
「同胞を大切にする」などという発想と無縁なのは
指摘するまでもないでしょう。
しかもTPPへのどんでん返し的参加や
TAGなる存在しない協定を妄想してまで
アメリカと(実質的な)FTAを結びたがる姿勢が示すとおり
安倍内閣はグローバリズムについて
歴史の必然のごとく位置づけてきたのではなかったか。
そうです。
同胞を大切にしないことこそ、今や歴史の必然なのです!!
で、教育勅語のどこをどう利用するって???
「バカ野郎、だから言っただろうが」(※)個人の感想です。
ついでに。
大臣も認めるとおり、
教育勅語には国民を戦争に駆り立てた側面があります。
具体的にはこちら。
一旦、緩急あれば
義勇公に報じ、
以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。
有事の際には
正義と勇気をもって国に尽くし、
皇室の永遠の存続に貢献しなさい、ということです。
『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』で論じたとおり
戦後平和主義の本質とは
自国(とくに自国政府)の否定ですから、
左翼・リベラルがカリカリ来るのはよく分かる。
しかしですな。
これだけの「奉公」を要求したら最後、
国も国で
国民の面倒を見るという姿勢を示さなければいけなくなるんですよ。
大島渚監督など、
徴兵制に関連してこう述べたくらい。
徴兵とは国民にとって、わが子を兵隊にとられることだった。
(しかし)軍隊にとってもらえれば、
その間はお国のお金で養ってもらえたのである。
そこで勉強もできたし技術も覚えられた。
家へ帰ればその経験が生きたのである。(中略)
わが子はいざとなれば、
天皇と国家が面倒をみてくれるという実感も持てたはずなのである。
そのことの是非善悪は今いわない。
ともかくも、
家族、わが子の生活を守ることについて、
国家が最終的には責任を持ってくれるという感覚は
たしかに昔の日本人にはあったのではないか(。)
(※)『平和主義は貧困への道』68〜69ページに引用してあります。
・・・お分かりですね。
「いざというときには国のために命懸けで尽くせ」は
「いざというときは国がお前たちを最後まで世話する」とワンセットだったのです。
この最も重要な箇所(その点において、左翼・リベラルの認識は正しいのです)を
「日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれないが」などと
もっぱら否定的に評価しておきながら、
主観的には教育勅語を肯定的にとらえているつもりなんですよ、柴山大臣は!!!
「これはアウフヘーベンもインテグレイトも無理!」(※)個人の感想です。
(※)記事の内容と直接の関係はありません。
というわけで、本日の結論。
教育勅語を再評価するとは、教育におけるナショナリズムの意義をあらためて提起することである。
ゆえに勅語の価値を説きたければ、
新自由主義やグローバリズムについても、ちゃんと批判すべし!
それをやろうとしない、
ないし、この関連性がそもそも理解できていない教育勅語肯定論は
失礼ながら認知不協和のタワゴトにすぎません。
みなさん、取り合わないようにしましょう。
認知的不協和を見抜くために、読むべき5冊はこちら!
7 comments
ヤン・ウェンリー命 says:
10月 8, 2018
心理学ではダブルバインドというのがあるそうです。
例えば親に「表情では拒否され、言葉上は優しい言葉を書けられる」という状況で、子供はどのように解釈してよいかわからずにストレスになるそうです。
「同胞を大事にしなさい!」「国境や国籍にこだわるな!」
・・・どうしろと(笑)
案外、日本はもう「動いてる」けど「死んでいる」というゾンビみたいなものなのかもしれません。
マゼラン星人二代目 says:
10月 9, 2018
いえいえ、なかなかどうして。
>一旦、緩急あれば
>義勇公に報じ、
>以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。
この地雷部分にしたところで、(「普遍性」のほどはともかく、)少なくともアクチュアリティはある。
すなわち、件の文言は、
「明仁さんを苛める安倍晋三とその取りまきをやっつけろ」(白井聡先生じゃないけど)
という読みかえを必ずしも排除しない。
ご覧なさい。このアブナイ部分も、こうして見れば実に時宜に適っているではありませんか。
というわけで、保守派のみなさんにおかれては、
自身の破滅をおそれることなく、
「教育勅語の効力復活に関する決議」
の成立に尽力されたがよろしかろう。
マゼラン星人二代目 says:
10月 9, 2018
>教育勅語の効力復活
「勅語の合理的核心を救う」とかケチくさいことを言わずに。
丸ごと。
拓三 says:
10月 9, 2018
女性が子供を産むとは排卵を毎月繰り返し身体を酷使しながら新たな卵巣を整え、受精にいたれば、十月十日、己の身体を犠牲にしながら栄養分を子宮に流し、いざ産む時には命の危険を伴い、激痛と戦いそして初めて新な生命がこの世に誕生するわけです。
ならば国家の成り立ち、つまり国家の誕生も同じ様な身体を伴う苦しみから誕生しなければ国家に母性は生まれないでしょう。それを裏図けるのが歴史です。日本には女性が子を産む準備、犠牲、生命の危険、それと値するだけの歴史が本来はあります。しかしながら戦前、戦後と歴史を分断し、サヨクが主張する戦後新な国家として誕生したと仮定するならば今の日本は米国に与えられた「ペット」です。そんな認識で国家を運営出来るのでしょうか ? そもそも国家と呼べるのでしょうか ?
所詮、国民もペット。日本も米国のペット。安倍もトランプのペットで御座います。
しろくま says:
10月 9, 2018
でも柴山文科省は安倍総理のグローバリズムをちくっと批判したいから言ったのかもしれませんよw
メディアの人達はグローバリズムですから教育勅語を全否定しにかかりますが、佐藤さんの言う通り
新自由主義やグローバリズムを批判せずに教育勅語を持ってくるのは矛盾してる面はあると思いますが
柴山文科省の心内は純粋なナショナリズムから出てきたのかもしれません。
教育勅語の全否定はナショナリズムの否定ですからねー、英語だ英語を公用語だとだーという文部大臣より
個人的にはいいなーと思います。その後英語も公用語とか言い出したら教育勅語をあまり深い考えなし
使ってただけなのかと思いますがw
マゼラン星人二代目 says:
10月 12, 2018
>でも柴山文科省は安倍総理のグローバリズムをちくっと批判したいから言ったのかもしれませんよw
そういうのを「閣内不一致」といいませんか。
反孫・フォード says:
10月 17, 2018
>学校現場で(自首・・・いや)自主的
元々一時期、教育勅語教育を専売特許(もしくは売り)?にしたのがモリトモ学園でしたよね。それを支持していたのが安倍首相、青山議員・・・他に居るのかは知る由もない。何の舞台を繰り返そうとしているのかサッパリ魑魅魍魎。
そして報道のネタと化した直後、詐欺師扱いに変貌。ワシゃ「デフレーションと言う言葉は使わないで話しましょう」発言の青山議員がまたもフラッシュバック。ワシの頭がサッパリ判らントン。ですね。
しかし野党も国会でしつこく押し問答を繰り返す芝居だらけで拉致が赤無い。刑事事件に持ち込めんのかぁーっ!
出来ないよね、あの頃パソナークロー竹中八田がフォローに回りましたもんね。そんなことしたら党員モロトモ波止場、或いは仁風琳の地下深くに沈められるのがオチなんでしょうし。
それより国際的なスポーツ精神より、地味な道徳心で医院じゃアーリマせん?共産党のDoctor小池晃先生ぇ。
ともあれ、やっぱり無茶苦茶な魑魅魍魎な話しですね。でもワシも馬鹿な庶民ばってん何もかも魑魅魍魎な気がするントン。長くてすみません。