昨日のブログでは
某政党のスローガン
「日本を、取り戻す。」
について、
「日本」の後に「、」がついていることの持つ意味合いを考えました。
今日は「取り戻す」の後の「。」について考えましょう。
KAZUさんはこれに関し、
「モーニング娘。」の「。」を連想すると書いていますが、
これも非常に正しい感覚。
まず明らかなのは、
この句点、打つ必要がないこと。
「日本を取り戻す」で、
いったい何が悪いのか言ってみろ、てなものです。
打つ必要がないものをなぜ打った?
その理由は
打つ必要のある句点を取ってみれば分かります。
さっき出てきた
この句点、打つ必要がないこと。
という文を
この句点、打つ必要がないこと
にしたら、どうなるか。
分かりますね。
何か、話が終わっていないような気がするでしょう。
句点とは「ここで息を止める」という指定のマーク。
つまり「ここで文の意味がまとまりをもって完結する」ということです。
裏を返せば、
打つ必要がない句点を打っているのは、
文の意味がまとまりをもって完結するかどうか、
自信がないことの表れなのです!
単純に
日本を取り戻す
と書いただけでは、
「こいつらじゃ無理だろ(笑)」
と片付けられるのではないか、
そんな不安が透けて見えるのですな。
だから、
日本を取り戻す。
という書き方になる。
ついでに有権者の精神的肺活量をバカにしているか、
某政党の関係者みずから、精神的肺活量が足りないせいで、
不必要な読点まで打ちたくなり、
日本を、取り戻す。
が完成するわけです。
以上を要約すると
小手先のゴマカシに走らないかぎり、
とうてい格好がつかないと思っている者の書き方
と言えるでしょう。
もっともこれは、すべて一般論です。
スローガンを実際に考案した人、
およびOKを出した人が、
何を考えていたかは別の話ですので、念のため。
だとしても、「文は人なり」という格言は正しいのです。
ではでは♬(^_^)♬
5 comments
あらいち says:
8月 5, 2014
先日、党員のお宅だと思いますが、
「まっすぐ、景気回復。」という総理ポスターを見かけました。
????がいっぱいでしたが、佐藤さんの本日のブログで少しすっきりしました。
kanata says:
8月 5, 2014
もうこれは、批判のための批判としか思えませんね。「日本を、取り戻す。」は、一般論的に言って、どこから見てもケチのつく文章ではありません。「日本を、取り戻す。」と「日本を取り戻す」では、見た目の印象は、明らかに前者の方が強い。技術論的に言えば、文章は肺活量の問題だけではなく、見た目の印象も重要です。「日本を」の後の読点は、いま日本人の手にあるとは言えない、その日本というものを強調しています。最後の句点は、読点を打った際に最後に句点をつけるのは習慣的なものです。最近では句点を打たない文章も増えているので、これは好き嫌いの問題ですね。
ミノウ says:
8月 5, 2014
初めてコメントさせていただきます。
句読点の話とは関係ないのが恐縮ですが、安部内閣発足当時、件の討論番組にて
「”日本を取り戻す”ということは、今まで日本が日本ならざる物に支配されていたという、
恐ろしい事実を含意する」という趣旨の事を、藤井聡教授が仰っていたことを思い出しました。
この”日本ならざる物”を言い換えれば、戦後レジームという事になるのでしょうが、
もしかしたら、安部総理にとっての”日本ならざる物”とは、民主党とかサヨクとか
その程度の物だったのでは無いか。と思えてなりません。
もしそうであるならば、「日本を、取り戻す。」とは自民党の政権奪取へ向けての合言葉に過ぎず、
「政権交代」をキャッチフレーズに選挙を戦った民主党と大差無い様に思えます。
頓珍漢 says:
8月 5, 2014
2012/11/29 に公開の youtube【自民党 新CM(30秒Ver.)】「日本を、取り戻す。」
を、今、観ていました。
民主党(グローバル視観的には一緒だと思ってた)から取り戻す、の意味だったのか?。
あの頃は、実感なき小泉ライオン時代に、戻してほしいと願っているつもりはなかったのだが・・・。
ん、いやんっ、パラリっ(思考をこねくり回してふと浮かぶ言葉ばかりの私の嗜好は支離滅裂)。
kazu says:
8月 8, 2014
おはようございます。
句点に関するご見解も非常によく分かりました。句読点をどうとらえるか、が理解できたのみならず、ある文や文章から筆者の意向をどの様にくみ取ったらいいのか、ということが多少わかった様な気がしました。
話は変わりますが、「バラバラ殺人の文明論」を拝読させていただきました。
読んでいる真っ最中に朝日新聞に慰安婦問題に関する謝罪?言い訳?記事が掲載されました。
今まで「なぜ日本人である朝日新聞の人たちはここまで悪しざまに戦前の日本を悪く言うのだろう」という動機が全く理解できませんでしたが、第六章を読んでおぼろげながら理解できたような気がします。
朝日新聞はきっと分かって恥じているのですね、現在の日本が佐藤さんご指摘の重大な変節の上に成り立っていることを。そしてそれを直視することができず、戦前日本を怪物化しているのですね。
そうであるとするならば、彼らは一生懸命、戦後自民党などいわゆる保守勢力が中心となって築いてきた日本を失いたくない、と考えていることになる・・・自民党VS民主党、産経VS朝日、こんな対立構造はやっぱり「うわべだけ」ということなんですね。
いま行われているいろんな議論は、結局時間の無駄に思えてきましたが、しかし、「日本を、取り戻す!」ためには必要な回り道なのでしょうか?いずれ多くの人が佐藤さんのような方々のご指摘に気づき、徐々に軌道修正が行われていく、そんな迂遠な道を経てでないと、日本は取り戻せないのかもしれないな、と感じました。