7月30日配信の記事

「バラバラ殺人に思うこと」では

保守派と呼ばれる人々(の一部)が

「解体」という言葉を

安易、かついい加減としか

形容しえない形で使っている点に触れました。

 

このような姿勢は、

ずばり言ってしまえば、

保守主義本来の姿勢に反するものです。

 

近代保守主義の祖

エドマンド・バークに、

ここで登場していただきましょう。

 

「フランス革命の省察」で、彼はこう述べています。

おなじみ、この本ですよ。

 

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(革命によって権力を握った)国民議会が改革と称して、

既存の制度の廃止やら

全面的破壊やらにうつつを抜かしているのも、

困難に直面できないせいで現実逃避を図っているにすぎない。

 

物事をぶち壊したり、

台なしにしたりするには、

手腕ではなく腕力があれば十分だ。

そんなことに議会はいらぬ、暴徒にやらせておけばよい。

(196ページ)

 

さらに、こう述べてもいます。

 

国体の見直しとは、

古くなった建物の修復工事を行うようなものだ。

新しく建築する部分も出てくるだろうが、

元の設計ができるだけ保たれるよう、

十分に配慮したほうがいい。

(313ページ)

 

本当の保守主義を知りたいあなたはここをクリック。

 

さて、質問。

保守を自認しつつ、

「戦後体制の解体」を主張する人々は

はたして本当に保守でしょうか?

 

某センセイあたりからは、

「そんなことは誰でも知っている!」

というコメントが来そうですね。

 

そうですよ、センセイ。

しかし頭で知っていることと、

本当に直面できていることはまったく別。

 

その区別がつけられないと、

ちょっと本当のことを突きつけられただけで

たまらなくなってヒステリーを起こすという

悲劇的、ないし喜劇的な末路が待っています。

これまた、誰でも(頭では)知っていることですがね。

ご注意を。

 

つづきは長くなったので明日にしましょう。

ではでは♬(^_^)♬