かのエドマンド・バークは
『フランス革命の省察』で、こう喝破しました。
国民議会(=革命派)の一貫した行動原理、
それは困難を避けて逃げ回ることのように見受けられる。
世の中には、困難に立ち向かう勇気を欠いた者もいる。
そういう連中は、とかく安易な近道を探したり、
あれこれ小細工を弄したりする。
英知が足りないぶん、物事を力づくで押し切ろうとするのだ。
本質的な解決になるはずがなかろう。
(↓)この迷走、この混乱! 今の日本と、どれだけ違う?
明快にして痛快ではありませんか。
しかるに、われらがチャンネル桜の
「闘論! 倒論! 討論!」第500回
「日本人として安倍政権に物申す」から判断するに
困難を避けて逃げ回るのは
わが国の保守派(の大部分。以下同じ)の一貫した行動原理でもあるようです。
なにせ、この番組が浮き彫りにした保守派の特徴は以下の通り。
1)保守主義の本質が何なのか、理解する意思も能力もない。
2)国民のためと言いつつ、国民が望んでいない目標をめざしている。
3)しかも前項のような姿勢が、独善的な権威主義に行き着く危険性を認めることができない。
4)言動の随所に、極左革命願望がにじみ出る。
5)都合の悪い点や、自分たちの矛盾点について指摘されると、ちゃんと反論するのではなく、
思考停止に陥ってキレる。
6)おまけにその際、相手にすべての説明を求めることで自分の思考停止を正当化するという
依存心丸出しの態度を取る。
7)前項のような姿勢が通用しないと見るや、
「その話は後にしよう」と言って、なりふりかまわず逃げる。
ついでに言えば、
なりふりかまわず逃げる際にまで、
「前提が間違っていると結論もぜんぶ間違える」などと
捨て台詞じみたことを言っておきながら
その直後、
じつは前提がすべて正しいことを認めざるをえなくなるという体たらく。
裏を返せば、正しい結論に直面できず逃げたということですな。
にもかかわらず
政権に何やら物申せば、取り合ってもらえるつもりでいる(らしい)。
相手にされるわけがないじゃないですか。
W(^_^)W\(^O^)/みごとな自滅的総崩れ\(^O^)/W(^_^)W
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!!
崩壊ぶりがあまりに鮮烈だったのか、
シビアなコメントが多々寄せられています。
たとえば・・・
冒頭、佐藤健志氏が披瀝した
近代および「敗戦後日本」の精神的状況の本質を
ダイナミックに剔抉する明晰な洞察は圧巻であり、
あたかも未解決の数学上の問題に
証明を与えるかの如き鮮やかな展望を与えてくれた。
チャンネル桜のパネリストとしての
佐藤氏のレゾンデートルは
まさに思想的知性としてのその立ち位置にこそある。
佐藤氏のように精神の基層の次元において、
その本質を表現し、物語ることこそ、
行動を根底で支える知性者=思想家の役割にほかならないだろう。
今回のテーマの根底にある時代の思想的本質は
佐藤氏の冒頭の言葉に言い尽くされており、
佐藤氏がいきなり提起した討論の「思想的総括」に
水島氏は意表を突かれてしまったのだろう。
ではどうするかと水島氏は問うが、
それは私には討論の趣旨そのものを否定する
ナンセンスな論点のすり替えではないかと思われた。
いや、これは手厳しい。
討論とは本来、
明晰な洞察や
鮮やかな展望や
思想的総括を得るためにやるはずのものなのに、
ほかならぬ討論を司会している人物が
明晰な洞察や
鮮やかな展望や
思想的総括を目の当たりにしたとたん
ナンセンスな論点のすり替えをはかったと言われてしまったのです。
じゃあ、なんで討論なんてやりたがるの?
あるいは・・・
チャンネル桜は時々おかしくなる、
言っていることもコロコロ変わる、
佐藤先生の仰っていることがわからない、
わかろうとしない「意地」でもあるのでしょうか。
(ベッラさん)
頑迷なご都合主義という経路依存性があるわけですね。
自分たちは、気持ちよく「保守ごっこ」をしているんだ。
そのごっこの前提に冷や水を浴びせるようなことはしないでくれないかという思いが、
あの「じゃあ、どうするの?」の低くて重い声色にこもっているように感じられました。
(カインズさん)
ついでに、お花畑という経路依存性も。
やはり自称保守の連中は
基本的に日本人に興味が無いんだろうなと感じました。
彼らは旧来の左翼同様、理屈や論理が通じる相手ではなく
抽象的な日本を愛しているだけの日本嫌いに過ぎない事が、
より明確に確認できた討論でした(。)
(ぶひさん)
ほら、革命願望を見抜かれているじゃないですか。
ではどうしたらいいか?
それを偉そうに聞いている時点で規律として道徳的に駄目だろう。
聞く側は謙虚で低姿勢であるべきだ。
そこに見える自分だけは特権階級の特別ルールの奢りが浅ましい(。)
(学天則さん)
ついでに依存心丸出しの点まで。
し・か・し!
フランスの映画監督、ジャン=リュック・ゴダールいわく。
私が思うに、正しい見解を独占できるのは、間違った他の人々の犠牲においてである。
まあ保守派の方々は
意地でも英知に背を向け、
間違った発想を捨てまいとする強い覚悟
をお持ちのわけですから
犠牲になっても自己責任という感は強いものの、
ゴダールの言葉を、ちょっと言い替えるとこうなります。
明快な洞察や、
鮮やかな展望や、
思想的総括から逃げ出さずにはいられない人々からも
学び取るべきことはある。
何が彼らを逃避へと追いやるのかを理解すれば
洞察や展望、あるいは思想的総括を
どうやって活用するかについて
有益なヒントが得られるかも知れないではないか。
そうです。
困難を避けて逃げ回る者もまた
まさにそのことにより
困難に立ち向かう勇気のある者を
陰ながら支援しているのです。
次回の記事では
そのような勇気を持った人物をお二人、ご紹介しましょう。
ではでは♬(^_^)♬
あと二週間。チケットご予約はお早めに!
20 comments
Matom says:
6月 8, 2017
闘論!倒論!討論!、遅ばせながら、先ほどやっと拝見することができました。
他の方がコメントで触れてらしたら重複してしまって申し訳ないのですが、なんとも興味深いのは、先生も仰っているように、他のパネリストの方々が(無意識なんでしょうが)意図しているとも思えるほど一貫して、「経路依存性」を「経路依存症」と呼ぶことです。
これは当然、ただの言い間違いなどではないでしょう。つまり、かの方々にとって「経路依存」という言葉は、おそらく戦後レジームのイメージで想起され、そしてそれは、(近代的価値観では根絶すべきものである)「病気」に似たものとなるのでしょう。だから、「経路依存」の後ろにつくのは「性質」ではなく「症状」になってしまう。
ここに見えるのは、彼らの深層にある願望がまさに、戦後レジームという70年続いた経路を全否定してしまいたいという、革新的なものであるということです。
「経路依存」こそ、保守の大前提である。自称保守の皆さんがこれを理解できないうちは、日本の未来が明るくなることはなさそうですね・・・。
SATOKENJI says:
6月 8, 2017
経路依存が「症状」だとすると
保守も「戦前の経路に依存する」という病気に冒されているはずですが
その点への自覚はないようです。
そして
なかなか自覚症状が表れず
表れたときにはすでに手遅れ
というのが
致命的な病気のパターンだったりするのです。
だいたい、戦前の日本は経世済民に失敗したんですからね。
matom says:
6月 8, 2017
保守派とともに、日本も手遅れ……なんてことにならないと良いのですが。笑
(まあ、とても笑いごとではないのですが)
あと、個人的に面白かったのが、他の方のコメントでも見受けられるように、今回の討論、自称保守派の方々の述べる内容があまりにも空虚に見えたということです。
(例えば、本文で引用されているコメントだと「保守ごっこ」や「抽象的」など)
数年前のch桜の討論では、ここまで空虚さが目立つことはなかったでしょう。では、その理由はというと、それはもちろん、冒頭の先生の鋭い指摘があったことで他の方のコメントが内容薄に感じられた面は間違いなくありますが、もう少しマクロ的に考えると、やはり、戦後保守(安倍政権)と保守(パネリストの方々)の矛盾がここにきて隠し切れなくなってきたためでしょう。
両者の矛盾とはつまり、ナショナリズムの実現において米国従属を是とするか否かです。今まではこの点をうやむやにして、両者は一種「左翼よりはまし」の理論で手を取り合うことができましたが、トランプ大統領の登場によって、もはや米国従属か自主独立かの選択は目の前の選択肢となってしまったのです。
今まで、「日本を取り戻す」の「日本」をあやふやにしておく事で、安倍政権は両者の支持を得ることができていましたが(水島社長がずっと言っていた、「総理は本音では」、はその典型でしょう)、ここにきて、その「日本」の正体が「アメリカの中の日本」であることが明確なものとなってしまいました。
つまり、水島社長が「安倍政権に物申す」と題さざるを得なかったことこそ、自明的に、現状の日本が今までの左右対立で語ることができない状態にあることを証明しているといえるでしょう。なのに、パネリストの方々は、いまだ左右対立の思考から脱出できてはいない。安倍政権の言葉遣いの問題について、「民主党政権のときはもっと酷かったのだから、それと比べれば雲泥の差だ」と仰る方までいる始末です。
もはや、舞台は崩れ去ったのに、彼らはいまだ同じ舞台にのぼって、いつものお決まりのセリフを発していく。これが空虚でなくなんでしょう。
「じゃあ、どうするの?」というセリフに対して、私は「じゃあ、それで(その方法で)いいの?」と返してみたい衝動に駆られます。
長々と失礼いたしました。
SATOKENJI says:
6月 8, 2017
>「じゃあ、どうするの?」というセリフに対して、
私は「じゃあ、それで(その方法で)いいの?」と返してみたい衝動に駆られます。
それ、いいですね。
「じゃあ、どうするの?」
「明快で現実的な答があれば誰も苦労しない。
だが、『じゃあ、どうするの?』とか言って、
何かやり返したような錯覚にひたっているかぎり
どうにもならないことは確実だ」
GUY FAWKES says:
6月 8, 2017
>今回のテーマの根底にある時代の思想的本質は佐藤氏の冒頭の言葉に言い尽くされており、佐藤氏がいきなり提起した討論の「思想的総括」に水島氏は意表を突かれてしまったのだろう。ではどうするかと水島氏は問うが、それは私には討論の趣旨そのものを否定するナンセンスな論点のすり替えではないかと思われた。
なんという正鵠を射たる指摘、そしてこんなことをわざわざ他人が指摘しないといけないという事実が悍ましい。
そして、それを理解できないという恐るべき認識段階。
「安倍政権に物申す」と名打った討論にも拘らず、「そこに至るまでの経緯について振り返って、
もっと大局観をもって論じましょう」という慎重な姿勢の人の言葉に「じゃあ、どうするの?」と問いかけている…
議論の上で然るべき前提も歴然とした結果も受容せず、剰え議論をより本質的な次元へと踏み込もうとした人に説明を丸投げ。
僭越ながら申し上げさせて頂きますが「論旨の否定」「ナンセンスな論点すり替え」であると同時に
これは『悪魔の証明』ですよ、佐藤先生。
なぜなら、問題提起をした当人が自分以外に証明を要求しているのですからね、これで民進党さんを嗤えますか!?
あの一連のやりとりには「日本人はいつもマトモで素晴らしいが、稀に間違う時もある」という根拠なき手前勝手な美意識、
更に言えば「自分達が尊いとする偶像に当てはまらない者は日本人にあらず」とでも受け取れる様な
「死んだジャップだけがいいジャップ」が可愛く思える傲岸不遜さ。
あるいは「安倍政権になんか言っておくフリさえしておけば上辺だけのツッパリは果たせるだろう。
本質的な解決なんて面倒なんだから、頼むから間違っても議論の俎上にはあげないでおくれよ」としか考えられない
見せかけだけの現実主義を盾に現状がジリ貧に陥ることを頑として認めない病理を浮き彫りにしたでしょう。
そんな自分とその取り巻き以外に通用しないファンタジーをいつまでも後生大事にしている態度の厄介さという点では
左翼・リベラルのそれを保守派は遥かに凌駕している。
当然ですよね?前者はそもそも国家を否定しているのがデフォである故に自明である一方、
後者は国家を肯定しながら今までの道程を振り返ろうとしないのですから。
昨夏の表現者シンポジウムで浜崎洋介さんが「過去を持っていない人というものがいるでしょうか?
いたとすればそれは人格喪失者です」と仰っていた意味が改めて理解できたと思います。
SATOKENJI says:
6月 8, 2017
浜崎さんが言わなかったことを一点。
過去を持っていない人よりも
いっそう人格喪失に陥っている者がいるとすれば
それは過去を持っているつもりになった人です。
momo says:
6月 8, 2017
チャンネル桜は戦後保守を批判し、自分たちが正当な保守かのような態度ですが、革命思想があるのですね。
つまり改憲や戦前復古さえしてしまえば保守思想はどうでもいいと。戦後70年も、見たくない歴史だけれど歴史には違いなく、保守としては対峙しなければならない課題ですよね。
戦後を否定するということは、経路依存性を否定するわけだから保守ではなくなる。保守が保守的思考を否定する矛盾に、水島社長以下保守陣営は混乱してしまったということでしょうか。
よりよい未来に進むために、経路依存性を否定し、保守主義を否定し、それでもなお芯の通った何かを保守していく。その何かを探していくのが建設的な議論ではないでしょうか。
SATOKENJI says:
6月 8, 2017
何かを「見たくない(=否定したい)」
ということと
それを「全否定しても構わない」
ということは
当たり前ですが、まったく違います。
まして
「現実に全否定することが可能である」
との間には
100万光年ぐらいの開きがある。
にもかかわらず戦後について、これらの区別をずっとつけてこなかったのが
つまりは保守派の経路依存性。
いちいち区別をつけても始まらないくらいマイナーな時代が長かった
という事情があるものの、
「経路依存症」と言い間違えるのも無理のない話です。
青 says:
6月 8, 2017
戦前を肯定すると戦前を否定することになり、その逆もしかりという現状に安住する限り保守も左翼も反日になる運命なのかもしれませんね。
戦前も戦後も肯定できるような経路を見つけなければ結局の所、保守派の言う日本を主語にする国家運営というのは出来ないように思われます。
私の尊敬する保守派の人たちには今一度、戦後の日本だって我々の愛すべき日本人たちが作ってきた歴史だということを思い出してほしいです。
青 says:
6月 8, 2017
戦後を肯定するとです。間違えました。
福岡ワマツ says:
6月 8, 2017
私も、安倍政権に物申すよりも、全体状況に物申す方を優先すべきだと思いますね。
ただ、強いて安倍政権に物申すことがあるとすれば、「失策の後始末、せめて消費税率を5%に戻すぐらいすればいい」ですね。
消費の増加により税収が増加すれば、それは国防費の原資になるのですから。
まぁ、そうするにあたっての困難に怯み、困難を回避して、しないでしょうけどね。
ちなみにここで言う困難とは「貧乏神Zの祟り」です。
我が国は八百万神の国ですから、神様にも様々おられるのです。恐ろしや恐ろしや。
<貧乏神Zとは?>
貧乏神の中の一柱。
貧乏神の中でも神通力が最強であることを示す「Z」の称号をもつ。
神器「シャッキンガーZ」を用いて人心を惑わし、人々から貨幣を掠め取ることを生業とする。
その特徴は、一般の貧乏神が家に棲みつき人に取り憑き貧乏へ誘うことに比し、「Z」は国家に棲みつき要人に取り憑き乏国へ誘う点である。
取り憑かれると、自らの意志で窮乏への道を歩み出すことになる。
祟られると、追い込みを掛けられ、窮乏への道をより力強く前へ急進的に進歩することになる。その道は自滅へ通ず。
憑依については諸説があり、その一説には、理性を媒介にするが故に高い理性ほど「Z」の魂が宿る可能性が高いとする説もある。
祓い方に定説は未だないが、その糸口として「経世済民の心」が注目される。
国家のヤジウマ says:
6月 8, 2017
今回の討論はプチ炎上気味ですが、しかし非常に重要だったと思います。私が普段拝見している保守系のブログにこのようなコメントがありました。
「経路依存性などというネガティブなものを保守するなんて不適切だ」
個人的には驚きでした。なぜならこの方も戦後の保守派を否定的に見ているはずだからです。しかしこのコメントですからね。まるでポジティブで綺麗なものだけを保守できるとでも思っているかのようです。それならば、例えば既得権益などというネガティブなものは破壊するべきだという答えに辿り着くと思いますが、革新派と何が違うのでしょう。左派が戦前を破壊したがり、右派が戦後を破壊したがる。そして右派を批判する自称保守派の中にも経路依存性を頑なに認めたくない姿勢を表す人たちがいる。
彼らは皆歴史に筋を通せない螺旋階段の中にいるようですね。方向や階層が異なるだけでしょう。あまりに遅かったかもしれませんが、今回の件で佐藤さんの真髄を見た気がします。
SATOKENJI says:
6月 8, 2017
経路依存性がネガティブなものなら
歴史や伝統を重視する姿勢もネガティブです。
国や社会がたどってきた経路なんですから。
すると歴史や伝統を保守するのも不適切ということに・・・
こうして保守派は極左への道を転がり落ちるのでありました。
ぶひ says:
6月 9, 2017
>意地でも英知に背を向け、
>間違った発想を捨てまいとする強い覚悟
>何が彼らを逃避へと追いやるのかを理解すれば
>洞察や展望、あるいは思想的総括を
>どうやって活用するかについて
>有益なヒントが得られるかも知れないではないか。
彼らを立てた柔和な表現でありダンス氏の優しさが見て取れます。
はっきり言って、自称保守と極左って病気なんだと思ってます。
病の発露が思想と政治運動に向いただけ。
彼に限った事じゃありませんが、水島社長はよく安倍を擁護する際などに、全く一般的に認知されていない外交関係を根拠を一切明示せず当たり前のように話すことがあります。
今までそういった発言について出演者が突っ込んだのを見たことがありませんし「皆、遠慮してるなあ^^;」と苦笑いしながら見てます。
典型例を挙げると、TPPの際には民主政権下では当然反対であったにもかかわらず自民政権化では「中国包囲網」とか訳の分からない事を言っていました。
この極端な思考の不真面目さは名前は忘れましたが病名がちゃんとあります。
核戦争や破滅的天災を恐れるあまり、日常生活を捨てて備えてしまう人などです。
思考の極端な飛躍。
事実、ネトウヨの中でも、より重症の者はこの世の全ては在日が支配しているかのように
思い込んでいる者も決して少なくありません。むしろこれは現在では一大市場です。
この病の程度、また方向性が個人個人でバラバラなだけの話で
実のところ、こういう自身の不真面目な思考と結論に疑問を覚えない人って物凄く多いですよ。
水島社長は経済面に関して、三橋氏、藤井氏、中野氏、柴山氏と多くの聡明な方々の解説を
間近で嫌というほど聞いてきたのに、未だにデフレが何なのかすら理解してませんよ、あの人。
前に興味がないからと書きましたが、それ以前にもう言っちゃなんですがバカとしか言いようがない。
その極めて重要な題材を理解出来ていない事にすら疑問と焦りを覚えずにいられる精神というのはこれは病気なんだと思います。
だって経済は日本人の生活そのものの一つであり、防衛力の要であり、国力なんですから・・
経済力のない国なんか他国も相手にしませんよ。
でもこんなことすら分からずに、何だか適当な妄想外交論と愛国論を仲間内で
あ~でもこ~でもないと何の意味もない討論とは名ばかりの井戸端会議してるだけで
「僕達、保守で~す」って何かのギャグですよ。
長くなってしまい、すみません。
彼らの醜態を見続けさせられ絶望が満ち足りてしまったのです。
本当は原稿用紙100枚分ぐらい罵りたいぐらいですよ。
メイ says:
6月 14, 2017
ぶひさんの仰る事、すごく解ります。仰る通りだと思います。
「彼らを立てた柔和な表現でありダンス氏の優しさが見て取れます」という所も本当ですね(笑)。佐藤さんは優しいんです。
それにしても、いわゆる保守派の方々はどうして日本の長い歴史の中で、明治以降のごく短い期間の歴史にばかり拘り、憧れる、というか肯定するのでしょうね?
「何が彼らを逃避へと追いやるのか?」⇒ 判らないのですが・・・初めから意見が強すぎて、「公平さ」や「洞察」といった事は望んでいらっしゃらない、という事でしょうか?
SATOKENJI says:
6月 14, 2017
>いわゆる保守派の方々はどうして日本の長い歴史の中で、
明治以降のごく短い期間の歴史にばかり拘り、憧れる、というか肯定するのでしょう
簡単です。
それ以外によりどころがないからです!
GUY FAWKES says:
6月 14, 2017
>簡単です。それ以外によりどころがないからです!
明治維新以降の日本史が偉大であるか矮小であるか、総合的評価は保守主義の原則として
未だ定めるのが難しいと構えるのがやはり妥当と考えます。
それを「他に拠り所がないから」で拘り続けるとはそれに何が『保守』なのか!?
これでは西部先生の提言するモダニズム(近代主義)への内省的考察も夢のまた夢…
メイさんの仰る様に佐藤先生にしても西部先生にしても、表現者の先生方は慈悲深すぎますね。
私が最も畏敬の念を抱く、あの正確無比な洞察力をお持ちの佐伯啓思先生も
突き放す様な冷淡さや何処ぞの何方かの様に猫撫で声で媚び売る様な振る舞いはしませんから。
自身が少しでも過激になれば虚妄性を払拭できても、曲がりなりの秩序すらも道連れに滅ぼしてしまいかねない
という謙虚さを内包している故なのでしょうが…洒落臭い能書きを失礼しましたorz
メイ says:
6月 14, 2017
お答えくださったのに、質問してしまうのは失礼と存じますが、恥ずかしながら判らなくて・・。
歴史の一部をよりどころにされる、というのは如何なことでしょう。外国との戦争で何度か勝ったことがある、という誇りでしょうか。
SATOKENJI says:
6月 14, 2017
そんな立派な話ではありません。
明治維新以前の歴史をよりどころにするのは
近代への適応を無視している点でアナクロニズムとなり、
かといって戦後を肯定したら最後
自分たちの存在意義がなくなるので
消去法により、明治維新から敗戦までをよりどころにするしかない
という
切実な理由、
ないし純然たるご都合主義によるものであります。
玉田泰 says:
6月 27, 2017
「何が彼らを逃避へと追いやるのか」
安直で目先しか見られない、自己保身ではないでしょうか?
本質から目をそらし続け、カインズさんの仰る『「保守ごっこ」をしているんだ』なと思います。
しかし、本質論を語れず、自分勝手な一般論に逃げ込む知識人なんて、存在価値が有るのでしょうか?
彼らから学べるのは「反面教師」くらいしか無いと思うのですが。
ところで『対論「炎上」のメカニズム』読了しました。
「天下公認の(=絶対的な)正義」(32ページ)が有ると信じるのは、エネルギー発生のメカニズムそのものですね。そして、『「勧善懲悪の構図」や「物語」と整合しない事実や主張は「隠蔽」される。』のは何とも恐ろしい。
読み進めて、藤井氏はご自身の体験から「炎上」のネガティブな側面を、先生はニュートラルに全体像を、主に語られていると感じました。
そして、「知性のめまい」という概念。先生は本を出されるたびごとに新しい思考ツールを提示されますね…もう天才とお呼びするしかないかと思います。
第七章は「炎上」をコントロールすべをお二人で探られていますが、日常に小さな祭りを、という提言は成程と思いました。
締めの「炎よ、われと共に歩め!」は決まりましたね。
いつもながら、拙い感想で申し訳ありません。