自分が生きた時代より

100年先を見通していたのではないか。

そんな気がしてくる

宮沢賢治さんですが。

 

昨日、引用した「グスコーブドリの伝記」の描写には

関連して面白い特徴があります。

 

壁いっぱいに、

イーハトーブ全体の地図が、

美しく色どった大きな模型に作ってあって、

鉄道も町も川も野原もみんな一目でわかるようになっており、

そのまん中を走る背骨のような山脈と、

海岸に沿って縁を取ったようになっている山脈、

またそれから枝を出して海の中に点々の島をつくっている一列の山々には、

みんな赤や橙(だいだい)や黄の明かりがついていて、

それが代わる代わる色が変わったり、

ジーと蝉(せみ)のように鳴ったり、

数字が表れたり消えたりしているのです。

 

太字にした部分にご注目。

 

壁いっぱいに地図が貼られているというのなら分かります。

けれども、その地図が「模型に作ってあって」とは、どういうことでしょう?

 

模型とは立体的なもの。

壁に貼ることはできません。

 

しかもその模型のあちこちで、数字が表れたり消えたりしている。

数字はどうやって出てくるのでしょう?

どうやって消えるのでしょう?

 

よくよく考えると、この描写、納得のゆかないところがあります。

 

しかし、ここで描かれている情景は

「壁一面の液晶画面にイーハトーブの3Dシミュレーション画像が映し出され、

火山活動の兆候を知らせる数字が、あちこちに表示されている」

というふうに考えれば、じつに納得がゆく。

 

裏を返せば、宮沢賢治の文章は

頭脳明晰で、文才にも恵まれた1920年代の人間が

2020年にタイムスリップ、

デジタル技術を駆使した環境モニター・システムを目の当たりにして

十分には理解できないまま

自分の時代の言葉で懸命に記述したもの

のように見えてきませんか?

 

次に出てくる

黒いタイプライターのようなものが三列に

百(台)でもきかないくらい並んで

みんな静かに動いたり、鳴ったりしているのでした。

にしても同様。

 

「タイプライターのようなもの」とは、何を意味するのでしょう。

「のようなもの」である以上、

タイプライターではありません。

しかしタイプライターを思わせる形状をしていて、

類似の機能を果たすもの。

 

2010年代のわれわれにとって、

コンピュータのキーボードを、ここから連想するのは容易です。

 

現に私も

「銀色のタイプライターのようなもの」に向かって

この記事を書いている。

 

賢治ふうに描写すれば、こうなります。

壁を背にして、

大きなノートをいっぱいに広げたようなものが垂直に置いてあり、

銀色のタイプライターのようなものを叩くと、

そこに文字が表れたり、消えたりするのです。

いろいろな絵が表れることもあれば、

人の写真が出てきて、勝手にしゃべったり、歌ったりすることもあります。

 

時間を超越した四次元的天才、

それが宮沢賢治だったのではないでしょうか?

 

つづきはまた明日。

ではでは♬(^_^)♬