本日の記事

「人はいくつもの年齢を生きる」について、

Sayaさんから素敵なコメントがありました。

ご紹介しましょう。

 

『時間』の伸び縮みは音楽の中でいつも体験していますが、

人の人生そのものも

きっと同じなのでしょうね。

 

先生のおっしゃる通り

複数の『自分』を生きることができるなら、

自分探し、、なんてなくなるのでしょうね^ – ^

 

特筆すべきは

「時間」の伸び縮みは音楽の中でいつも体験している

という箇所。

 

じつは音楽に限らず、

あらゆる芸術の大きな目的は

人を感動させて

それにより、心が時間を超えられるようにすること

なのです。

 

本当に感動した出来事については、

遠い過去のことであっても、

ついさっき、体験したばかりのように

生々しく思い出せるでしょう?

 

あの状態を人工的につくりだすのが

芸術の存在意義。

 

イギリスの名演出家ピーター・ブルックいわく、

真の演劇においては、

日常生活では三時間かけなければ伝わらないことが

三分で表現できるということが起きる。

 

フランスの名監督フランソワ・トリュフォーいわく、

映画とは、つまり時間のコントロールである。

 

音楽もそうです。

すぐれた歌の世界では、

わずか数分の間に

多面的に描かれた人物が

濃密な人生を生きている。

 

それをどこまで表現できるかが、

歌手の腕の見せどころ。

 

だからこそ越路吹雪さんは、

シャンソンは一曲一曲がドラマと言ったのです。

 

時間の伸び縮みを音楽でいつも経験しているSayaさんは

やはり本物のアーティストと呼べるでしょう。

 

そして彼女の言葉通り、

これは人生でも起きること。

 

つまり芸術は人生を凝縮したものであり、

だからこそ価値があるのです。

 

ちなみにインドネシアには、

「引き延ばされた時間」を意味する言葉があります。

 

ジャム・カレット。

Djam Karet.

 

人の身体は、通常の時間の流れの中にありますが

魂はジャム・カレットの中にある。

そのことを再確認するとき、

われわれは日常の制約を超えて、

生きるうえで本当に大事なものを見つめ直す。

 

だから人間の歴史とともに、芸術は存在したのです。

 

Sayaさん、これからもぜひよろしく。

ではでは♬(^_^)♬