昨日の話のおさらいを。
神(=絶対的な善)と悪魔(=絶対的な悪)の対決
という伝統的なホラー映画のパターンは、
1960年代末から衰退しました。
かわりに台頭するのが、
人間社会のあり方そのものが、破滅をもたらす怪物を生み出す
という新たな図式。
つまり怪物は、
社会の「外」にある存在ではなく、
その「内」にいる存在となったのです。
さらに人間社会どころか、
人間そのものの中にある
精神と肉体のバランスが崩れることで怪物が生まれる
という図式まで登場します。
この第一人者が、今では芸術映画の巨匠となったデイヴィッド・クローネンバーグ。
当然、彼の作品に宗教色は皆無です。
アメリカの映画評論家ティム・ルーカスは、1981年に発表した「怒りのかたち」というエッセイで、この変化をうまくまとめました。
いわく、
かつてのホラー映画には、キリスト的なヒーローがいた。
悪魔を倒し、神の正義を復活させる役割を担う人物。
だが、今のホラー映画にヒーローはいない。
「ふつうの人間」と「怪物」の間に、もはや明快な一線が引けなくなった以上、
悪魔を倒せば万事解決 ということはありえなくなったのだ。
現代のホラー映画の中心にいるのは、キリスト的なヒーローではなく、
人間のあり方それ自体に、
より望ましいバランスはないかと模索する科学的・哲学的人物である。
これは誰に似ているか?
「われ思う、ゆえわれあり」の名言を残し、近代的な合理主義の祖となった哲学者、
ルネ・デカルト。
ホラー映画において、キリストはデカルトに取って代わられた。
これは歓迎すべき変化である。
今や人々は、
「善悪は単純に区別のつくものではない」
という認識に基づき、
新たな恐怖の神話をホラー映画に求めているのだ。
古くなりすぎた神話は、新たな神話によって否定されるべきなのである!
ルネ・デカルトと近代的世界観の関連については、
「国家のツジツマ」でも
「合理主義を生み出したもの」として論じました。
ティム・ルーカスがこれを書いたのは1981年。
33年も前のことです。
にもかかわらず、この国では今なお、
神と悪魔の対立という古色蒼然たる図式で、
経済政策 を論じるヒトがいるのですよ!
それも首相官邸に!!
ではでは♬(^_^)♬
1 comment
風前のバーコード says:
7月 11, 2014
国家のツジツマ大変勉強になりました。
自分の身近な出来事にも、”ツジツマ”の考えかたは大変参考になります。
さて余談
どこからゾンビが発生するかも、
社会の闇(病み)を知る道標かも!
さあゾンビツアーへ出かけよう!
悪魔を生みだした原因はどこに?
その前におっとっと!
AB君AB君
その人はゾンビじゃないよ!
この村の長老だよ!
色が黒いのは畑仕事で焼けただけ・・・
着ているものがゾンビっぽいって? いやいやコレはボロを継ぎ合せて何度も何度も使っているからだよ!古い物を大事にしているんだよね・・・。
えっ?鎌を持っている?
それは農具だよ、土を耕すの!
えっ?悪魔のマントを着ている?
ん?何それ?日除けのほっかむりの事?
えっ?カラカラで干からびているって、
それミイラだと思うけど、まあいいや、
それは外で仕事していると肌のしわが深くなりやすいの!
えっ?墓場からやってきたって?・・お寺のお墓にゾンビか・・(違和感)。
それ毎日ご先祖様にお参りしているだけでしょ!
いやいや、第三の矢を射るって、
オイオイ!だから、その人は長老だって・・・。
ちなみに3本の矢の逸話
元就の遺言として語られる事が多いですが・・・(本当は中国の故事)
元就が亡くなるずっと前に長男の隆元は亡くなっているんです。
要するに矢は2本で足りるのです!
3本目は要らないのです。
コラコラAB君AB君!
それは案山子だってば・・・。
えっ、気持ち悪いって?
いやいやそれは農作物を守っているんだよ・・・・!
以上
失礼しました!