7月27日の記事

「八重雲手鏡の思い出」

2009年に出した本

『バラバラ殺人の文明論』について触れましたが・・・・

 

バラバラ殺人、佐世保で起きてしまいましたね。

被害者のご冥福をお祈りします。

 

しかし注目されるのは

今回の事件、女子高生同士の間で起きたこと。

 

これは『バラバラ殺人の文明論』で分析した

映画『富江・最終章 禁断の果実』

のシチュエーションとよく似ているのです。

 

この符合について、

私は偶然だと思っていません。

 

『バラバラ殺人の文明論』は、

2006年に東京で発生した

女子短大生バラバラ殺人事件をきっかけに書かれた本です。

 

ところがこの事件も、

『バトル・ロワイアル』『あずみ』といった

2000年代初頭に人気を博したポップカルチャーの内容と、

いろいろな点で通じるものがあったのです。

 

被害者の名前まで、ずばり「亜澄(あずみ)」だったんですから。

 

この符合が偶然ではないとしたら?

われわれは無意識のうちに

このような事件の発生を感じ取っており、

それが予言的な形でポップカルチャーに表れているとしたら?

 

だとすれば、

ポップカルチャーの内容を読み解くことが

さらなる事件の発生を防ぐことにつながるかも知れない。

 

そんな発想から、できあがったもの。

カバーにも、内容にふさわしいイラストを選んでもらいました。

 

バラバラ殺人の文明論

 

この本が到達する結論は何か。

 

一口に要約するのは難しいのですが、

大きなポイントとなっているのは

 

現在の日本においては、

家族のあり方それ自体が

若い世代同士の殺し合いをうながす形に

変質してしまったのではないか

 

という発想。

 

佐世保で起きた事件にしても、

加害者の少女の家庭には

かなり複雑な事情があったようです。

 

保守派と呼ばれる人々は、

よく「日本は家族のような国であるべきだ」

と主張します。

 

この考え方、

保守派のみなさんが思っているほど日本特有のものではなく、

たとえばエドマンド・バークのような人も

同じようなことを述べているのですが、

それはちょっと脇に置きましょう。

 

家族のような国。

言葉だけ聞けば、なるほど美しい。

しかしそれは、

日本の家族がちゃんと機能していることを前提としたときの話。

 

かりに日本の家族が、

若い世代の殺し合いをうながすようなものに変貌しているとしたら、

「家族のような国」の概念にしたところで

もはや望ましいものとは言えないのではないか?

 

保守派の中には

こういう話を聞いただけで、

妙に感情的になって反発する方がいます。

 

けれども私に言わせれば、

そのような方々は

自分にとって都合の悪い真実に直面する

知的な勇気がないのです。

 

事件は現に起きているんですからね!!

 

『バラバラ殺人の文明論』、

よろしければぜひご覧下さい。

クリックはこちらをどうぞ。

 

被害者追悼の意味をこめて、「ではでは」は省略いたします。