ご存じ、西部邁先生の雑誌

「表現者」の最新号(69号、または2016年11月号)が

本日発売となります。

 

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22回目となる連載「一言一会」、

今回のテーマは「少女と意気地のない神々」。

 

今までも何度か取り上げてきた映画

「セシウムと少女」を題材に

 戦後日本において「少女」のイメージが持つ政治的意味合いを考察します。

 

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 (↑)映画のハイライト「東京POP」。タイムトリップにより、戦時中の帝都で展開されます。

 

この映画のヒロイン、ミミちゃん(スチール右)は

福島原発の事故を憂える日本古来の7人の神々と出会う。

 

ところがこの神々、

近代化の影響ですっかりくたびれ、

ヨレヨレになっちまっているんですな。

 

なにせ映画のパンフレットにも

どう見ても浮浪者同然とした困ったオジサン(紅一点も)たちにしか見えない

と明記されているくらいです。

 

紅一点もというのは

なかに1人、女神が混じっているためですが、

夜な夜な新宿ゴールデン街の飲み屋で酒盛りをやってはクダを巻いているだけなのですから

こう書かれてしまうのも無理からぬところでありましょう。

 

ミミちゃんは神々と一緒に

自分自身、および日本という国のアイデンティティを探す旅に出るのですが

この取り合わせを理解するうえで参考となるのが

戦前の海軍軍人・大西瀧治郎中将の言葉。

 

大西中将は神風特別攻撃隊の創始者とされますが

1944年秋の時点で

そこまでの攻撃に踏み切った真意について

こう語ったと伝えられます。

 

重油、ガソリンがあと半年分しか残っていない。

(中略)

半年後には、仮に敵が関東平野に上陸してきても、

工場も飛行機も戦車も軍艦も動けなくなる。

 

そうなってからでは遅い。

動ける今のうちに講和しなければ大変なことになる。

しかし、ガダルカナル以来、押され通しで、

まだ一度も敵の反攻を食い止めたことがない。

(中略)

 

万一敵を本土に迎えるようなことになった場合、

アメリカは敵に回して恐ろしい国である。

歴史に見るインディアンやハワイ民族のように、

指揮系統は寸断され、

闘魂のあるものは各個撃破され、

残るものは女子供と意気地のない男だけになり

日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。

このためには特攻を行なってでも、

フィリピンを最後の戦場にしなければならない。

(神立尚紀「戦士の肖像」、文春文庫、241ページ)

 

・・・とはいえ特攻を行っても

フィリピンが太平洋戦争の最後の戦場にはなりませんでした。

 

わが国は結局、

占領という形で敵(※)を本土に迎えることとなり、

しかもそれを「良いこと」と見なすにいたります。

(※)占領中も、日本と連合国は国際法上、戦争状態にありましたので。

 

もしかして戦後日本には

女子供と意気地のない男だけしか残っておらず、

民族再興の機会はすでに失われてしまったのではないか?!

 

これが今回の出発点です。

そりゃあ、神々だって飲んではクダを巻くしかなくなりますわな。

 

ちなみに今号の「表現者」には

さる8月に開催されたシンポジウムも採録されています。

 

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憲法改正は日本を取り戻す切り札どころか

究極のグローバリズム的構造改革になるのではないか?!

と、問題提起したやつですが

文章を推敲し、決定版と言える出来に仕上げました。

 

というわけで、ぜひどうぞ!

ではでは♬(^_^)♬