昨日のブログでは

某政党のスローガン

「日本を、取り戻す。」

について、

「日本」の後に「、」がついていることの持つ意味合いを考えました。

 

今日は「取り戻す」の後の「。」について考えましょう。

 

KAZUさんはこれに関し、

「モーニング娘。」の「。」を連想すると書いていますが、

これも非常に正しい感覚。

 

まず明らかなのは、

この句点、打つ必要がないこと。

 

「日本を取り戻す」で、

いったい何が悪いのか言ってみろ、てなものです。

 

打つ必要がないものをなぜ打った?

その理由は

打つ必要のある句点を取ってみれば分かります。

 

さっき出てきた

この句点、打つ必要がないこと。

という文を

この句点、打つ必要がないこと

にしたら、どうなるか。

 

分かりますね。

何か、話が終わっていないような気がするでしょう。

 

句点とは「ここで息を止める」という指定のマーク。

つまり「ここで文の意味がまとまりをもって完結する」ということです。

 

裏を返せば、

打つ必要がない句点を打っているのは、

文の意味がまとまりをもって完結するかどうか、

自信がないことの表れなのです!

 

単純に

日本を取り戻す

と書いただけでは、

「こいつらじゃ無理だろ(笑)」

と片付けられるのではないか、

そんな不安が透けて見えるのですな。

 

だから、

日本を取り戻す。

という書き方になる。

 

ついでに有権者の精神的肺活量をバカにしているか、

某政党の関係者みずから、精神的肺活量が足りないせいで、

不必要な読点まで打ちたくなり、

 

日本を、取り戻す。

 

が完成するわけです。

 

以上を要約すると

小手先のゴマカシに走らないかぎり、

とうてい格好がつかないと思っている者の書き方

と言えるでしょう。

 

もっともこれは、すべて一般論です。

スローガンを実際に考案した人、

およびOKを出した人が、

何を考えていたかは別の話ですので、念のため。

 

だとしても、「文は人なり」という格言は正しいのです。

 

ではでは♬(^_^)♬