昨日の記事
「政権を船に見立てると」に
BUTTMEDD さんよりコメントがありました。
いわく。
政策ではなく国民運動・・・。
がんばれ晋三!全国行動委員会?
馬鹿じゃない? 馬鹿なんじゃないの?
1国会議員あたり1億の税金で賄ってもらいながら「国民運動」だと言えるこの神経。
国民運動ならばいますぐ陛下に詫びて、全額国庫に返納して、ぜんぶ自前でおやりなさい。
BUTTMEDD さん、
かなりお怒りのようです。
けれども
政策と称して、自分自身を応援する国民運動を始める
というのが
1億総活躍の真のコンセプトだとすれば
致し方ないでしょう。
これってつまり、
内閣の命運を賭けた目玉政策は「自画自賛」だった!
ということですからね。
自分たちの政策を素晴らしいと賞賛することが
それ自体として政策となる。
なかなかシュールな展開で
知的なパラドックスも感じられますが、
一抹のバカらしさが漂うことも否定できません。
しかし!
バカをあまりバカにしてはいけない。
かの寓話「イワンの馬鹿」ではありませんが
バカをきわめた者は
中途半端に知恵のある者より、
賢く幸福なのです。
というわけで、こちらをどうぞ。
赤塚不二夫:バカを学ぶ「バカ田大学」 東京大で開講
2008年に亡くなった漫画家の赤塚不二夫さんのまんが
「天才バカボン」に登場する架空の大学「バカ田大学」が、期間限定で開講する。
生誕80年を記念したプロジェクトの一つで、
さまざまな分野で活躍する著名人が、
それぞれの表現方法で「バカとは」について解き明かし、
東京大の教壇で熱弁をふるう。
12月1日から16年3月31日まで、
東京大山上会館(東京都文京区)で開催される。
講師は、アートディレクターの浅葉克己さん、
東京大学大学院教授の河口洋一郎さん、
イラストレーターのみうらじゅんさん、
コラムニストの泉麻人さんら。
授業料は1コマ5500円(オリジナルノート付き)。
かの藤井聡さんは
拙著「愛国のパラドックス」について
メチャクチャ楽しく読んだと褒めてくださったあと、
赤塚不二夫の偉大さを、あらためて認識した
とコメントされました。
つまりは中途半端に知恵のある者より
バカをきわめた者のほうが
本能的な賢さ、ないしバランス感覚を持っており
それこそが保守の本質に近いものである、
ということでしょう。
裏を返せば
バカをバカにしているようでは
真の保守とは呼べない。
この小賢しい知恵の使い方は、バカなどの及びもつかぬ愚かさだ!
こう言えてこそ保守ではないでしょうか。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
マゼラン星人二代目 says:
11月 8, 2015
>自分たちの政策を素晴らしいと賞賛することが
>それ自体として政策となる。
政治(権力)を格好良く演出してみせることが、それ自体として政治の究極目標に据えられ、自己目的化する。
こういうのを哲学用語で「政治の美学化」というそうですが、
参照:
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/192565/1/kjs_006_023.pdf
現在のわが国でも、全く同じでないにせよ、これに相当近しい異臭が漂いはじめているわけです。
>内閣の命運を賭けた目玉政策は「自画自賛」だった!
政治をアートに見たてる立場からすれば「自画自賛」が政策に数えられ得るのも宜なるかな。『美しい国』とのたまうだけのことはある。
マゼラン星人二代目 says:
11月 9, 2015
>それ自体として政治の究極目標に据えられ、自己目的化する
だから、「アートの政治利用」という言いかたでは不十分。
>全く同じではない
「政治が美であること」と「政治を賛美すること」との間には一体化の度において若干の開きがある。(どうというほどのものでもないが)
buttmedd says:
11月 8, 2015
佐藤さん、お取り上げいただき恐縮です。いま観念の眼を瞑っております。
こう読むと、赤い色を目にするや憤激、猛進を始めるウシみたいで、
いや我ながら滑稽ですねえ。
お怒りとお書き下さいましたが、「1億総」を見た時点で完全に吹っ飛んでますからね。
怒りもありますが、軽蔑すべき生ぬるい自身を相手にも見出した時のような感覚です。
佐藤さんのお見立て通りの展開、そのご慧眼に、まずコメント差し上げるべきでしたが。
バカを学ぶ「バカ田大学」、面白そうですけれど、
バカが学ぶ「バカ田大学」であったなら、これはと山上会館に参じたかも知れません。
Guy Fawkes says:
11月 8, 2015
BUTTMEDDさんの大いなる義憤には、私も全面的に意を同じくしますね。
要は政策に於ける責任の所在を「自分自身」にあるように見せかけて、
その実、何かあれば「自己責任」と失敗を押し付ける気満々の「一億総活躍」という「一億総玉砕」
「政策と称して、自分自身を応援する国民運動を始める」正に「主体性の喪失」、即ち「敗戦の否認」
しかし!佐藤先生の仰る通りここは一つ、昨今「おそ松さん」で再び脚光を浴びつつある
赤塚不二夫先生の生き様を振り返りながらバランス感覚を保ちたいです。(「保つ」これも一つの『保守』か…?)
「まじめに見ちゃバカを見る」「ああ~おそ松!」