ご好評いただいている
『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』
目下、AmazonではKindle版がセール価格で手に入ります。
しかるにこの本について、
じつに傑作なコメントが出ました。
読む者を(いったんは)絶望に追いやると定評のある本書(※)ながら
なんと、根拠のない安心論を広めているというのです!!
(※)三橋貴明さん、平松禎史さん、sayaさん他の反応より。
あれを読んで、そんな風に感じることができるとは
このコメントをした人物、
よほど悲惨な人生を送っているのではないかと
他人事ながら心配になるところですが、
その理由がまたスゴい。
自国通貨建てで国債を発行し、
かつその大部分が国内で消化されている以上、
日本に財政問題はないと論じているからなんだって!
当該の人物にとり、
戦後日本型の平和主義が、じつは貧困をもたらすものであることや
対米従属の末路が「爽快な自閉」であることは
政府債務(「国の借金」にあらず)の増加に比べれば
心配するにあたらぬ事柄らしい。
でなければ、根拠のない安心論を広めていることにはなりませんからねえ。
財政均衡の前には、貧困化も従属もどうでもいい!!
正義の味方・アウフヘーベンマンも
これにはお手上げに違いない。
アレクサンドル・デュマ(小デュマ)が言う通り、
どんな英知にも限界があるが、愚かさときた日には底なしであります。
(※)『三銃士』などで有名な同名作家の息子。こちらは劇作家。
まさに悲惨としか形容しえませんが、
こういうコメントが出てくること自体はいい話。
本書が新しい読者層を開拓している
何よりの証拠だからです。
やったぜ。
「せっかくだから、お洒落にレ・ミゼラブルと言ってあげるわね」(※)お姉さまのお言葉です。
アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!
・・・とはいえ、
底なしの愚かさにかけては
わが国政府も決して負けてはいない。
ご存じのとおり、
国会では水道法の改正と
入管法の改正があいついで成立しました。
つまりは
1)ライフラインをめぐるインフラが脆弱化し、
2)水道料金の上昇、および外国人労働力流入による賃金抑制の両面から
国民の貧困化が進み、
3)多国籍化により、日本社会のアイデンティティも解体されてゆく
という次第。
懸念されているような問題は生じないとする擁護論もありますが
まともな議論だけはしたくないといわんばかりの国会運営を見れば
真相は自明でありましょう。
何せ自民党の某議員など
入管法改正について
議論したらいくらでも問題が出てきてキリがないから採決しよう
と言い放ったのですぞ。
(※)記事の内容と直接の関係はありません。
かつて三島由紀夫は
いずれわが国が
無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国
になるだろうと書きましたが
甘い甘い。
あと10年もしたら日本は
無国籍的な、
空き家だらけの、
自称グローバルな、
中間層なしで富裕層と貧困層に二極分解した、
規制緩和と民営化にだけは抜け目がない、
ある没落衰退国
となっている恐れが強いのです。
♬でも、財政均衡さえ達成されれば大丈夫だからねwww
この経路は、もはや多分に確立されており
完全に回避することは難しいでしょう。
しかし、そのインパクトを多少たりとも軽減する手はないものか。
ここで紹介したいのが
施光恒さんが提唱した
ポスト・グローバル人材の概念。
時流に流されない男、施光恒さんです。
日本社会を「グローバル化疲れ」から回復させるのに貢献する人材ですが、
具体的にはいかなるものか。
どうぞ。
ポスト・グローバル人材とは、
グローバル化(「多国籍企業中心主義化」)でボロボロになった
国や地域社会の再生を図る人です。
個人主義的価値観ではなく、人々に連帯や協力を呼びかけ、
協調や団結を重視し、皆で国や地域社会の立て直しに努めることが彼らには求められます。
ポスト・グローバル人材には、
業績主義・自己責任重視の価値観ではなく、
古くさい言葉だと思う方も多いかもしれませんが、「感恩」が重視されます。
国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力のおかげで
今の自分があると感じ、
つまり「恩」を認識し、他者とのつながりに重きを置く価値観が大切なのです。
真面目な話、
これくらいの価値観の転換なしには
日本人なんて
遠からず絶滅危惧種になるかも知れません。
というのも11月22日、
毎日新聞がこんな見出しの記事を配信したのです。
デート経験割合が過去最低 「草食化」進む。
(※)記事自体は公開期限切れです。ご了承下さい。
日本性教育協会は1974年以後、
6年に1回のペース(※)で
青少年の性行動についての調査を行っています。
(※)2回目の調査のみ、1回目の7年後、1981年に行われました。
で、2017年に行われた第8回調査の結果がまとまったのですが
デートを経験した大学生の割合が
男女ともに過去最低を記録したというのですよ。
・・・『右の売国、左の亡国』で論じたように
高度成長の始まった1950年代後半より
わが国には
人とつながるより、カネで物を買うほうが幸せ
という風潮が見られました。
やがてこれは
豊かな消費生活を促進するか、
少なくともその邪魔にならないかぎりにおいてのみ、
恋・愛・性を許容する
風潮へとたどりつきます。
むろんその根底には
結婚するなとは言わないが、
平和を守るために「家」をつくってはいけないし、
わけても子供(=新しい家族)はつくらないほうがいい
という
戦後日本型の平和主義がある。
「だから私も、ドナルドさまの現地妻でいいの♥」(※)お姉さんの言葉です。
となれば、
デフレ不況が悪化し
多くの人々にとって
豊かな消費生活が遠のいてゆく昨今、
青少年の性行動が活発でなくなるのは当たり前。
つまり日本性教育協会の調査結果は
上記二冊の本の議論を裏付けているのですが
過去の結果を見ると
さらに面白いことが分かります。
この調査、
大学の男子・女子
高校の男子・女子
中学の男子・女子(1987年より)
のそれぞれについて、
デート、キス、性交の経験率を出している。
しかるにその推移には
以下の基本トレンドがうかがわれるのです。
1)1990年ごろを境に、いったん経験率が顕著に上がる。
2)経験率のピークは1990年代末〜2000年代半ば。
3)2010年代に入って経験率が落ちてゆく。
具体的な数値については
データの無断使用や掲載が許可されていないので出しません。
リンク先の記事をご覧下さい。
ついでに問題は具体的な数値ではないのです。
1990年ごろを境に急上昇し、
1990年代末〜2000年代半ばにピークを迎え、
2010年代に入って落ちだした。
この推移、何かと非常に良く似ていませんか?
・・・そうです。
新自由主義的な構造改革の人気と瓜二つなのです!!
このころは
恋愛市場だの恋愛資本主義だのといった具合に
性行動を自由主義経済、
とくに市場原理と結びつけるのが流行りました。
施さん風に言えば
さしずめ業績主義・自己責任重視の恋愛観です。
恋愛、ないし性行動の新自由主義とも呼べるでしょう。
ならば2010年代に入って
青少年の性行動が減少傾向を見せているのは
そのような新自由主義的風潮にも
みんな疲れてきたからではないのか。
論より証拠、
施さんが言うように
個人主義的価値観ではなく、人々に連帯や協力を呼びかけ、
協調や団結を重視し、皆で国や地域社会の立て直しに努める
あるいは
国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力のおかげで
今の自分があると感じ、
つまり「恩」を認識し、他者とのつながりに重きを置く
ことこそが
ポスト・グローバル人材のあるべき姿だとすれば
彼らの愛のかたちは
自由恋愛より「見合い」に近いはずなのです!
戦後日本における自由恋愛の肯定は
「家の否定」という
個人主義的価値観に基づく伝統破壊の性格を持っていたのですから
これも当然の話でしょう。
・・・むろん、これだけをもって
2020年代、若い世代はポスト・グローバル的な価値観に向かうだろう
などと即断はできません。
新自由主義やグローバリズムに疲れつつも
「この道しかない」という経路依存性にとらわれたまま
結婚せず、子供をつくらない生き方を選んでしまうことだって
十分ありえます。
ただしその場合、少子化が止まらず
日本人は消滅の道をたどるでありましょう。
そして極東の一角には
本来そこで暮らしていた民族が死に絶えた
空き家と移民だらけの、
富裕層と貧困層に二極分解した、
規制緩和と民営化にだけは抜け目がない、
かつて経済大国と呼ばれたこともある国
が残るのであります。
価値観を転換させるため、読むべき4冊はこちら!
ではでは♬(^_^)♬
8 comments
こみやこういち says:
12月 9, 2018
婚活する男って本当に存在しているのか? 全部仕込みじゃないのか? って思います。
結婚って、男にしたら、高値掴みの永遠の含み損じゃんか。
反日教育で、今だけ、金だけ、自分だけって女性しかいないんだからさ。
美人で若い女性なら、損切り(離婚)したあと、すぐに次が見つかるから簡単に離婚できるけど、
30過ぎた女とできちゃった結婚なんてしたら、酷い目にあうぜ。
私は若者に結婚して子供を作れなんて絶対に勧めません。
孤立、も孤独も、結婚よりましだから。
拓三 says:
12月 9, 2018
「結婚て、「男」にしたら、高値掴みの永遠の含み損じゃんか」
「今だけ、金だけ、自分だけって「女」しかいないんだからさ」
ね ! 女性の皆様。これは「吐いた唾、すぐ飲んだ」己のない典型例です。(ここまで綺麗な例を見たことがない)
この文面2つの「女」を「男」に変えればなんと ! 己の事を言っているのと同じ ! つまり己が「今だけ、金だけ、自分だけ」の人間であると公表している「だけ」のお話で御座います。
拓三 says:
12月 9, 2018
面白い !
新自由主義の内容て都合の良い女を作る時の口説き文句と同じなんよね。そうすると日本は米国の現地妻と言うよりも な、な、南極2号 ! かもw
何にせよ、男の都合の良い思考なんよ。つまり男社会。女性として生きるには不利な社会。私の物差しで言えば保守が生き辛い社会なんよね。社会が男になればその先は滅亡しか無いんよ。破壊による消滅、あるいは新な生命の減少による消滅。
女性(神)の皆様、決して男には騙されない様に。本質的な所から見つめ直してくださるよう心よりお願いいたします。そして何より男(左)は女、子供の為に生きろ。
しろくま says:
12月 9, 2018
佐藤さんの指摘する施さんのこれからかはむしろポストグローバリズム人材だという寄稿に
自分も凄い納得共感してましたので佐藤さんも取り上げてくれた事に感謝です
日本を立て直すには佐藤さんの戦後型平和主義からの脱却と施さんのポストグローバリズムの視点を持つこれを合わせた人材というか考えを持った日本人が増えるしかないと思います。性愛の事も新自由主義疲れから来てるっていう指摘になるほどなーと思いました。
ただこの国の政治や官僚や財界などのエリート達がそこに気付くかどうか
むしろもっとグローバリズム人材の育成をとか言いそうです。
マゼラン星人二代目 says:
12月 9, 2018
>個人主義的価値観ではなく
と枕詞がつくと
すぐに、
>国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力
という方向に脊髄反射するパブロフのワン君がいる。
人々がカルト宗教みたいなのに次々とオルグされるという懸念はしなくていいらしい。ほとほとおめでたいと言うべきである。(それこそ「根拠なき楽観論」)
これがパンピーならば幸せに生きられてよかったですねと言いたいところですが。。。。学者さんにしてはいささか疑り深さが足りないのではないか、と「他人事ながら心配にな」ってしまう。
>カルト宗教
わけても、「国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力」を謳いつつ、「国や地域社会、家族など周囲の人々、あるいは先人の努力」から遊離、さらにはこれに敵対関係にたつカルト宗教。
西部のお化け・幽霊が見ているぞ!! says:
12月 9, 2018
西部さんの自殺、自死以降下品な独り善がりの他者を思いやらない発言や侮辱とも取れる態度を自我に任せてしてる奴が時たま現れると察する人はいるかもしれませんが私であり申し訳ありませんでした。
第一報を聞いたときに本当に悲しく生きる支えが急に消失し当たり前にあった自分を埋めていた存在がごっそり抜け落ちるという感覚は私にとって初めてであった為(祖父等の時にはそこまで感じなかった)たくさん泣いて虚無感喪失感絶望感空虚感憂鬱、抑鬱、自暴自棄や失望あらゆる悲しみに直面するのは初めてでたくさん泣きました。
それほど私は西部ゼミや西部さんに依存し頼りきりで自立していなかった弱さでもあるのだと思います。
そして私の従来の考えとして時代に合わない切腹や自決により急進的なラディカルな行動主義により自決して理解されなかった三島は玉砕や責任回避司令官の自決等旧日本軍主義的な精神論の繰り返しであり無意味だったという感想を持っていたからです。
そして”誰かに迷惑をかけないように”、”生きていることが迷惑だから”敗者や弱者は自殺すべきという本の自殺文化は欧米の社会運動や問題改善を訴える前にその現実や苦労を知っている人が問題意識や経験による改善点の提起をする前に自らを消してしまうから安楽死等も進まず腐敗や理不尽がまかり通り平然と続くのではないのかという考えがあったからです。
私としても物心付いてから長らく万年西部りたい願望者でもあったがゆえにその絶望と悲嘆に対する感受性が強すぎたがゆえに、自殺願望者やメンタルを病んだ人に対して単なる自殺は解放という解決策自体に強い反発がありニヒリズムと唯物論やペシミズムに浸り小さなかすかな希望と心の温かさにすがり生にすがっている人からすればそのわずかな希望と心の支えを単純に全否定し折ってしまうという言説自体には思想的というカテゴリにおいても納得同意できなかった自身の矛盾により暴れてしまいました。
しかし考えるほどに、老後に家族に迷惑をかけたくない、自らが意識があり選択できる内に人間らしい選択をしたい。耄碌してボケて意見が変わるような醜態を晒す前に筋を通し連続性や一貫性を確保するためにも、そして偉そうに社会問題に知識階級としてほざき、流布したからにはそれに責任をとらなきゃならないし命をかけるレベルで筋を通さなきゃならないという西部さんの意思も強く分かってきました。
ある時代のパラダイムにおける大衆に伝わらない方法論は無意味だとは言い切れないと思い直し己の視野の狭さを反省しました。
しかしそれでもやはり、自身の家族に迷惑をかけない為に自殺未遂や死にきれなかったという醜態を晒さない為に、他の人間や家族を巻き込むという最期はやはり利己的であり人間や理論は不完全だからでユーモアにできない、私の良心的に許容できないものがありました。しかしそれも安楽死や死の選択への問題提起という解釈もあるようですが結果的に日本の至高の宝の西部ゼミナール動画が全て消え消されてしまいました。それも悲しい。西部さんがITやイノヴェーションと距離を取ったが故に大衆化せずインテグリティを貫けましたがしかしITに疎いがゆえに西部さんの会話や人柄、雰囲気や声として伝わるユーモアや温かさの映像が消失してしまいました。
私が西部爺が大好き愛してた超絶ラブだったのはそういう人情や酒場の何気ない会話や関係、ユーモアや身近な身の回りの人々を大切にしユーモアで理性合理の限界を笑い飛ばし、そういう庶民レベルの常識や知識や教養を大事にしながらその頭脳は高等数学や論理においても超絶天才であった人が結局、思想やジェネラリストに行き着いたことでもあった。
それ自体が経世済民やユーモアや成田空港闘争だので立ち退きが仕方ないからと言って当事者の心情を推し量らない保守はくそだという繊細な、繊細過ぎる西部さんの心に人々への救済や温かさや優しさがあったからこそ私は惹かれたのであり共感したのです。西部さんこそニヒリズムからの脱却の努力をし続けた人であり、しかしながらやはり他の家族を巻き込んでしまったという振る舞い自体にやはり矛盾があり利己的な動機を感じ、一人で決断し逝かれたのとは違う評価に私としてならざるを得ません…。
一人で逝かれた自殺論なら私の考察や判断もかなり違っていた気がします。
ですから私の公の他者の領域を弁えない(例えば佐藤さんのブログ)においた自暴自棄や悲しみや反発や主観の発露を侮辱する意図はなくむしろ私の思想の根本や一本の筋の大きな部分が彼由来であり、謝罪すると共に言い訳をしました。失礼しました
ゲッ子 says:
12月 9, 2018
性教育協会の表からすると、1987年の高校生男子にとりデートはかなり高価になったが性交はむしろ安価になったようです。これは恋愛における階級の出現を意味し、新自由主義に先行しているのが興味深いです。新自由主義は階級を生み出すのではなく階級を隠蔽するイデオロギーにすぎないことが革命的に明らかになりました。
レギーム作 says:
12月 9, 2018
家がないってのはそれだけで、鴨長明が不思議認定するほどの沙汰(福原遷都)。
これを平和とは呼べないよなーと、「平貧」読んでる時思いました。