7月29日の記事

「スーパーグローバル・シネマの条件」

同31日の記事

「表現者シンポジウム、本日開催!(+マッドマックスの土着性)」で取り上げた

ジョージ・ミラー監督の「マッドマックス」シリーズ。

 

前にも述べたとおり、

このシリーズはオーストラリアの土着性に支えられています。

 

マッドマックス最大の売り物である

過激なカースタント

同国の特殊な自動車文化を基盤とするもの。

 

荒廃した近未来という設定も、

荒々しく雄大な同国の自然によって

大いに支えられていました。

 

最新作「怒りのデス・ロード」

アフリカのナミビアで撮影されたそうですが

画面で見るかぎり、

これはオーストラリアの原野をいっそう雄大、かつ荒々しくしたようなところです。

 

・・・同じ英語圏の国であろうと

(たとえば)カナダだったら、こうはならないでしょうね。

 

同国を代表する監督デヴィッド・クローネンバーグ大変な車好き。

「ファイアーボール」というカーレース映画を撮ったこともありますし、

「ラビッド」「スキャナーズ」「デッドゾーン」「クラッシュ」

自作で何度も交通事故を描いていますが

マッドマックスのような〈熱さ〉は感じられません。

 

いや、アメリカ映画のカーアクションにだって、

あの熱さはない。

 

しかるに面白いのは、

ジョージ・ミラー監督がこう発言していること。

 

マッドマックスは、

歴史を通じて世界中で繰り返し語られてきた英雄伝説のバリエーションだったんだ。

暗黒の荒野をさまよう孤独な無法者の物語という意味でね。

日本だったら、マックスは侍になる。

アメリカならガンマンだ。

さすらいの航海を続けるバイキングになることだってあるだろう。

 

オーストラリア(映画)ならではのヒーローという性格を

強く持っているはずのマックスが

侍にも、ガンマンにも、バイキングにもなりうる!

 

一見、矛盾しているようですが

じつはここに、文化というものを理解するカギがあります。

 

土着性に徹することでこそ、世界的な普遍性に達するというか、

土着の要素と普遍の要素をうまく融合できたとき

真に力強い文化が生まれるのです。

 

これについては、本日配信の「新日本経済新聞」でも論じましたので

ぜひ、あわせてご覧ください。

 

政治のみならず文化においても、

パラドックスにどう向かい合うかが重要なのですよ。

 

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ではでは♬(^_^)♬