刺激的な題名だと思いますが、
政治家の性的なスキャンダルの話ではありません。
1960年代後半から1970年代はじめにかけて
アメリカで活躍したロックグループ、
ザ・ドアーズの中心的メンバーだったジム・モリスンが、
自分たちについてそう言ったのです。
僕たちのことを
エロティックな政治家と考えてほしい。
モリスンは1971年、パリで急死してしまい
バンドも翌年には解散しますが、
1979年、彼らの歌「ジ・エンド」が
映画「地獄の黙示録」の主題歌となったことで人気が再燃。
1991年には、オリバー・ストーン監督が
伝記映画「ドアーズ」を発表しました。
「エロティックな政治家」という言葉の意味について
モリスンは語りたがりませんでしたが、
政治とセックスのつながりを考えるとき
なかなか意味深長なフレーズだと思います。
「ジ・エンド」にしても、
表面的には女の子との別れの歌ですが
途中で父親殺しまで描かれる、という曲。
片や「地獄の黙示録」は、
ご存知の通り、ベトナム戦争を文明論的に描いた作品です。
政治の真実は詩人たちのものであり、
政治家たちのものではない。
これはアメリカの哲学者、ノーマン・O・ブラウンの発言ですが、
ラブホテルにやってくる高校生たちの振る舞いから
日本の衰退を予見したフロントさん同様、
セックスに詩的な想像力が結びつくと、それはきわめて政治的なものになる
と言えるかも知れません。
イギリスの作家、J・G・バラードの名言
「セックス × テクノロジー=未来」にならえば
「セックス × 詩的想像力=政治の真実」
というところでしょうか。
ちなみにドアーズのメンバーで、
バンドのまとめ役であったレイ・マンザレクは、
モリスンに惚れ込んでいたところがあって、
彼がいずれアメリカの大統領になると信じていたとか(実話です)。
エロティックな政治家としては
当然の目標かも知れません。
ついでにこのすべてを引き継いだ感があるのが
1970年代を代表するロック・スターのデイヴィッド・ボウイ。
彼もすごい発言を残している。
いわく、
僕が興味を持っているのは、政治とセックスと自分自身。
レイ・マンザレクは盟友ジム・モリスンが
アメリカ大統領になることを夢見たわけですが、
1970年代のボウイも
首相になりたいとか、はては独裁者になりたいと発言していました。
そして物議をかもしたのがこの発言。
アドルフ・ヒトラーは、史上初のロック・スターだった。
彼は政治家なんかじゃない。
メディア・アーティストそのものだった。
政治と演劇技法を駆使して、
12年間もショーを支配し牛耳るようなものをこしらえあげたんだ。
二度と彼みたいな人間は現れまい。
彼は一国を演出したんだ。
ヒトラーは史上空前の「エロティックな政治家」だったということでしょうか?
これについては「震災ゴジラ!」収録の
「戦後日本の政治的エロス」もどうぞ。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
一億総左翼 says:
11月 1, 2014
三橋経済新聞の施さんの記事の勝元さんのコメントは失礼極まりないですね。こういう下品なコメントを承認してしまう管理者に疑問を抱きます。三橋さん本人は承認の意思決定に携わってないのは分かりますけど。コメントは承認制なので管理者の意思で選別できるので明らかな誹謗中傷は非承認にできるはずなんですけど。これを悪平等というのでしょうね。
ところで佐藤さんは保守についての本を出される予定のようですが、いつごろ出されるのでしょうか。佐藤さんの存在を知らしめるために沢山買ってみんなに配りたいと思っておりますので。
それと最近チャイニーズアメリカンのダックが登場していません。また登場させてもらいたいのですが。私はダックのファンなのです。
SATOKENJI says:
11月 1, 2014
ありがとうございます。
私は施さんの主張に疑問を呈しただけで、攻撃する意図はなかったのですが、
そう受け取ってくださらなかったのでしょう。
もっとも私の書き方にも、有料メルマガと結びつけすぎるなど不手際がありましたので、
不徳のいたすところと反省しています。
保守についての本は「愛国のパラドックス」という題で、
年末か年明けには出る予定です。
詳細が決まり次第、このサイトでも順次お知らせします。
黎夢諾の件、本人に伝えておきます。
マゼラン星人二代目 says:
11月 2, 2014
>私は施さんの主張に疑問を呈しただけで、攻撃する意図はなかったのですが
政治的立場に違いがなくとも、個々の事象の認識が食いちがう場合があるのは当然かと。
>もっとも私の書き方にも、有料メルマガと結びつけすぎるなど不手際がありましたので、
有料メディアを言論の軸にすると、買った人と買わない人で前提が共有されないので、公論が形成されづらい。
かといって、どこかでマネタイズを図らないと言論活動そのものが難しくなる。
このジレンマは、切りぬけられるのか。
とはいえ、有料メルマガの内容に即した記事は、この無料サイトでもいくつか出ている。
たとえば「左翼にだって知恵はある」を読めば、「憲法九条」の受賞と「憲法九条を奉ずる国民」の受賞がどう違うのか、がわかろうというもの。
だから、メルマガを買ってなくても、それを踏まえた論評くらいは出来たはず。
なのに、「新日本経済新聞」で、未だそれがまともに試みられた形跡がない事には失望しています。
マゼラン星人二代目 says:
11月 2, 2014
>たとえば「左翼にだって知恵はある」を読めば、「憲法九条」の受賞と「憲法九条を奉ず
誤: 「左翼にだって知恵はある」
正: 「左翼にだって知恵がある」
>なのに、「新日本経済新聞」で、未だそれがまともに試みられた形跡がない事には失望し
>ています。
少くとも、
「まあ、この点はそれほど重要ではないので、長々と回答する必要はないでしょう。」、
などという片付け方はできないはず。
(受賞推進派やマスコミを無批判に踏襲するとは、何たる没主体性!)