1月5日の記事
「新春キャスター討論を100倍楽しむ方法、または年貢を納めねばならない者は何に腹を立てるか」
について、
当事者だった sayaさんからコメントが来ました。
先日の討論をこのような形で総括して下さって、大変感謝しています。
私自身は自分を含めた同世代の一部が感じている
恋愛がなかなかしづらいという状況を気軽に発言したつもりだったので、
3時間もの討論の大枠がこの発言で決定してしまった事に戸惑うばかりでした。
正直、公共インフラの民営化など
他に話し合うべきポイントはたくさんあったと思うので
こんな発言しなきゃ良かった、、と自己嫌悪に陥ってしまった次第です(涙)
しかしながら先生の指摘はやはりその通りだと思います。
過剰に反応するのはやはりそうであってほしくない現実に直面してるからなのかもしれません。
今日から佐藤先生も寄稿されている
三橋先生の新経世済民新聞に参加させて頂く事になりました。
団塊世代を始め、先輩方への崇敬の念を抱きつつ、
私の世代なりの想いも伝えていけたらと思っていますので
よろしくお願い申し上げます‼︎
コメントにもある通り、
sayaさんは今年から「新経世済民新聞」のメンバーに加わりました。
1月6日に配信された初回の記事でも
例のキャスター討論について触れています。
「(涙)」などと書いていますが
かなり腹を立てているのは明らかでしょう。
W(^_^)W\(^O^)/saya様は討論における認知的不協和にお怒りのようです\(^O^)/W(^_^)W
もっともな話です。
「転換期の日本〜私達はどう生きる?」
などと壮大なテーマをぶちあげ、
かつ
現在の日本、および日本人
(いわゆる「保守派」を含む)の抱えるさまざまな問題点が
しっかり提起されていたにもかかわらず、
パネリスト(とくに年長の男性陣)は
恋愛をしづらいなどけしからん!
という点にばかりこだわったのですぞ。
若い女性が恋愛しづらいというのは
・緊縮財政と増税によるデフレの継続、または悪化
・北朝鮮危機を契機とする対米従属の深まり
・デタラメな憲法を、いっそうデタラメにしかねないような改憲論議
・日本の食糧安全保障の危機
・中国の覇権志向にたいする打つ手のなさ
・サイバー攻撃にたいする対応の不足、ないし欠如
・公共インフラの民営化を促進したがる動きの表面化
・与野党に共通する、経世済民にたいする意欲と能力の欠如
のどれよりも、切実かつ重要な問題らしいのです!!
W(^_^)W\(^O^)/やはり保守派も宇宙のジョーク、あっソレ!\(^O^)/W(^_^)W
(↓)びっくりしたあなたは、この4冊で口直しを。
・・・まあしかし、
これはちょっと意地の悪い書き方かも知れません。
詩人のT・S・エリオットが
傑作「四つの四重奏」で喝破したとおり
人間はあまり多くの現実に耐えられるものではない
のであります。
そして保守派も、しょせんは人間。
例外ではありません。
た・だ・し。
保守派(の大部分)が困りものなのは
あまり多くの現実に耐えられるわけでもないくせに
お花畑的な夢にいつまでひたっているんだ!
日本の危機的な現実を直視しろ!!
などと、
ついつい口走ってしまうこと。
要するに
自分が直面できる以上の現実に、直面するかのごときふりをするんですな。
とはいえ人間、直面できないものは直面できない。
すると、いかなる顛末になるか?
そうです。
憂国の情を重々しくぶち上げておきながら
いったんシビアな問題提起がなされると
どうでもいいような事柄に突如としてこだわりだし
いつまでたっても本題に入ろうとしない
という状態に陥るのです。
ちなみにこの振る舞い、
かつて(=1970年ぐらいまで)は左翼・リベラルのお家芸だったのですが
いつの間にか保守界隈で
本家をしのぐ流行ぶりを見せている。
さすが、保守前衛の面目躍如ではありませんか。
言い替えればですな。
たいがいの討論だの座談会だのは
表向き掲げたテーマを突き詰めないことを
ひそかなテーマとしているのです。
なんでかって?
人間はあまり多くの現実に耐えられないからですよ。
そのくせ現実に耐えられるふりだけはしたいからですよ!
テーマを突き詰めたりしたら、この点がバレるでしょうに。
つまりは「現実のシビアな問題にたいする答えを模索する」のではなく
「そういう模索をしている、賢く誠実な自分」のイメージに酔いたいのです。
早い話がシャンシャン大会。
こうして人間は、自分自身のパロディと化してゆくのでありました。
あ、もっとも。
これに涙したり怒ったりするのは、まだまだ若い。
認知的不協和から現実逃避に走りつつ
そんな逃避などしていないと格好をつけたがり
虚勢が見破られるはずはないと思いこまずにはいられない
人間の愛すべき弱さや脆さを
笑いながら楽しむのが、人生の味わいというものでありましょう。
ではでは♬(^_^)♬
16 comments
momo says:
1月 7, 2018
水島社長がパネリストに正論を言われた時、
「確かにそうなんだけどね」「それはその通りなんだけど」などと、正論と認めつつ受け入れないのは、
議論してしまうと悲惨な現実が見えてしまうので、そういった確信を突く話題から上手く話を逸らそうとしているのでしょうか。
個人的に一番どうでもいい話題は左翼が悪い論です。
SATOKENJI says:
1月 7, 2018
>個人的に一番どうでもいい話題は左翼が悪い論です
確かにそうなんだけどね。
ZERO says:
1月 7, 2018
じゃぁ、どうするの?となるわけですか。
カインズ says:
1月 7, 2018
議論が脱線した際に話題を戻す、しっかりとした司会の方がいてほしいですね。率先して議論の視界を乱す方ならいらっしゃいましたが。
大企業などから支援を受けていませんと言ったところで、多くの論者が安倍政権を本格的に批判しないという自主規制をしているようでは、この記事に挙げられている論点を論じることは不可能でしょうね。この自主規制によって様々なパラドックスに陥り、さらなる前衛化が進んで行ってしまっているのだなぁと感じます。認知的不協和に陥ると人はこうなるのだよという、良い反面教師ですね。
しかし、ずっと年下の女性出演者にこのような感想を抱かれてしまうようでは、ますらおぶりもお里が知れていますねぇ。
こもるん says:
1月 7, 2018
「世の中というものはいろんなものが影響しあって最終的に循環をなしている。
その循環の中で物理的な側面も必ず大きな役割を担っている。
戦後日本は物理的なところを置いといて観念論的にやってしまっておかしなところにいっている。
このサーキュレーションの中に物理的な側面、環境的な側面というものを入れなければ我々の思想の実践というものは完結しないのではないか。」
【討論】戦後日本人は変わってしまったのか?[桜H29/12/23]
https://youtu.be/jeULK-D266k?t=7154
以上の発言は藤井聡さんされていたものですが、水島社長とsayaさんのやり取りはこの発言に尽きるのではないでしょうか。
水島社長は表面上は取り繕っていますが、恐らくは「物理的な側面、環境的な側面」を軽視しており観念論・精神論で物事を語りたがるきらいがあります。
一方sayaさんはコメントにて「正直、公共インフラの民営化など他に話し合うべきポイントはたくさんあったと思う」と主張しており、私も全くもってこの主張に同意します。
水島社長には崇高な理念や思想があるのでしょうが、その思想を一旦横に置かなければそれこそ「思想の実践というものは完結しない」と思います。
poti says:
1月 7, 2018
どうも年貢を治めたくない人間は無目的に暴れだすらしい。
そういう訳であるから、今年のジャップや老人共は一部例外を除いて野蛮化するんじゃないかなぁ。
自己統制を失った前衛がどうなるか、というと内ゲバとリンチだと相場が決まっておる訳で。
山岳をベースにした話し合いがもたれるようにならなきゃいいなぁ。知らんけど。
幸いな事に年寄は年寄であるが故に体力がないので、若い世代の人々は危ないと見たら走って逃げるのも選択肢に入れて欲しい所。
馬鹿な年寄に付き合って死ぬなんて下らんぜ。まずはお前ら自身の為に生きな。
この国とジャップ共は日本人を助けたくないらしいからな。
五右衛門 says:
1月 7, 2018
佐藤さんの記事は内容が面白いからすぐに読み終わってしまう。特に今日の記事はその感が強いですね。
中野さんとか柴山さんの対談でも感じる事ですが、常識ってまともな人からすればごく当たり前の事だから、話の内容が単調になりやすいのに、こうも言葉巧みに書けるとは圧巻ですね。「やっぱ常識って大事だよなぁ」って感じさせることの難しさってありますよねぇ。それが一番大事だけど何回でも確認しないと意味がないってね。
レギーム作 says:
1月 8, 2018
昨今とみに聞かれる(気がする)「それは認知的不協和に陥ってる!」云々だけでは正直、
何も言っていないに等しいと思ってまして。
大事なのは、正しい認知と正しい不協和状態の対処法なのかと。
それらをしくじるとドツボにハマってしまい、
キッチュ、炎上、平松テーゼⒸといったハメになってしまう。
そのあたりを、このブログから大変多く学ばさせてもらっており、
大感謝なのであります。
恥ずかしながら私にとって、認知的不協和は日常茶飯事でございまして・・・。
ただ、そのぶつかった認知を、たとえ苦しくても紐解いていけば、
正しいものに辿り着ける可能性があるってことの裏返しだと考えれば、
自身の日々直面する認知的不協和状態も、楽しくなるってもんです(凄く苦しいけど)。
しろくま says:
1月 8, 2018
水島社長は安部総理のやってる&やってきた政策の現実を現在の与野党の政治をあまり批評したくないから話題を他の方にずらしたい傾向がたまにありますよね。
今回の討論も転換期の日本でどう生きるというテーマだったはずなのに若者の恋愛論ばかりになったのはそういう事なのかも知れませんね。政官財のやってる事の社会政策や色んな面で論じる事や話す事はあると思うのに何故若者の恋愛論だけに拘ったのか?女性人も含めて最近の男論だけに拘らずもっと幅広い討論してほしかったです。
風街 says:
1月 8, 2018
桜の立場上、佐藤先生に正論を言われてぐうの音も出ないようなお題を取り上げ「ない」わけにもいかず、収録の際、いざつっこまれると、社長の頭の回線がパンクしてしまうという現象が繰り返し、発生しています。
今年からは、表現者の方で、討論!討論!討論!のようなインターネット番組を、佐藤先生が企画し、司会進行もして、延々と日本の絶望的な現実を討論する番組を作ってほしいところでです、、社長のことは尊敬していましたが、安倍政権誕生後の社長はいけませんねえ。
私は佐藤先生が討論!討論!討論!に出演されていると、19世紀末頃のヨーロッパの貴族みたいだと思ってしまうのです。サロンで議論している貴族みたいだなと毎回そう感じます(笑)。今回討論番組は、1人でもあの場に紳士的な人が居て、(番組が)救われたと思います。
福岡ワマツ says:
1月 8, 2018
佐藤さんのブログのおかげで、当の討論を面白く味わうことができました。
それにしても、sayaさんはいい仕事をなさいましたね。
ご本人のコメントによれば『こんな発言しなきゃ良かった、、と自己嫌悪に陥ってしまった次第です(涙)』とのことですが、とんでもない!自己を卑下するにも程がある、ってなもんです。
むしろ、sayaさんのおかげで俄然面白くなったと言えますよ。
なぜなら、もちろん、あのパネリストの爺様方の当の反応を引き出したからです。
その反応によって、彼らの認知の歪みが浮き彫りになる形になりましたね。
これは所謂「アイズ・ワイド・シャット」の具体的な一形態だと思われます。
おかげで、あの爺様方の本質が垣間見えましたね。
そのような意味で、有意義な番組でありました。
彼らの性向にも興味がありましたので。
佐藤さんの言葉を拝借すれば、次のようなことかと思います。
ある人間の本質を知りたければ
何を見たがらないか、
さらには何が見えないかをさぐるべし。
(本ブログ2017/08/19 付記事より抜粋。) https://kenjisato1966.com/%E7%B1%B3%E5%85%B5%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%A5%B3/
ただ、爺様方は、ご自身らの性向よりも、若者の性交の方に興味がお有りのようですが。。
SATOKENJI says:
1月 8, 2018
>とんでもない! 自己を卑下するにも程がある、ってなもんです
sayaさんを・・・
というか、女性をナメてはいけません。
「いったい何なの! 許せない!!(怒)(怒)(怒)」という心情を、
しとやか、かつ婉曲に表現するとああなるのです。
言葉通りに受け取ったりすると、
大変なことになりますので念のため。
福岡ワマツ says:
1月 8, 2018
成る程、そういうことですね、忖度が足りませんでした(;^_^)
GUY FAWKES says:
1月 8, 2018
大変遅れてしまいましたが、あけましておめでとうございます佐藤先生。
しかし、私の申し上げたいことは殆ど他の方が仰ってくださいましたので以下の2点を。
>恋愛をしづらいなどけしからん!
前回記事で紹介されました件のsayaさんによるご発言もですが、どう考えても女史方のお言葉にもう少し耳を傾けるべきでしたね。
若輩の戯言を失敬すれば、これらの女性陣のご指摘は「安心して恋もできない、愛も子孫も育めない現代日本の現実を知っても
なお日本を愛せないのはおかしいことですか?」と訴えかけている様に思えました。
>た・だ・し。保守派(の大部分)が困りものなのはあまり多くの現実に耐えられるわけでもないくせに
お花畑的な夢にいつまでひたっているんだ!日本の危機的な現実を直視しろ!!などと、ついつい口走ってしまうこと。
要するに自分が直面できる以上の現実に、直面するかのごときふりをするんですな。
とはいえ人間、直面できないものは直面できない。すると、いかなる顛末になるか?
そうです。憂国の情を重々しくぶち上げておきながら
いったんシビアな問題提起がなされるとどうでもいいような事柄に突如としてこだわりだし
いつまでたっても本題に入ろうとしないというじつに微笑ましい、ないし笑うしかない状態に陥るのです。
嗚呼、これが本当のコンサバファッション(ファッション保守)!
年明けからキッチュまみれで七草不可避というヤツですな。
というか、福岡ワマツさんのご指摘に便乗させていただきますが、
こんなに女性陣にお気を遣わせていることに恥じないのかよ…(汚い言葉失敬)
せい says:
1月 8, 2018
明けましておめでとうございます。今年は来年よりは良い年となるか、それともミサイルや大地震で最低最悪までいくか、、、
三橋貴明さんが逮捕されましたね。容疑を否認しているので、判断は保留ですが、人間働き過ぎは良くないと思うので、この機会にゆっくりされたら良いかと思います。趣味のアニメを見るとか。
ラーマ says:
5月 23, 2018
〇先生がクローリーをご存じなのは少し意外だった。
「人間はあまり多くの現実には耐えられない」。これは至言。でも、かなり哲学・宗教の本質を知って、かつ、自分で自覚してないと思い浮かばないはず。
クローリー同様「魔術師」と噂されたG.I.グルジェフは言う。
「もしいかに多くの人々が実際には死んでおり、またいかに多くの死せる人々が我々の生活を統治しているかを知れば、我々は恐怖で気が狂ってしまうだろう。いや、実際人々は狂気に陥るのだ。といのも、彼らは適当な準備もなくこの種の何かを、つまり見るべきではないものを見てしまうからだ。危険なしに見るためには、彼は道の途上にいなくてはならない。何も為すことのできない人間が真理を見れば、まちがいなく気が狂ってしまう。しかし、こんなことはまれにしか起こらない。普通は、時期が早すぎると何も見えないようになっているのだ。」(『奇蹟を求めて』P.267)
「現実を直視せよ」、「歴史を直視せよ」という繰り言は、常識レベルの俗人の俗論であって、そのレベルでは一応もっともであるにすぎず、本当に直視したら気が狂ってしまうか、うつ病になってしまうはず。
たしかサルトルの小説か何か(『嘔吐』だったか)に、樹木の根を現実にたとえた表現があったかもしれない。
それほどほんとの「現実」は一般人には過酷すぎるもの。