昨日の記事
「国家への信頼感とは」について、
KAZUさんより、以下のコメントをいただきました。
佐藤さんが仰っていること、
国家への信頼感が大事だということ、
全くその通りだと思うのですが、
若干違和感があります。
「国家への信頼感」とか「国家と国民の対立」という時、
国家と国民は別の物である、
ということが隠れた前提になっていますよね。
国家って国民が纏(まと)まって生きていくためのもので、
本来区別しがたく渾然一体となっているものなのではないでしょうか?
ちょっとお花畑な考えでしょうかね?
国家と国民は、本来区別しがたく渾然一体であるというのは
少なくとも「国民国家」においてはその通りだと思います。
だとしても
国家と(個々の)国民の利害がつねに一致するわけではない
ということではないでしょうか。
べつに国家を批判しているわけではありません。
家族の中でだって、利害対立は生じるのです。
「親しき仲にも礼儀あり」ならぬ
「渾然一体でも利害対立あり」というだけの話。
裏を返せば、利害対立がありうるというだけで
国家と国民は別物 と前提する必要もありません。
そして一体感、ないし連帯を保ちつつ
利害対立を調整するうえでは
信頼感の存在が不可欠、ということになると思います。
大島さんの話に出てきた教師の言葉が
「阿呆な論理の遊び」を超えたものを持っているのも、
潜在的な利害対立を信頼感で克服することの重要性を
暗に説いているからではないでしょうか。
しかるに、この話の悪ガキよろしく
人々が「腹減った」と言って皇居に詰めかけることが、
敗戦直後には本当に起きたわけであります。
1946年5月19日の「飯米獲得人民大会」、
いわゆる「食料メーデー」。
これについては、明日のブログで。
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
たかゆき says:
1月 17, 2015
国「家」♪
「国家」という語を通して見える風景と
「政府」という語を通して見えてくる風景、、
僕には
まったく異なって見えてまいります。
財務小僧の言う
国家の借金、、、
政府はいつから国家になったのか?
財務小僧は
小国家の小国王のつもりでせうか??
まさに喜劇!!
「政府」は「国家」なり♪ が
通用する社会においては
悲喜劇を心ゆくまで楽しめる。。。と
僕は認識しております。
KAZU says:
1月 18, 2015
ありがとうございます。
利害の対立・・例えば国益を守るため戦争を行う、国民に犠牲者が発生、といった事態でしょうか?
その様な場合でも、国家は国民の利益、国益を守るために戦争を選択せねばならなかったんだ、と理解できれば国民は喜んで協力する、ということですね。
まさに信頼感があれば、ということなんですね。
よく理解できました。
ありがとうございます。
KAZU says:
1月 19, 2015
追伸:
だとすると、日本のために多くの国民が命を投げ出した戦前・戦中の日本というのは国家と国民が固い信頼関係で結ばれていた、ということになるのでしょうか?
サヨクの人たちは、「国家が国民をだましていた」などと表現するのでしょうが、信頼関係で結ばれていたと信じたいものです。