映画『ゴジラ』(一作目)で

ドラマ上、重要な意味合いを持つ

「平和への祈り」の場面。

 

これがいささか不自然であることは

昨日の記事でも触れました。

 

ゴジラが東京を破壊し、

なお去ろうとしない

(東京湾にひそんでいるのです)

という危急存亡の時点において、

全国各地で女の子を集め

 

やすらぎよ 光よ

とく 還れかし

 

と歌わせているのですから。

 

しかし、戦時中の日本を知る者にとり

この場面は特別なニュアンスを持っていたのです。

 

それに気付くきっかけとなったのは

わが伯母と話したこと。

 

この伯母、例のオペラ歌手とはまた別人。

戦時中は女学生で、

戦後はある劇団で活躍していました。

 

「永遠のパリ」とか「愛は夜明けとともに」とか、

今の人は知らないでしょうね。

って、私も舞台写真しか見たことはありませんが。

 

さて。

 

戦争末期ともなると、女学生も勤労奉仕に駆り出されます。

つまりは工場で作業をしていたのですが

伯母の通っていた学校はミッション系だったんですね。

 

当時、ミッション系の学校は白い目で見られていたのです。

 

キリスト教の学校(の生徒)など、

敵であるアメリカやイギリスに通じる

「隠れ英米派」ではあるまいか?

 

伯母の学校の生徒は、

当初、工場で冷たく扱われていました。

 

ところが、ある日の昼休み。

生徒たちが、みんなで歌を唄ったんですね。

 

べつに大した意味はありません。

学校でそうしていたから、工場でもそうしただけのこと。

戦時中なので、

「海ゆかば」などの軍歌が主だったそうです。

 

すると。

 

工場に配属されていた陸軍将校が

たまたま、その歌を聴いて

感動のあまり

今にも泣き出しそうな顔になったのだとか。

 

次の日から、生徒たちの扱いはガラッと良くなったそうです。

 

これを聞いて、私はピンと来ました。

「平和への祈り」の場面は、

戦時中の慰問をイメージして演出されたに違いない!

 

だから危急存亡の際に、少女たちが歌っているのも不自然ではないし、

それを聞いた芹沢博士がいたく感動、

オキシジェン・デストロイヤーの使用を決意するという展開になるわけです。

 

なるほど、そういうことだったのか!

 

私は深く納得するとともに

『ゴジラ』が架空の本土決戦を描いた戦争映画であることを

あらためて確認したのでした。

 

ちなみに「平和への祈り」を歌ったのは

桐朋学園(現・桐朋学園大学)の生徒たち。

 

当時、同学園は女子校だったのです。

生徒たちには、記念品として鉛筆などが配られたとのことでした。

 

ではでは♬(^_^)♬