公文書関連の諸問題に加えて
19歳の警官が先輩警官を射殺したり、
今治市の刑務所を脱走した男がなかなか捕まらなかったり、
はてはアメリカ・イギリス・フランスがシリア攻撃に踏み切ったりと、
あいかわらず世情は騒然としております。
そろそろ現実世界に見切りをつけたくなった方も
いるのではないかと思いますが
いろいろな意味で
そういう方にお勧めの映画を
先週、試写で観てきました。
4月20日より公開される
スティーブン・スピルバーグ監督作品
『レディ・プレイヤー1』。
プレスシート表紙。「最高の、初体験。」というコピーには、むろん二重の意味があります。
2045年、
世界経済は崩壊し、
人々の多くは 「スタックス」と呼ばれるスラムに住んでいます。
唯一の気晴らしは
「オアシス」と呼ばれるヴァーチャル・リアリティ世界に入り込んで
さまざまなゲームを楽しむこと。
オアシスの中には
カーレース、格闘、戦争、ホラー、ダンスなど
ありとあらゆるゲームが用意されているのです。
しかもオアシスは今や、
史上最高のサクセス・ストーリーをもたらすかも知れない場となっていました。
オアシスの創設者ジェームズ・ハリデーは
数年前に亡くなっていたものの
自分の設計した世界にひそむ三つの謎を解き、
それらに対応する三つの鍵を手に入れた者に
全財産56兆円と
オアシスの所有権を与えるという遺言を残していたのです!
56兆円だぞ、56兆円!!
・・・って、税金で相当取られそうですが
これは脇に置きましょう。
というわけで
一攫千金を夢見る多くの若者が
さまざまな形のアバター、
つまりヴァーチャル・リアリティの中で活動するための姿に化けては
オアシスで壮大な争奪戦を繰り広げる。
主人公の少年ウェイドは
現実世界ではスタックス住まいの貧民なのですが
ゲーマーとしてはなかなかの切れ者。
ゲーム仲間のエイチ、ダイトウ(ちなみに日系)、ショウ(こちらは中国系)、
そして謎めいた美女アルテミスとともに
ハリデーの残した謎に迫ってゆきます。
ところがそこに
強欲な大企業「IOI」社が参戦!
この会社、正式には INNOVATIVE ONLINE INDUSTRIES
(革新的オンライン産業集団)というのですが
オアシス内でのゲームにハマりすぎ
現実世界で破産してしまった人々を
収容キャンプのごとき場所に集め、
最低賃金で死ぬまで酷使するブラック企業。
IOIはカネと組織に物を言わせ、
人海戦術で勝利をめざします。
社員をゲームプレイヤーとしてどんどんオアシスに送り込み、
ゲームオーバーになって現実世界に戻ってきた者は次々に交代させるという
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる作戦をえんえん続けるのですよ!
この連中がオアシスを支配したら最後、
ヴァーチャル・リアリティも徹底した金儲けの場となること確実。
ウェイドと仲間達は
IOIを出し抜いて
オアシスの三つの謎を解くことができるか?
日本限定スペシャル映像(序盤の見せ場、レースゲームの場面の抜粋です)こちら。
・・・いや、ムチャクチャ面白いです。
しかもこの映画、面白さが二段構え。
つまりですな、
オアシスの中は
1980年代を中心とした
SF、アニメ、ゲーム、ホラーなど
ポップカルチャーのてんこ盛り大会になっているのです。
かつては子供、ないし若者向けとされていた類のポップカルチャーに
大人になってもこだわり続ける者のことを
われわれは普通、オタクと呼ぶわけですが、
まさに20世紀型オタク文化の集大成という感がある。
たとえばウェイドがオアシス内で乗り回すのは
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の車。
アルテミスが乗るオートバイは、
「アキラ」で主人公・金田が乗っていたもの。
これについては、台詞でフォローが入ります。
ついでにカーレース場面のクライマックスでは
エンパイア・ステート・ビルからキングコングが登場、
レースの邪魔をするのですぞ!
またゲーム仲間のエイチは
アイアン・ジャイアント(同名のアニメ映画に登場する巨大ロボット)を駆使。
あまつさえクライマックスでは
IOI社が繰り出してきたメカゴジラ(マジだぜ、おい)にたいして、
日系のダイトウ君がこう日本語でつぶやく。
オレはガンダムで行く!!
右端にガンダムがいるのに注意。その左がアイアン・ジャイアントです。
スピルバーグ映画で、
ガンダムとメカゴジラの死闘が展開されるなんて
誰が思いましたかね?!
ついでに中盤は
スタンリー・キューブリック監督の傑作ホラー映画
「シャイニング」にたいするオマージュ全開。
版権使用料だけでいくらかかったんだ?
という感じですが、
1980年代に青春を送り、
当時のポップカルチャーに熱中した世代
(今では40〜50代ですね)なら
これだけで感動モノ。
しかし『レディ・プレイヤー1』が良いのは
ポップカルチャーてんこ盛り大会に終わっていないこと。
オタクという言葉が生まれたのは1980年代。
当然、オタク文化もここで誕生したと見て良いでしょう。
つまり2020年、
オタク文化は不惑(40歳)を迎えます。
文化として成熟するにふさわしい時間、
ないし文化として成熟を求められるだけの時間が経過したのです。
そしてスピルバーグこそは、
オタク文化が市民権を得るうえで
大きな功績を果たした監督の一人。
この映画でスピルバーグは
オタク文化が「成熟した大人の文化」になってゆくための条件を
ヴァーチャル・リアリティをからめる形で提起しているのです。
『レディ・プレイヤー1』では
オタク文化とヴァーチャル・リアリティとが
実質的にイコールになっているわけですが
最後にはこんな結論が提示されるのですよ。
現実か、ヴァーチャル・リアリティかといった風に
二者択一で考える必要はない。
大事なのは、どちらの世界でも
他人とつながりを持てるような振る舞いができるかどうかだ。
オタク文化やヴァーチャル・リアリティにハマることは
現実逃避と見なされやすい。
しかし、これらを否定しさえすれば
現実に直面していると言えるかどうかは微妙。
現実とは、人と人とのつながりで出来ている以上、
オタク文化やヴァーチャル・リアリティが嫌いでも
自分だけ良ければという「一人勝ち」志向から脱せない者は
本質的なところで、現実に直面できていないのではないか?
実際、IOI社、
あるいは同社のトップである悪役ノーラン・ソレントの問題は
現実世界でもヴァーチャル・リアリティでも
オレがオレがという一人勝ち志向に囚われていること。
何せ「IOI」は「アイ・オー・アイ」ですから
「オレ、おお、オレ」(I, oh, I)という意味に取れるのです。
逆にオアシスをつくったジェームズ・ハリデーの会社は
グレガリアスという名前。
「社交的」とか「つきあいがいい」という意味ですぞ。
すなわちスピルバーグ、
オタク文化が成熟する条件は
自閉でなく連帯をうながすようにすることだ
と暗示しているのです。
そして今の時代、この発想には
オタクやヴァーチャル・リアリティといった枠を超えた重要性がある。
「フェイクニュース」という言葉の定着が示すとおり
21世紀の世界では、現実、ないし現実認識の虚構化が進んでいます。
虚構性の強い現実認識を持った勢力同士が
一人勝ちをめざして
格闘技ゲームよろしく相手を攻撃しあっているのが
昨今の政治状況、とりわけ言論状況だと言っても過言ではないでしょう。
しかるに『レディ・プレイヤー1』の結論をあてはめれば
こういうことにならないか。
保守か、左翼かといった風に
二者択一で考える必要はない。
大事なのは、右であれ左であれ
経世済民めざして人々が連帯できるような振る舞いができるかどうかだ。
この条件が満たせなければ
いかに主義主張がもっともらしくても、
それはIOIにすぎず、グレガリアスではない、というわけです。
・・・こう言っちゃ何ですが
保守界隈にもIOIな人が相当数いるのは否定できませんね。
だから支持が広がらないのでしょう。
とまれ、こんな形で
あるレベルではオタク文化にどっぷりハマっていながら
別のレベルでは現実的なメッセージも持っているのが
『レディ・プレイヤー1』の立派なところ。
つまりは「成熟したオタク文化」がいかなるものかを
身をもって示そうとしているのです。
『レディ・プレイヤー1』は4月20日公開。
ただし、このブログをお読みのみなさんが
20日に行くべきオアシスはこちら!!
そしてもちろん、これらの本も必読です。
ではでは♬(^_^)♬
5 comments
豆腐メンタル says:
4月 15, 2018
佐藤先生の論評スタイルのハリウッド映画版と言える作品ですね。
サブカルチャーに大きく影響されたアラウンド不惑の日本の男の避けては通れないテーマであります。
掘り深めるのが得意な一方、鳥瞰は不得意なオタク。
既に我々は”砂つぶ”なのであり、その事実に向き合い、不得意ですらも超克するべきかと。
連帯の緩やかさとオタクの純粋さは多分、水のような性質が相応しかろうと想像します。
希望的に言えば、鋼(グローバル主義的連帯)ですら超水圧で切ることができます。
Eです反孫(書換名) says:
4月 15, 2018
>オタク文化
思うのですが、昔で言えばある種バイリンガル派遣業種的な卓越した技(業)だってオタクと言えると思う表現であるところの“オタク”をなんとなく最低なモノに引きずり下ろしたのは、あの頃の面白くなければテレビじゃないと宣伝したり宅八郎さんを表舞台(コメンテーター的裏舞台で止めとけばよかったのに)に引きずり出したていたマスメディア全般に責任が在ると浮かばざるをえません。
昨今のシリアの報道もここが生物兵器(なんだったか忘れた)?が使用された所だ!とかさもそれらしき映像の報道を流してますが、どうも胡散臭い気がしてなりません。巨大な何者かにコントロールされたマスメディアによるフェイクニュースに思えてなりません。
そう言えば最近頭に過ぎったんですが、総理は“政治は結果”だと言いましたが、オイラもオタクなんだろうなぁと思うオイラには政治は経過じゃねぇつかなぁ?とふと思いました。
なぁんか支離滅裂な書き込みですね。アイアムおタコング?。
GUY FAWKES says:
4月 15, 2018
>現実か、ヴァーチャル・リアリティかといった風に二者択一で考える必要はない。
大事なのは、どちらの世界でも他人とつながりを持てるような振る舞いができるかどうかだ。
>オタク文化やヴァーチャル・リアリティにハマることは
現実逃避と見なされやすい。しかし、これらを否定しさえすれば現実に直面していると言えるかどうかは微妙。
>現実とは、人と人とのつながりで出来ている以上、オタク文化やヴァーチャル・リアリティが嫌いでも
自分だけ良ければという「一人勝ち」志向から脱せない者は本質的なところで、現実に直面できていないのではないか?
正に至言。現実あってこそのVRであり、VRないしはフィクションから現実の本質を掬い上げることもある。
『幻想政治学』はこういうところを取っ掛かりにして若人が関心や興味を持つ可能性があると思います。
>・・・こう言っちゃ何ですが保守界隈にもIOIな人が相当数いるのは否定できませんね。だから支持が広がらないのでしょう。
「ヴァーチャルに逃げ込む若者ガー」と宣う女性保守論客とか「ゼツボーが足りん!」と息巻いて
討論参加者の尺を横取りする司会者や「アニメや漫画に高尚なテーマなどない」と断ずる方とか…
まぁ、何方とは申しませんが(棒読み)
せい says:
4月 16, 2018
20年前のゲームですが、メタルギアソリッドという近未来を舞台にしたゲームで、ラスボスが語った台詞の意味が、今ようやく理解できました。
「世界のデジタル化は、人の弱さを助長し、それぞれだけに都合の良い「真実」の生成を加速している。「政治的正しさ」や「価値相対化」という綺麗事の名の下に、それぞれの「真実」がただ蓄積されていく。
かみ合わないのにぶつからない「真実」の数々。誰も否定されないが故に、誰も正しくない。それが世界を終わらせるのだ、緩やかに。」
GUY FAWKES says:
4月 16, 2018
主人公「何が必要か、お前たちが決めるっていうのか!?」
ラスボス「その通りだ。君達がひり出す糞の山から、我々が価値のある真実を選び取り、残すべき意味を紡いでやる。」
主人公「次の世代に伝えるものは自分で決める!」
ラスボス「君が思っている『自分』なぞ、精々身を守るための言い訳に過ぎんのではないか?」
「世間に溢れてる出来合いの『真実』の中から、その時々に気持ち良く思えることをツギハギしただけ。」
「あるいは、もっともらしい権威の下に身を寄せて手に入れたつもりになっている借り物か…」
「本来、個は弱いけど無力じゃない。むしろ世界を壊すほどに危険な存在なの。」
「そしてデジタルのテクノロジーがさらに個を強くした。それは今の君達には過ぎた力だ。」
主人公「人の想いと行動を管理しようと言うのか?」
ラスボス「そうだ。現代ではどんなものでも数値化できる。それを実証するための演習だった。」
いやはや、15年以上前の作品とは思えません。プラットホームがまだPS2の時代で当時はスマホや携帯はもちろんのこと、
インターネットの普及それ自体の黎明期だった中でこれほどの洞察を齎していた小島秀夫の慧眼たるや恐るべし。
思えばこの作品(メタルギアソリッド2)、2001年に発売されたものですが制作自体は同時多発テロよりも前なんですよね。
佐藤先生はゲームをされることはないと仰っているので読者トークの域にしか収まりませんが、
作品テーマは最高に料理し甲斐のある内容だと思います。