さて。

 

(T)hose whose sentiments are injudicious,

or unfriendly,

will cease of themselves 

unless too much pains are bestowed upon their conversion.

 

という英文を

 

浅はかな人間や

敵意を持った者は

転向することがたいして苦痛ではないなら、

おのずから考えを変えるだろう。

 

と訳すのが適切か、検討していきましょう。

 

最初の2行は問題ありません。

問題は3行目以下。

 

まず第一点、

Cease of themselves を「考えを変える」と訳して良いか。

 

Ceaseは「やむ、終わる、やめる」という意味です。

ならば cease of themselves は、直訳すれば「自分たち自身に関して、やめる」。

 

つまりは

姿を見せなくなる

ということです。

 

むろんこの場合、

姿を見せなくなるということは

独立戦争反対を主張しなくなる

ということですが・・・

 

考えを変えた結果、そうしたのだ

と判断すべき根拠、いずこにありや?

 

いいですか、ここで話題に上っているのは

浅はかな者や、敵意を持った者ですよ。

 

そんな連中が、論破・説得されたからと言って、

素直に意見を変えると思いますか?

 

形勢不利と判断して黙ることに決めた、

それだけのことではありませんか。

 

ゆえに!

「おのずから考えを変えるだろう」がまず不正確、というか実質的な誤訳。

したがって!

「転向すること」も不正確、というか実質的な誤訳。

 

つづいて4行目、

unless too much pains are bestowed upon their conversion.

という箇所を

転向することがたいして苦痛ではないなら、

と訳すことの問題について。

 

そもそも pain を「苦痛」と訳すところからしてヤバい。

複数形になっているときは、「苦労」「骨折り」「努力」などと訳すのです。

なぜか。

こういうときの pain は、

大変なこと

ではあっても

文字通り、痛みを感じること

ではない場合が多いから。

 

I have been at some pains to finish the work.

(仕事をすませるべく、努力を重ねてきた)を

仕事をすませるべく、多くの苦痛に耐えてきた

と訳して良いでしょうか?

 

つづきはまた明日。

ではでは♬(^_^)♬