本日のチャンネル桜

「闘論! 倒論! 討論!」のテーマは

世界のカオスをどう考えるか。

 

とはいえ、

真のカオスを「考える」ことはできないんですね。

 

「認識」や「解釈」が成立するということは

認識や解釈の対象にたいして

何らかの枠組み(=秩序)が見出しうるということ。

枠組みが見出しうるものはカオスではありません。

 

つまりカオスについては

「思考不能」という結論しか出ないのです。

 

裏を返せば、

世界のカオスをどう考えるか

というテーマの本当の意味は

従来の枠組みでは認識・解釈しえなくなった

今の世界をどうとらえ直すか、ということになる。

 

小難しい理屈をこねているように思われるかも知れませんが

じつはこれこそが重要。

 

従来の枠組みでは認識・解釈しえなくなった

今の世界をどうとらえ直すか。

このテーマ設定には

真のカオスは、われわれの頭の中にあるのではないか?

という含みがあるのです。

 

物事が自分の思うようにならないと、カオスを感じるのが人間のつね。

昭和初期のわが国には、

「欧州の天地は複雑怪奇」と言って辞任した首相がいます。

 

最近でも

ある意味での潜在的なところのいわゆるそれ自体

などという言葉遣いは

現実の状況とは無関係に、それ自体が立派なカオスであると思いませんか?

 

あるいは

自分は大阪都構想に少なからぬメリットを見出しているが

反対派の言うとおり

都構想が実現したとしても、大阪がさほど良くなることはなかっただろう

とか。

 

してみると

はたして日本人が、民族として言葉の嘘を知っているかどうかはともかく、

言葉のカオスを生きている日本人は確かに存在すると言えるでしょう。

 

そして言葉のカオスをもたらすのは

頭の中に抱え込んだパラドックス。

 

だからこそわれわれは、

パラドックスを脱却する努力を重ねなければいけないのですよ!

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ではでは♬(^_^)♬