保守のあり方については、

みなさん、本当に関心が高い。

 

ちょうど今、これをテーマにした本をつくっているので

心強いものがあります。

 

さて、昨日の記事「『保守の聖戦』の副作用」では、

SPIRIT OF CONSERVATIVE さんから寄せられたコメントを題材に、

政治運動を宗教戦争気分でやることが

いかなる感心しない結果を引き起こすかを指摘しました。

 

あるいは SPIRIT OF CONSERVATIVE さん、

あまり深い考えなしに、

軽い気持ちで「聖戦」と言ったのかも知れませんが、

だとしたら、もっと問題なのです!

 

重大な含みを持つ言葉を軽い気持ちで使ってはいけない。

それが許されるのであれば、

「慰安婦」を「従軍慰安婦」と言いかえてもいいし、

強制連行という虚偽報道についても

広義の強制性」があった、と弁明して構わないことになる。

 

だいたい、言葉は文化や伝統の基礎。

言葉をいい加減に使う者が、

文化や伝統を大事にすることはありえません。

 

そして文化や伝統を大事にしない者を

保守と呼べるかどうかはお分かりですね。

 

逆に「聖戦」という言葉を真剣な意味合いで使ったとすれば

それは「朝日新聞関係者は滅ぼされねばならない」と主張するのと同じです。

かりに同紙を廃刊に追い込めたとしても、

関係者が「反日的」な言論を続ける可能性はつねにあるんですから。

 

よって「聖戦」なる表現は、

いかなる意味合いで使ったとしても、保守にあるまじき物言いと評さねばなりません。

 

なぜこれを書いたかというと、

重大な含みを持つ言葉を、本当は真剣な意味合いで使っておきながら

都合が悪くなると

「あれは軽い気持ちで使ったものだから、そう真剣に受け止められても・・・」

と逃げようとする場合があるからです。

 

下手をすると

「聖戦という言葉にそこまで過剰反応するほうがおかしい」

と開き直る、なんて話にもなりかねない。

 

このような姿勢と何と呼ぶか?

そうです。

ご都合主義です。

 

愛国のためならご都合主義も許される?

そんな発想がまかり通ったら、保守派は終わりです。

 

さて。

「『保守の聖戦』の副作用」には、

RAISONDETRE OF SATORUMIZUSHIMA さんから、こんなコメントが来ました。

お名前を日本語に訳せば「水島総の存在意義」。

 

全文をご紹介しましょう。

 

水島さんは朝日解体関連の動画で色々糾弾しています。

「(朝日は)日本を貶めた」
「(朝日は)戦後レジームだ」
「(朝日は)言論テロだ」

 

確かに朝日は不道徳だったかもしれません。
しかし水島さんの一連の糾弾行為は残念ながら正当性がありません。

1.「日本を貶めた」
従軍慰安婦という架空の存在をでっち上げたのは確かです。

確かに「日本を貶めた」と思います。

でもちょっと待ってください。あなたなら当然このあとにこう考えるでしょ。

(東アジアの安定を望まないアメリカが画策したものだな)と。

ならば正確には「朝日新聞は日本を貶めたが、その背後にはアメリカがいたと考えられる」と言うのが筋でしょうよ。

 

2.「戦後レジームだ」

「戦後レジームは安倍晋三の中にもある。私の中にもある。全ての日本人の中にある。

今までこの状況を放置してきた我々にだって責任はあるんですよ」と言ってたじゃないですか。

ならば正確には「朝日新聞は戦後レジームだが、我々もその一部であり、責任者でもある」と言うのが筋でしょうよ。

 

3.「言論テロだ」
朝日新聞をテロ組織だと認定するとは!

左翼でもそこまでやる人はいませんよね!(意味深)

 

水島社長が本当にこのような発言をしたのか、

私は確認していません。

 

しかし氏が「結成準備事務局」の事務局長を務めている

「朝日新聞を糺す国民会議」のアピール文を見ると、

明らかに類似した主張が記されています。

 

アピール文を直接ご覧になりたい方はこちらをクリック。

 

よって、RAISONDETRE OF SATORUMIZUSHIMA さんの取り上げた発言も

1)水島社長によって実際になされたか、

2)そうでなくとも、実際の発言と見なして差し支えないくらい、氏の見解と一致する内容のものである

という判断のもとに書きますが・・・

 

RAISONDETREさん(お名前が長いので以下、こう呼ばせていただきます)が指摘しているのも、

つまりは議論の立て方にご都合主義が過ぎるのではないか、ということ。

 

長くなったので、続きは明日。

ではでは♬(^_^)♬