1月24日の記事

「英語化と『現実のマンガ化』」について、

4444さんから、こんなコメントが来ました。

抜粋してご紹介します。

 

漫画内では、おっしゃるとおり人物の目が大きく描かれることがしばしばあります。
では欧米人の別の特徴である大きな鼻は同様に描かれているのか?
そんなことはありませんよね。
大半の作品内ではむしろ小さめに描かれることが多く、
ほとんどない場合も少なくありません。
漫画が理想を具現化したものだという前提に立てば、
目は大きいほうがいいが鼻は小さいほうがいい、ということになるのみです。
ようするに欧米などとは基本的に関係がないものと思われます。

 

簡単にお答えしますと、

これは「日本人と欧米人の違いを曖昧にする」

ことをめぐる誤解ではないかと思います。

 

日本の漫画に

どう見ても欧米人のヒロインが出てきたら、

かりに日本人の名前がついていようと

「違いを曖昧にした」ことにはなりません。

 

日本人のようでもありながら

欧米人のようでもある「日本人」を

イメージのうえで作り上げる必要があるのです。

 

伝統的な少女マンガでは、

それが「目はキラキラ、鼻はチマチマ」という

ひとつの型に行き着いたのではないでしょうか。

要するにモンタージュですね。

 

ついでに髪にはウェーブがかかり、

カラーページでは明るい栗色か、ほとんどブロンドになる。

ちょうど今、手元に講談社漫画文庫版の

「はいからさんが通る」第一巻がありますが、

カバーイラストや口絵だと

ヒロイン・花村紅緒の髪はブロンド、

瞳は青になっています。

 

大正時代の日本人、という設定なのですけどね。

花村紅緒、実写映画版では南野陽子さんが演じましたが、

カラーページ版の紅緒は

「マッサン」のシャーロット・ケイト・フォックスさん

でも似合いそうです。

 

福田恆存さんなど、

日本の欧米化について

ずばりモンタージュの精神で行われたと指摘しました。

 

つまりは各分野ごとに、

イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど、

別々の国を手本にしたわけですが、

こうおっしゃるのですよ。

 

人間の顔にたとえて申しますと、

あの人の鼻の格好はいいから、

鼻はあの人のを、

眼はあの人が美しい、

口許はあの人が愛らしいというので、

まるでモンタージュ写真のように、

大勢のいいところをかき集めてくれば、

それで美人ができあがるという、

はなはだ奇妙な観念にとらわれて、

近代日本は刻苦勉励、

先進国(注:つまり欧米)に追いつこうとあがいてきたのであります。

(「文化とは何か」より。原文旧かな)

 

これについては、

私の新刊「愛国のパラドックス」に収録された

「時には厄介な話を」という論考もどうぞ。

 

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ではでは♬(^_^)♬