水曜日です。
「新日本経済新聞」、私の記事の配信日。
いつも通り、9:00ぐらいからご覧になれるでしょう。
今週のテーマは「後ろから鉄砲を撃つ人々」。
広辞苑によりますと、
無鉄砲はもともと「無手っ法」と書いたらしい。
そして無手っ法は、
無点法(むてんぽう)から転じた表現とか。
無点法は
理非や前後をかえりみず、むやみに事をすること
と定義されています。
安保法制をめぐる論議をはじめ、
あちこちで「墓穴リレー」が展開されている昨今、
無鉄砲もまた時代を読み解くキーワードと言えるでしょう。
くしくも先週、世を騒がせた
自民党の文化芸術懇話会をめぐっては
同党の佐藤勉・国会対策委員長が
会合を主催した木原稔議員らを呼んで
こう述べたと伝えられます。
安倍政権の応援団が
後ろから鉄砲を撃ってどうするのか。
応援団だとしても、結果としてそうなっている。
結果がすべてだ。
主観的には応援しているつもりの相手に
後ろから鉄砲を撃つ。
まさに無鉄砲の見本のごとき例です。
木原議員、そう言われても仕方ないと認めたそうですが
懇話会に出た議員の中には
党から厳重注意処分を受けたにもかかわらず、
物議をかもす発言を確信犯的に繰り返して、党幹部を唖然とさせている方も。
もしかして、隠れ安保法制反対派? という感じですが
なに、公然たる安保法制反対派も無鉄砲ではいい勝負。
ツイッターでとんでもない発言をしてしまった政治学者がいるのですよ。
それは誰か?
どういう発言をしてしまったのか?
くだんの発言の、どこがとんでもないのか?
メルマガではこれらの点を取り上げます。
ぜひ、ご覧ください。
しかし今年の夏は
まさに「愛国のパラドックス」の夏ですね!
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
マゼラン星人二代目 says:
7月 1, 2015
「新日本経済新聞」ともども拝読しました。
どっちも自分達の都合のよいわるいしか基準にしてない、というお話でした。
しかし、どうなんでしょうか。
そうした「外野」の動向を尻目に、現実政治の方は一歩先を進んでいる。
国会は、もう「知識人の話は聞かない」と言っている。これは、「日本社会に知識人は要らない」と言ってるのと、ほとんど一緒です。
この方がよっぽど深刻ではありませんか。
これに対して、「自民党の文化芸術懇話会」でも「ある政治学者ワールド」のもとでも、知識人不要論にまでは至っておらず、自分達の都合のいいもの(百田さんなり「戦後政治学」なり)については存在を許されるのだから、「これが最悪だ、と言えるうちはまだ最悪ではない」というか、まだまし、と言えないこともない。
御用学者というのはそう誉められたものではないが、それすらなくなってしまうことの悲惨さを思えば、まだまだ。
「ベ供」すらできなくなった世の中の、暗さ、狭さ、冷たさ。
マゼラン星人二代目 says:
7月 1, 2015
>御用学者というのはそう誉められたものではないが、それすらなくなってしまうことの
>悲惨さを思えば、まだまだ。
「ある意味での潜在的な所のいわゆるそれ自体」な人を見るにつけ、
「学識は妄想から人を救わない」と痛感、暗澹たる気分にならないこともないですが、
それでも、居ないよりは居たほうがいい、いうのが本当のところです。
たかゆき says:
7月 1, 2015
汝自身を 知れ♪
日本には主権がなく
独立国などでは ありません。
理由:推して知るべし
被占領国の住民が
憲法やら民主主義やら、、
ましてや安保を議論するなど
噴飯
日本は独立国ではないという
自覚がないならば
いつまでたっても
お偉い方々の墓穴リレーは続く と
ぼくは 認識いたしております。