12月7日の記事
「この世界の片隅に」に、
玉田泰さんより、こんなコメントがありました。
以下は抜粋。
正直、先生の映画評を読んで、観る気にはなれませんでした。
そこで原作を読もうと思い立ちました(キンドル化されているんですね)
一読して、泣けるマンガではありませんでした。
そして、泣かせるマンガならどんなにか気が楽だったろうと思いました。
エッと驚く奇抜な発想と、
淡々とした日常の描写が無理なく同居して、
寄り添って来るようでした。
また12月10日の記事
「国のために死ぬと言うまえに」には、
せいさんより、こんなコメントが来ています。
ふたたび抜粋。
小林よしのり氏が確か戦争論で、
戦争体験者に話を聞いた際に
「俺はずっと危険な目にも会わず、飯食うだけの楽しい日々だったけど、
戦後はそういう話がしにくいので黙っていた。」
という話を思い出しました。
泣かせるマンガならどんなにか気が楽だったろう
という玉田さんのコメントと、
「俺はずっと危険な目にも会わず、飯食うだけの楽しい日々だったけど、
戦後はそういう話がしにくいので黙っていた。」
という戦争体験者のコメントに
共通項があるのはお気づきでしょう。
簡単に整理すると、こうなります。
1)いわゆる「昭和の戦争」については、
悲惨なものとして受け止めねばならぬという認識が社会的に成立している。
2)これに反する受け止め方は、暗黙のうちにタブー視されている。
3)「昭和の戦争=悲惨」というパターンは
決まり切ったものであるがゆえに、人を安心させる効果を持つ。
むろん、負けて占領されたわけですから、
その一点だけをもってしても、
「昭和の戦争=偉大」などと言うことはできません。
勝った戦争なら偉大と呼べるかどうかはともかく、
負けた戦争を偉大と呼ぶのは
私の関知するかぎり、現実逃避の一形態です。
だとしても、
偉大でなかったから、即、悲惨でしかない
ということには必ずしもなりません。
私は十年ほど前、
漫画家の上田トシコさんにインタビューしたことがあります。
上田さんは満州で敗戦を迎え、
引き揚げる際にはお父様が八路軍に処刑されたという経験の持ち主。
しかし上田さん、
断固としてこうおっしゃいました。
(満州について)悲劇性を強調することが、
すでに日本的な感じ。
(大陸の雰囲気に慣れると)引き揚げるときも暗くならない。
他の人たちも、心細い気持ちを抱えているせいで、
かえっていたわりあう。
暖かいんですよ。
悲劇と喜劇は背中合わせっていいますけどね(。)
(↓)上田さんの発言は、こちらでより詳細に読めます。
悲劇と喜劇は背中合わせ。
私はこれこそ、戦争を理解するうえでのキーワードだと思っています。
戦時においては、
人生を構成するさまざまな要素が、
極端な形で
しかも複雑に入り交じる。
自分がどの要素にぶつかるかは
ぶつかってみるまで分からない。
なのに、どんな要素であれ
ぶつかったら最後、取り返しはつかない。
海兵隊員としてベトナムに従軍し、
その経験をもとに「短期除隊兵」という小説(※)を書いた
グスタフ・ハスフォードの 言葉にならえば、こうなります。
(※)これを原作としてつくられたのが
スタンリー・キューブリック監督の映画「フルメタル・ジャケット」です。
戦争が醜いのは
真実が時に醜いものだからだ。
そして戦争は嘘をつかない。
戦争の恐ろしさとは
取り返しのつかない形で真実に直面することの怖さなのです。
しかしそうなると、
戦争を悲惨なものとばかり見なすことは
真実を悲惨なものとばかり見なすことにも結びつく。
そんな姿勢は人間を本当に豊かにするのか?
世の中を良くすることに結びつくのか??
・・・じつはですね、
漫画版「この世界の片隅に」が素晴らしいのは
このような発想の貧困から、
かなり脱却していることにあるのですよ。
こうの史代さんのあとがきから
あらためて引用しましょう。
わたしは死んだ事がないので、
死が最悪の不幸であるのかどうかわかりません。
他者になったこともないから、
すべての命の尊さだの素晴らしさだのも、
厳密にはわからないままかも知れません。
これは立派な見識です。
こうのさんの論理を突き詰めれば
戦争体験のない人間はむろん、
戦争体験のある人間でも、
戦争が悲惨なのかどうか
本当は分からないことになります。
だいたい死が最悪の不幸でないかも知れないとしたら
戦争=悲惨という図式の根本が崩れかねません。
本当は分からない。
この自覚こそ、
「この世界の片隅に」の偉大さの源泉なのです。
しかるにわが国では
昭和の戦争は悲惨であらねばならぬという信仰が成立していますので
こうの史代さんの提示した真実に触れても
それを例によって例のごとく
「戦争はイヤだ」という
陳腐にして貧困な発想の枠にあてはめて理解したがる方が
少なからずおられる様子。
むろん、そうしないことには安心できないのでしょうが、
そんな受け止め方をされては
せっかくの傑作が浮かばれません。
これについては、また改めて書きましょう。
で、最後に玉田さんに。
映画版、一見の価値はあると思いますよ。
ただし原作と比べると、いささか落ちますのでそこはお覚悟を。
6 comments
shupa says:
12月 13, 2016
悲劇と喜劇は裏表。
現代中国の大作家である余華は「活きる(活着)」「BROTHER(兄弟)」等の作品で国共内戦、大躍進、文革、改革開放等の激動と混乱を見事に描き切っていますが、彼の作品に一貫したテーマこそ「悲劇の中の喜劇」「喜劇の中の悲劇」なんだそうです。
これらを読んで私は、価値観が絶えず反転し続ける世界にいかに不安を覚えるかを思い知り、日本人は最後には中国人に勝てないと確信するようになりました。
GUY FAWKES says:
12月 13, 2016
先のチャンネル桜の討論で3時間目に西部先生と伊藤祐靖さんの後、
佐藤先生がマッカーサーの言葉の中にあった「戦の終わりを本当に知っているのは死んだ人間だけである」という
プラトンの言葉を聞くのはリドリー・スコット監督によるソマリア内戦における米軍介入の戦闘を描いた映画
『ブラックホーク・ダウン』のエピグラフ以来でハッとする瞬間でした。
そして、この作品の主軸となった存在は米陸軍レンジャー部隊及び特殊部隊・デルタフォースでしたね。
GUY FAWKES says:
12月 14, 2016
また、同じく3時間目に興味深かったのは佐藤先生も国民国家とEUについて少しだけ言及されておりましたが、
西部先生が指摘したことを受けて水島社長との議論が行われたのを聞いて思い立ったのは以下の点です。
「大東亜戦争の中に組み込まれていた『八紘一宇』の理念はアジア内における個々の国民国家という
アイデンティティーを鑑みた際、それは現在のEU(ヨーロッパ連合)における動乱と混沌を目撃している現在からすれば、
70年前は当時はわかりやすい帝国主義の時代だったとはいえ日本が掲げた大義は果たして安易に賛同して良いものか否か?
もしかすれば、AU(大アジア連合)金融危機や我々日本人が中国や朝鮮の様な近隣諸国のみならずインドやタイ・ベトナムの様な
東南アジア諸国とも距離感を誤った末の多文化主義失敗の顛末を迎えることも考えなければならないのではないか?
そして、それ(八紘一宇の理念)は鳩山由紀夫元首相、ないしはリベラル・左派の属する人々が提唱する『東アジア共同体』と
本質を同じくする不本意な一致に直面した際のディレンマに反米親米問わず保守派は説得力ある証明を成し得るのか?」
これについては「ファンタジーの戦後史」とも重なりますが、我々が細心の注意を払って留意しなければならないと思います。
TOMAS says:
12月 13, 2016
私、その温かさを作るの上手いですよ(^.^)。今までの人生はその温かさを生み出す事に専念してきたと言っても過言ではないです(^_^)v。私の印象では、今まで出会った多くの日本人は近代化つまりモダニズムに没入することで、其を求めながらも求めないふりをするという人間が多かったですね。勿論、人により程度の差はありますが、何時もそういった人間に対しては、モダニズムというものの正体を知っているのか否か疑問でした。勿論私もモダニズム~ポストモダニズム~モダニズムの回帰もしくは復活という近代の批評の流れを勉強しているときに、最終的に文学研究の第一人者であるフレドリックジェイムソンにたどり着きましたが、彼の言うモダニティの概念の復活というのは複雑で、其は今後の改革案を持たないという問題を解決しようとする試みらしいのですね。つまり、歴史的な進歩というヴィジョン(あらゆるものが待ち望んでいる幻想を助長するような)を持ち続けるためのどちらかというと政治的に用いられる言葉なのですね。何か神秘的で私たちの失われた欲望を喚起するような何かというイメージに近いのかもしれません。此にどっぷり浸かるのは、中々興味深い事なのか、それともそうでないのか、人によって議論が分かれるところかもしれませんね(^^)。
tinman says:
12月 13, 2016
仏教で苦しみの根本原因とされているのが無明です。
無明とは「見ないこと」。
裏を返せば、価値判断するのをやめて、今ありのままを見ることが苦克服の道。
今のままでは中国人に勝てないでしょうが、日本人が苦行をやめれば、まだわからないと思います。
問題はいかにして苦行とその無意味さに気づくか。
ブッダは6年。日本は20年。もうたくさんです。
参考「脳と瞑想」
玉田泰 says:
12月 19, 2016
この記事を目にして初めは浮かれて読み始めたのですが、それも長くは続きませんでした。原作マンガを読んで感じた不安感は、心の中のどこかに根深くあった「信仰」に触れたからなのだと気付いたからです。
ただ、先生が最後に僕へのメッセージというかたちで締めくくってくださったのは一つの救いでした。もう一度やり直そう、と言う気持ちになることが出来ました。
「発想の貧困」から少しは脱却したいものです。