2016年の日本で話題になった映画の一つと言えば
「シン・ゴジラ」。
興業収入のほうも85億円の大ヒットとなりました。
しかるにゴジラと言えば
ハリウッド版もつくられるほどの世界的な人気キャラ。
ついでに「シン・ゴジラ」は、
ゴジラ対策を安全保障のシミュレーションとして
ドキュメンタリータッチで描いたうえ
対米従属についても言及するなど
ナショナリズムの色彩も帯びた作品。
まあ、怪獣映画に反米的な要素が盛り込まれるのは
何も今回が初めてではなく
1954年のオリジナル版「ゴジラ」や
1961年の「モスラ」、
あるいは1991年の「ゴジラVSキングギドラ」などでも見られたことですが
それはとりあえず脇に置きましょう。
というわけで昨夏、
「シン・ゴジラ」が国内で話題となっていたころは
この作品は海外でも注目されるだろう、
日本のナショナリズムが世界に発信される!
と興奮している人々も
いわゆる保守派界隈の一部で見られました。
けれども、結果はどうだったか?
以下の記事をどうぞ。
石原さとみ“ガッズィーラ”も大爆死!「シン・ゴジラ」が欧州で売り上げ91万円
早い話、海外興行は予想以上に大コケしたのです。
どうぞ。
フタを開ければ台湾、香港といったアジアで不発、
北米では大規模ではない都市型興行だったが、
ランキングで初登場19位も翌週から36位⇒59位と急降下。
最終的に興収も約2億1000万円程度と、話題にすら上らなかった。
さらにゴジラになじみの薄いヨーロッパでは
スペインで何とか公開にこぎつけたが、
なんと約91万円という残念すぎる売り上げ。
つまり、ほとんど話題になっていない。
え、何?
日本映画なんだから、日本の観客にアピールすれば
それでいいじゃないか?
ならばナショナリズムの世界発信うんぬんという主張は
妄想崛起にすぎなかったことになりますが
それを別にすれば、
たしかにこの主張には一理ある。
しかしですな。
こういう現実もあるのですよ。
同じ記事より、某映画専門誌ライターのコメント。
「ハリウッド大作も同じくですが、ここ最近の大作映画は
中国を筆頭にアジアでヒットさせなければ儲けが出ないとさえ言われています。
ところが、『シン・ゴジラ』の惨敗は
実写邦画の未来を暗くするのではと関係者が顔をしかめていますね。(中略)
国内だけでしか稼げないなら、
実写邦画で予算をかけていいものを作ろうという空気にはならないというわけです」
『右の売国、左の亡国』の「政治経済用語辞典」にならえば、
まさに
実写邦画は世界に羽ばたく*しかない!!
という状況になっているのです。
ただしこれは
日本映画はグローバリズム的な無国籍作品をめざすべきだ
ということではありません。
だいたい自国の文化的アイデンティティを切り捨てておいて
すぐれた作品ができあがるとも信じがたい。
ちなみに「君の名は。」は「シン・ゴジラ」とは裏腹に
中国で95億円を売り上げるなど
ヨーロッパを別とすれば海外興行も順調とのことですが
あれだって、なかなかに日本的な作品。
アカデミー賞を取った「千と千尋の神隠し」だってそうじゃないですか。
要するに日本映画、
とくに「絵」が持つ抽象性に頼れない実写作品は
自国の文化的アイデンティティに
どうやって普遍的なアピールを持たせるか
という点を、真剣に考えるべき段階に来ているのですよ。
実際、「シン・ゴジラ」が海外でコケたのだって
ナショナリズムの色彩を帯びていたせいとか、
対米従属(批判)の視点が盛り込まれていたせいではなく、
日本人でも読み切れないほど大量のテロップを出したり、
同じく日本人でも耳で聞いただけでは分からないような台詞を
しかも早口で言わせたりといった
自閉的な表現形式に起因している可能性が高い。
「インデペンデンス・デイ」や「ランボー」シリーズ、
あるいはジェームズ・ボンド映画を想起すれば分かるとおり、
きっちりとエンターテインメントに昇華されたナショナリズムは
むしろ普遍的なアピールを持ちやすいのです。
ならば日本映画が世界に羽ばたく*ための条件、
それは文化的アイデンティティやナショナリズムを捨てることではありません。
きっちりとエンターテインメントに昇華できるくらい
それらになじむことだと言えるでしょう!
思えば「シン・ゴジラ」がやけに自閉的だったのも
監督の気質もさることながら
「日本」を否定するのが当たり前という雰囲気の中で
ナショナリズムを打ち出そうとしたため
ついつい肩に力が入りすぎ、
ガチガチになったせいかも知れませんよ。
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
GUY FAWKES says:
3月 16, 2017
先日、近所のCDショップで『シン・ゴジラ』にBlu-ray広告がデカデカと貼られているのを見ました。
公開前と最中で彼方此方で見かけた当該作キャッチコピーである「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)。」
これを基に改めてポップカルチャーからの考察を見出すには『夢見られた近代』の第三章、
「ビンラディン教」の福音でオサマ・ビンラディンをイエス・キリストの生まれ変わりだと信じる
「マスター・プランナーズ」なる団体の幹部を称する人物、「アンソニー・エンライト」氏に対して
佐藤先生が果敢にもインタビューを試みた部分が極めて優れた糸口となるのではないでしょうか。
エンライト氏「世の終わりを真に到来させるためには、テクノロジーの発達以外に、ある条件が満たされねばならない。
すなわち物質的な世界において、『象徴が現実に打ち勝つ』ことだ。」
「(前略)むろん象徴が現実に打ち勝つのは大変に難しい。物質世界の現実は堅牢であり、生半可な象徴の侵攻など弾き返して、
『観念的なひとりよがり』へと追いやってしまう。」(同書P50〜53)
後者の『観念的なひとりよがり』というエンライト氏の指摘は中々に興味深い様に思われます。
今回のブログにも「自閉的な表現形式に起因している」とあり、佐藤先生も「ガラパゴス上等という開き直りが透けて見える」と
チャンネル桜での討論で仰っていたと記憶しております(間違っていたら申し訳ありません)
しかるに『シン・ゴジラ』はニッポンという「現実」が(国家としての主体性の無さを主張するあまり)内向きに強すぎて、
ゴジラという「虚構」が象徴の支配のもと無意識が暴走(日本文化のアイデンティティによる普遍的アピール)する余地を
打ち消してしまったと解釈するのです。
マゼラン星人二代目 says:
3月 17, 2017
>「現実対虚構」
勝敗の帰趨は言わずもがな。
「清く正しく美しい自衛隊」という「虚構」で、
「姑息な隠蔽工作にいそしむトホホな防衛省」という「現実」を
上書きできるだなんて、本気で信じてたのですか、庵野さん。
玉田泰 says:
3月 27, 2017
文化的アイデンティティやナショナリズムに対し
「きっちりとエンターテインメントに昇華できるくらいそれらになじむこと」
全くその通りですね。星条旗を平然と大写しにするハリウッド映画などに比べても
日の丸が画面に映ることすら問題視する日本の文化風土は足枷だと思います。
それでエンターテインメントついでといっては何なんですが、
先生はカラフルな色を本文中に使われますが、どのような基準に拠るものなのでしょうか?
一番重要と思われる文章に、白地にあまり映えない黄色が使われていたりして、
その意図をはかりかねるのですが?(下らないことを書いて申し訳ありません、苦笑)
SATOKENJI says:
3月 27, 2017
あれは声色です。
配色については、気まぐれというところもありますので、とくに意図があるとは限りません。
待ってほしい says:
9月 25, 2017
ちょっと待ってください。まずソース元がアサ芸に依拠しているのが問題です。
スペインで91万円、というのは3日間の限定公開だからです。同じ限定公開で上映された映画はどれもシン・ゴジラと同程度の興行収入になっている。ミニシアター限定上映なんだから当たり前です。
SATOKENJI says:
9月 25, 2017
3日間のミニシアター限定公開しかされなかった、ということ自体がポイントですね。
当たると思えば、もっと大々的にやるに決まっているではありませんか。
ついでにこれは91万円という金額を否定するものではない。
そして「3日間の限定公開」である以上、注目されていないのは明らか。
「大々的に公開したものの、どこの劇場もガラガラで91万」の方がまだマシです。
少なくとも「当たるのでは」と期待されたわけですからね。
そもそも最初から期待されていなかったのだから、
「期待外れ」の結果と見なすのは間違っている!
というのは、
頓知としては面白いのですが、「シン・ゴジラ」を擁護したことにはなりません。
よってコメント後半は編集しました。