愛において

現実と幻想は紙一重ですが、

じつは政治についても

往々にして同じことが言えます。

 

目下、シリアで日本人男性・湯川遙菜さんを拘束している

過激派組織「イスラム国」を例に取りましょう。

 

同組織の英語名称は「Islamic State」。

ずばり「イスラム国家」です。

 

従来は

「Islamic State of Iraq and Syria」

(イラクとシリアのイスラム国家)

などと呼ばれていました。

「ISIS」という略称は、ここから来ています。

 

しかるに2014年、イスラム国は独立を宣言。

6月には自分たちの名称を正式に「イスラム国」としました。

 

さて。

イスラム国は今のところ、

主権国家として国際的に承認されていません。

 

しかしイスラム国が

イラクとシリアの少なからぬ部分を

支配下においているのも事実。

 

こうなるとイスラム国について、

たんに「過激派組織」と片付けることは難しくなります。

 

悪友・黎夢諾の言葉にならえば

国家であると宣言し、

国家のように人々を支配している組織は、

要するに国家だ!

という議論も可能になってくるでしょう。

 

イスラム国のあり方については

残虐行為なども報じられており、

手放しで肯定できるものではないと思いますが

それは脇に置きます。

 

ここでのポイントは

イスラム国はもはや

一介の過激武装組織から

国家への道を歩み始めているのでは? ということ。

 

実際、今後の動向いかんでは

国際社会もイスラム国の存在を

だんだん承認するかも知れない。

 

つまり国家としてのイスラム国は、

当事者たちの幻想にしか存在しない「非実在国家」と、

国際的に承認された現実の国家の間の

グレーゾーンに存在しているのです。

 

とはいえ考えてみれば、

独立戦争に勝利する前、

1776年〜1783年のアメリカだってそうでした。

 

あるいは満州国はどうか。

13年間で消滅したこともあり、

今では「幻の国」などとも言われる同国ですが、

1930年代〜1940年代前半の中国東北部では

リアリティをもって存在していたはず。

 

裏を返せば

国家のリアリティというものは

その国を断固、存在(ないし存続)させたいという意志

つまり愛国心

人々にあるかどうかによって左右されうるのです。

 

その意味では、政治もまた愛の行為。

だから政治にも下半身があると言うのですよ。

残虐行為は、いわば政治的SM。

 

とはいえ、燃え上がることもあれば

冷えてしまうこともあるのが愛。

 

日本だって、事と次第によっては

いつか現実の国家でなくなり

幻の国と化すかも知れませんよ。

 

ではでは♬(^_^)♬